宝鏡寺(甲斐霊場27番)
宝鏡寺ではたくさんの羅漢さんが出迎えてくれました。本堂の脇、庫裏の前には白砂の庭があり、羅漢さんを眺めながらゆっくり休憩できるようにもなっています。羅漢さんは一つ一つ表情が違うので、本当に見ていても飽きませんね。
このお寺は、1346(貞和2)年、北条重時の息子である鶏岳永金という僧によって開山されたそうです。境内は広々としていて、庭園も手入れが行き届いています。が……、犬が一匹、放し飼いでウロウロしていて、私は固まってしまいました。お寺の犬なのだから、殺生はしまいと思いつつ、やっぱり知らない犬はねぇ。この辺の家では放し飼いは当たり前なのでしょうか。まあ、広いから、他人に迷惑のかかることはないでしょうが。
本堂の右手にある庫裏は300年以上前に建てられたものだそうで、間口7間、奥行15間といいますから、12メートル以上、奥行きは27メートルぐらいですか。1間って1.8メートルですよね? 古い木造の家としてはかなり大きなものです。
本堂の裏山には羅漢堂があり、旧山門を取り壊したときの門柱を材料にして彫った十六羅漢をはじめとする100体以上の羅漢像があり、毎年、増えているのだとか。庫裏の廊下から108段の階段を上ると羅漢堂に行けるそうです。私たちは残念ながら羅漢堂までは行かれませんでした。
羅漢堂のある裏山には、県の天然記念物に指定されているヤマブキソウが群生していて、4月下旬から5月上旬には山を黄色に染めるそうです。この群生地は1万坪はあるそうですから、きっとすごい迫力なのでは? この時期には多くの人がヤマブキソウを見に訪れるようです。ヤマブキソウは、ヤマブキに似た黄色い花で、ヤマブキの花弁が5枚なのに対し、こちらは4枚。この山にはヤマブキソウばかりではなく、エンレイソウやイチリンソウなどの山の花が咲き乱れるそうです。うーん、やっぱりお寺めぐりは春がよさそうですね。
広教寺(甲斐霊場26番)
江戸時代は、この地域でも何本の指に数えられるというくらい大きなお寺だったそうですが、100年程前の火災で全焼してしまったそうです。いまは門を入ると正面に本堂、右手に鐘楼、左手には瑞宝殿がある、普通の規模のお寺です。中をみせていただくことはできませんでしたが、瑞宝殿には善光寺如来、豊川稲荷、七福神の福禄寿が祀られているそうです。
ご本尊の地蔵菩薩像は1390(明徳元)年に京都の仏師である七条法眼により刻まれたものという説明板がありました。また、高さ10センチほどの像を中心に、千体の薬師像が厨子の中に安置されているという珍しい仏像もあり、これが寺宝なのだそうです。1709(宝永6)年に作られたものだとか。
このあたりは「大幡」というくらいで、機織りの盛んな地域だったそうです。これは主として女性たちの仕事。織物仕事で忙しい女性たちの楽しみが広教寺の善光寺如来祭りと千躰薬師祭りだったそうで、いまでも)女性たちの信仰が厚いお寺であるそうな。
御朱印をいただくと、お線香をつけるための火傷防止フードのついたライターをいただきました。実態は使い捨てライターですが、長く火をつけていても手元が暑くならないように、火の出るところに長い筒状のカバーがついています。なるほど、これならろうそくをつけなくてもお線香に火をつけられますね。
長生寺(甲斐霊場25番)
長生寺は1469(文明元)年、武田信昌によって開かれ、その後、このあたりの領主だった小山田信有などの菩提寺として信仰されてきたお寺です。参道入口にはこれらの歴代領主の名前を彫った「開基塔」が立てられています。しかし、1882(明治15)年の火災で「中雀門」を残して全山焼失し、文化財なども行方不明になったりして、廃寺寸前にまでなったそうです。
1981(昭和56)年の開創500年を期に再建され、現在の姿になったとか。参道の入り口の石段の上にある「中雀門」は唯一、焼け残ったもので、17世紀初頭の建築らしいです。門の両脇にそそりたつ杉の大木が見事でした。
この寺には幼稚園があり、境内は子どもの遊び場になっています。保育士の方にうかがって、奥の庫裏へ。ごめんくださいと声をかける暇もなく、玄関前には「御朱印は自分で押して行け」という案内がありました。そういうわけで、自主制作の御朱印です(-_-;)
幼稚園があって、人はいっぱいいるようだし、庫裏の玄関や窓は開いているわけです。これまでも住職がお留守のお寺は数ありましたし、作り置きの紙に大黒さん、坊守さんが日付だけ書き込んで渡されるということはありました。しかし、自主制作というのは……。大儀という言葉は、「くたびれてだるい、何をするのもおっくう」という意味があるようですが、大儀山長生寺、御朱印を押すもの大儀? そのぐらいじゃないと長生きしない?
丹波の枝豆
神戸の叔父が「丹波黒豆の枝豆」を送ってくれました。見かけはあまりかわいくないのですが(笑)、これが本当においしいんです! さっそく塩茹でにしてみました。ビール好きには、たまらないのでは? 私はお茶でいただきましたが(^_^;)
それから豆ご飯にしました。普通の枝豆より、粒が大きくて、ふっくら、柔らかいけど、しっかり存在を主張してるって感じです。いやぁ〜、思わず「おかわり!」。う〜ん、天高く馬も肥ゆるが、人も肥ゆる……。
丹波の黒大豆は、1797(寛西11)年の丹波国大絵図にすでに丹波国名産として記載されているそうで、栽培の起源はずいぶん古いものなんですね。丹波篠山藩主松平公のお気に入りで、そのために年貢を米のかわりに黒大豆で納めていたという歴史があるのだとか。将軍にも献上したので、江戸でも「丹波の黒豆」は有名になったんですって。
炊き方がヘタで、色は地味になりました(-_-;)
身内誉めになりますが、神戸の叔父はグルメで、料理も上手です。初春に自分で煮た「いかなご」を送ってくれたり、ときにはこれも自分で煮た茎わかめの佃煮を送ってくれたり。これを我が家ではチビチビと楽しんで食べています。
最初は「いかなご」という魚を聞いたことがありませんでした。関東では、たぶん「こうなご」と言うと思います。実は関西では「いかなごの釘煮」って、有名な食べ物だそうですね。叔父に送ってもらうまで、まったく知りませんでした。「食」って、本当に地方によって違うものです。
今年は不漁で作れなかったとのこと。残念でした。暖冬だったり、神戸空港ができて潮の流れが変わったり……、ということらしいのですが、環境破壊は我が家の食卓も直撃ですよ!
最近、叔父が送ってくれたのは「筋肉」のカレー。「牛筋」というものがあるのは、もちろん知っていましたが、関東ではあまり見かけないものではないでしょうか。おでんなどに「すじ」というものが存在するのを見たことはありますが、私は食べたことがありませんでした。「いい筋がはいったから」と言って、カレーに仕立て、冷凍して送ってくれたのですが、これが絶品! もっとも筋がおいしいのか、手作りのカレールーそのものがおいしいのか……(笑) 身内ながら叔父の料理の腕に感心してしまったのであります。
今日は茄子カレーにしてみました
里神楽
先日、例大祭のお神輿をみせてもらった布多天神社を通りかかったら、里神楽をやっていました。例大祭のときは、こういう舞台でつまらない演芸なんかやってて、なんだかなぁと思った神楽殿。そうか、今日は25日で天神様の縁日なんですね。「ちょっとは賢くなりますように」と、まずは学業の神様にお参りして、しばし、里神楽を見物させてもらいました。あとから聞いた話によれば、9月の例大祭のときは、夜神楽として上演されるそうです。
演目は「八幡山」。「やわたやま」と読みます。「はちまんやま」では、京王線の駅ですね(笑) お囃子の方が説明をしてました。途中からだったのでよくわかりませんが、神武天皇なんたら、かんたら……。里神楽の演目には、「古事記」や「日本書紀」などの神話を題材とした神代神楽と、「お伽草紙」を題材としたお伽神楽、能や歌舞伎の演目を素材にした現代神楽があるそうです。このとき上演されていたのは神代神楽なのでしょう。
お面や装束をつけて、身振り手振りで表現する演者と笛と太鼓のお囃子の方々が舞台に上がっています。台詞のない無言劇ですが、ときどき太鼓の方が解説をしてくれていました。
かなり薄暗い舞台なので、シャッタースピードが遅く、写真はぶれっぱなしですが、雰囲気は伝わるでしょうか。たまたま通りかかったときにカメラを持っていたのは、私にしてはファインプレーでした(笑) いつも「たまたま」とか「ついでに」の話題が多くて心苦しいですが(^_^;)
もともと写真を撮るのも撮られるのもあまり好きではなく旅行に行っても写真は撮らないというタイプだったのですが、こんなものを書き始めちゃって(^_^;)、なぜかカメラを携帯していることが多くなりました。「立派なブロガーに育ちましたね」とシステム担当のNU-FACEさんにほめられました(-_-;)
天神様といえば、そろそろ受験のお守りに人気が集まる季節になりました。