ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/05  (水) 

吉祥寺(甲斐霊場第7番)

甲斐百八霊場、7番目のお寺は毘沙門天をお祀りする真言宗のお寺、徳和山吉祥寺です。読み方は、東京の繁華街と同じ「きちじょうじ」。同じ字で「きっしょうじ」と読むお寺もありますよね。ご本尊が毘沙門天ということで、甲斐七福神のお寺でもあります。
 
このお寺は、どちらかというと集落の中に位置しているといっていいでしょう。行き止まりの山道ではなく(-_-;) それでも山の麓で、高い所にありますから、吹き抜ける風が気持ちよく、景色も絶景かな、絶景かな。ちょうどお昼時になったので、こちらの境内でお弁当を広げさせていただきました。
 
例によって御朱印をいただこうと声をかけたのですが、開けっ放しなのにどなたもいらっしゃいません。失礼して、土間に入ると「裏の畑にいます。声をかけてください」という置き書きが。無用心というより、のどかというか、「鍵を開けたまま留守にしても大丈夫なくらい安全で穏やかな土地柄なのだなぁ」と。
 
裏の畑に行ってみると、初老の奥さん(住職さんのお母さんなのだそうです)が、野良仕事中でした。「御朱印を……」と言うと、すぐに降りてきてくださいました。そして、手を洗うと、ご自分で煮たという福豆とお漬物をもってきて、お茶を接待してくださり、いろいろなお話を聞かせてくださいました。鍵なんか掛けたことないそうです。なんだか、古き良きお寺さんのあり方をみせていただいたようで、すごくうれしかったです。
 
むかし、民宿をしていたことがあって、その頃、こちらのお寺で合宿をした受験生たちは団塊の世代だそうです。いまでも便りがあって、集まろうという話もあるとか。このお母さんのお人柄がそうさせるのだろうなぁと思います。すごく素敵な方に出会いました。
  
吉祥寺は承元年間(1207〜10)、武田信光が建て毘沙門天像を安置したことがはじまり。ここは、乾徳山の登山口にあたるそうです。乾徳山はかつて夢窓国師が岩窟にこもって、90日間の座禅したといわれる所です。茅葺の趣のある本堂で、その脇には県指定天然記念物になっている四代目「新羅ザクラ」があります。1948(昭和23)年に倒れた三代目の木は幹囲が310センチあったそうですが、倒れたまま放置してあったら、その倒れた根元から再び芽が出て、成長したのがいまの四代目。幹囲は130センチ余になり、高さは10メートル近くあります。そして根元には倒れた三代目がいまも横たわっていて、これがすごく存在感があります。
 
1564(永禄8)年に武田信玄が朽ちかけた堂を再興したそうですが、欄間に2メートル以上もある大百足が彫刻されているそうです。これは武田百足衆(いまでいう伝令でしょうかね)に、この地域の出身者が多かったことに由来しているとか。そういえば、このあたりはいま、観光的にどこにでも「風林火山」の旗が立てられていますが、このお寺にはそれに加えて百足衆の旗指物が立てられていました。このあたりでは今でも決して百足を殺さないのだそうです。



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2007/09/04  (火) 

普門寺(甲斐霊場第6番)

今回の霊場めぐりは友人のクルマで行ったのですが、これが大きくて、ナビがすっごく古いというシロモノ。この二つの特徴が遺憾なく発揮されたのが、普門寺行でした。
 
古いナビ、たぶんDVDナビだと思うのですが、当然、地図も古いものですから、道路標示を見て走ると、ナビは突然、畑の中で立ち往生したり、川を泳いで?渡ったりしはじめます。そして、詰めが甘いのは最近のナビでもありがちですが、数百メートル手前で「目的地付近に到着しました。案内を終了します」なんて。まだ、県道にいて、これから先の路地が問題なんだけど……。
 
ナビも頭を抱えているらしい小路を大きなクルマで登っていくと、だんだん道が狭くなって、「これって、軽専用じゃない?」「行き止まりだったら、私は死にます!」と冗談を言って……いやいや、ちょっと本気の怯え……いたら、じゃじゃーん、悪夢がそこに。本当にフェンスが張ってあって、行き止まりだったんです。
 
その場で喉をかき切って死んじゃうわけにもいかないので、延々バックです。狭い上に、右側は側溝。右の側溝がなくなったら、今度は左側が側溝。けっこうな水が流れています。清水だけど。だからといって、落ちたくないです! Uターンできる空き地にたどり着くまでに、思いっきり冷や汗かきました。
 
ほうほうの体で広い道まで降りてきて、道路に出ようとしたところで、その路地に入って行こうとする老ご夫妻(たぶん)のクルマと際どくすれ違い、すれ違いざまに思いっきり窓を開けて「すみませーん、普門寺って、このご近所ですか〜?」と叫びました。ご親切な方で、クルマをとめて、「ついていらっしゃい」と。道路に出て思いっきりUターンし(というぐらい、交通量≒0)、お言葉に甘えてついていき、やっと普門寺入り口にたどり着くことができました。
 
妙高山普門寺は曹洞宗 のお寺で、ご本尊は県指定文化財の薬師如来です。行基が病に苦しんでいた人々を救うため薬師如来を刻んで堂に収めたことにはじまるという縁起ですが、後に甲斐源氏の安田義定がこの地に本尊を移したのがこのお寺だとか。義定は1134(長承3)年生まれといいますから、とてつもなく歴史のあるお寺なんですよね。むかしは、この薬師如来が33年ごとに御開帳となる秘仏とされていて、一生に2回見られれば長生きの証といわれ、縁日は大変賑わったそうです。いまは毎年3月に御開帳が行われているそうです。
 お参りは、長い石段の参道から

 
御朱印をいただこうと、「ごめんくださーい」、「こんにちは〜」と呼べど叫べどシーンと静まり返り、扉も固く閉ざされていました。結局、お参りして、写真を撮らせていただいただけで退散。あとで別のお寺の留守番の方にうかがったところによると、この日は近在のお寺の住職さんの会議が招集されていたそうです。行いが悪いと、こういう日にぶつかります(-_-;)
 
また、このお寺は明治から大正にかけて、寺小屋となって、地域の子どもたちの教育を助けていたそうで、いまの住職さんも学校の先生とうかがいました。きっと、近隣の方には大切にされているお寺さんなのだろうなぁと思います。
高台で空気も景色もグッド 

 
御朱印帳、一つ欠けてるなんて気持ち悪いという性格なので(笑)、また、ご近所を通りかかったときにでも御朱印をいただいてこようかと思います。本日の記載、やけに長いですね。すみません(^_^;)



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2007/09/03  (月) 

洞雲寺(甲斐霊場第5番)

多忙と暑さでしばし知らんぷりを決め込んでいた甲斐霊場めぐりに再び行ってきました。108もあるのに4でやめてしまったら、あまりにも情けないですもんね。でも、訪ねたお寺の一軒で、「普通、2年半ぐらいかかってますね」と言われ、本当に完投できるだろうかと、ちょっと不安になりました。まあ、2年でも3年でも……、急ぐ旅ではありません。
 
甲斐百八霊場の5番目は、山梨市にある金峰山洞雲寺です。この辺りのお寺は、みな歴史が古く、武田信玄どころではありません。甲斐源氏、鎌倉時代ぐらいからあるお寺がたくさんあります。洞雲寺も800年ぐらいの歴史があるといわれます。古すぎて、途中で朽ち果て、豊臣時代ぐらいに再興されたといいます。
  
曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。集落のはずれ、登っていくと、まず丘の中腹に山門だけが見えてきます。道路から狭い道を上がっていくと、パッと視界が開けたところが洞雲寺。
 
広々した境内にはたくさんの観音像や灯籠などが配置されていて、静かなくつろぎを感じます。お寺の前にある地蔵群は、それぞれに小さな風車が誂えられていて、ときどき頬をかすめる涼風にきらきらと回っているのが印象的。かなり大きな涅槃像は、日本のお寺には珍しいものではないでしょうか。
御朱印  
まったく季節外れで残念でしたが、本堂の前の枝垂桜は知る人ぞ知るという有名な桜です。総じて甲州は桜で有名なお寺が多いようですね。境内には県の天然記念物に指定されている梅もありました。いまごろ行くのはもったいない! 早春に訪ねるのが一番でしょうね。観光化されているお寺ではないので、平日なら静謐なひとときが楽しめます。



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2007/09/02  (日) 

横浜中華街

横浜スタジアムに行く用事があって(笑)、みなとみらい線の「元町・中華街」駅で降り、久しぶりに横浜中華街を通りました。スタジアムに行くだけならJR関内駅徒歩1分なのですが、今日は突然、「肉まんを食べたい!」という気分になり、わざわざ遠回りして出かけていきました。
 
週末の中華街は、歩いていても渋滞するほどの混雑で、本当はあまり通りたくないところ。だから、ずいぶん久しぶりだったのですが、その変容ぶりにびっくり。ちょっと前までは閑散として、ちょっと暗いムードだった関帝廟通りだったはずが、すっかり賑やかになり、お店もずいぶん増えていました。中華料理のお店もありますが、アクセサリー、おみやげ品のような店がいっぱい。もはやメインストリートと並ぶくらいの賑やかさです。
  
市場通りなどの小路の風情はさほど変わらない感じはしましたが、もともとあるお店でも改装したり化粧直ししたところがけっこうあるような(何年も行ってないような言い方ですね)。そして、お昼時だったからかもしれませんが、どのお店も、どのお店も行列! 関帝廟通りばかりではなく、タコ足配線的に中華街は増殖し、変容し、すっかり立派な観光地になったようです。
  それでも今日はすいてるほう

 
関帝廟も、かつては閑散としていたものですが、携帯電話で記念写真を撮る人々でごった返しているような。お線香の煙も絶え間なく上がっていました。恥ずかしながら、関帝廟が関羽を祀っているところだとは、最近まで知りませんでした。三国志は好きで、いろいろな人の本を読んだものだけど、それを知ったとき、蜀の武将じゃない、なんで商売繁盛と関係があるんだろう? 別人? と思ったくらいです。
中国らしい華やかさ関帝廟 

 
関羽はすぐれた武将であると同時に、蓄財にも優れた能力を発揮したとかで、中国でも商売の神様としてあがめられているそうですね。そう、優れた武将であったかもしれないけど、蜀って、ある意味、侵略国家じゃないでしょうかね(^_^;) 私はちょっと呉のひいきだったりして(笑)
 
さて、肉まんです。ときどき買っていた、かつては中華街とはいえなかったような外れのお店へ行きました。中華街の肉まんは、どれもそれなりにおいしいので、あとは好みの問題かと思いますが、ここの肉まん、けっこう気に入ってました。そしたら、「いま、売り切れた。あとの、解氷中」と言われてしまいました。みると、自然解氷中らしく、台の上に凍った肉まんが転がってる……。これじゃ、いつになったら蒸し上がるかわからない……。
 
あきらめました。ああ、やっぱり肉まんが食べたかった〜! 今日は夢に見そうです(^_^;)



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2007/09/01  (土) 

永福稲荷神社「しょうが祭」

江戸時代、甲州街道八王子宿場の入口にあったのが永福稲荷神社です。9月1日に行われる例祭は、神社がこの地に勧請されてからずっと続いているという「しょうが祭り」。いまでも神社周辺の道路に市が立ち、生姜が山のように積み上げられています。
 
私が行ったのはお昼頃で、まだ市は立ちはじめだったのでしょうか、生姜のお店もまばら。たこ焼きや焼きそばの屋台も「いま、作ってまーす」という感じでした。生姜の鮮度を保つために水をかける風情がおもしろいといわれていましたが、本日、霧雨という感じで、わざわざ水はかけないでしょう……。
 
生姜は風邪によいといわれます。江戸時代は多くの人々が無病息災を願って生姜を買いに来たとのことですが、いまは、ま、スーパーでも売ってますしねぇ。往年の賑わいはないように感じます。それでもたくさんの生姜を買い求め、リュックに詰めて背負って帰るご夫妻などを見かけました。
  
また、無病息災、交通安全を願う軍配も縁起物として売られています。この神社に勧請した力士にちなんで軍配が配られるようになったそうです。
 
永福稲荷はJR八王子駅から5、6分のところにあるのですが、私は京王線の八王子駅から行き、どうやら角を曲がり間違えたままどんどん進んでいったら、浅川に出てしまいました。前回、浅川周辺をうろうろしたのは初夏だったのですが、季節が変わると川の風情もかなり変わるものですね。なんて、暢気なこと言ってられない、霧雨だけど雨は降っているし(-_-;) 
  
なんと30分近く歩き続けてしまいました。さすが、豊臣秀吉だ、武田信玄だという時代から賑わっていた街だけあります。道はまっすぐじゃないし〜。やっとたどりついて、お祭やっててよかった!と思いました。これで中止だったら、踏んだり蹴ったり。



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野菜の日
行人坂界隈