芝丸山古墳
ここがどこだかわかりますか? 芝公園の一角といっていいのか、「芝丸山古墳」です。東京タワーの根元、なんと首都高速の芝公園出口のまん前。何十回となく通ったところなのに、こんな風景があるとは、まったく気づきませんでした。「書を捨てよ、街へ出でよ」じゃないけれど、油代がなくて「車を捨てよ、足を使えよ」というわけで、ふらふら歩いていると「へぇ〜」という風景にも出会えるものですね。
ここは5世紀後半に作られたという前方後円墳です。埴輪などが出土しているそうで、東京都の指定史跡になっています。全長106メートル、前方部幅40メートル・高さ6メートル、後円部径64メートル・高8メートル、くびれ部が幅22メートル。プリンスパークタワーを建てるために裏のほうは削られてしまったとか。タワー完成後にすぐ堤総帥が逮捕されたので、地元の人は「古代人のたたりじゃ〜!」と言ったとか言わないとか(笑)
この古墳は登ることができ、上は広場になっていて伊能忠敬の碑があります。忠敬はここで測量の予行練習をしたとされているので、ここは実測日本地図の原点かもしれませんよ。古墳の麓には「丸山貝塚」があり、「円山随身稲荷大明神」というお稲荷さんが祀ってあります。円山=丸山でしょうね。
後円部にこのへんの族長だった人が埋葬されていたと推定されているそうですが、古墳も貝塚もほとんどの部分が未調査のようです。江戸時代以前の話なのですから、このへんは海っぺりだったのではないでしょうか。私が知らないっていうだけで、都心にもけっこうおもしろい場所があるものです。
成田山新勝寺
お祭を見ただけでお参りもせずに帰ってくると失礼にあたりますから(笑)、新勝寺にもちゃんと参詣してきました。さすがに関東でお不動さまといえば成田山というくらいで、広い! 大きい! 真言宗智山派の大本山で、ご本尊は不動明王。平将門の乱平定祈願のため、940(天慶3)年に僧・寛朝が空海作の不動明王像を奉じて不動護摩の儀式を行ったのが開基とされています。
江戸時代には、江戸でたびたび成田不動の「出開帳」が行われ、成田詣でのできない江戸庶民の間でたいそう人気があったようです。深川のお不動さまに行ったときも出開帳の話をききました。1703(元禄16)年に深川永代寺で行われたのが最初の出開帳で、江戸時代を通じて計12回の出開帳が行われた記録があるそうです。確かに電車に乗っても「遠い〜」と愚痴がでそうな距離ですから、江戸から歩いてくるのは大変なことだったでしょう。来てくださるならありがたや(^_^;)
入口にやけに新しい大きな総門ができていました。3年8か月をかけて2007年11月28日に完成したそうです。高さ15メートル、桁行14メートル、梁行6メートルもあるという立派なものですが、真新しいとなんだかありがたみがないような(笑) わがままな観光客でございます。
新勝寺は今年、開基1070年祭だそうです。ん? 計算が合わない……。まあ、お祝いごとは早めに、かな。この総門は1070年記念。総欅造りで、2階部分には不動明王や千手観音、大日如来など8体の木製仏像が安置されているとか。外からは見えません。
古いだけでありがたみが……、という単純な観光客には大本堂左裏の階段を上ったところにある額堂が圧巻でした。1861(文久元)年に建てられたもので、入母屋桟瓦葺屋根というのだそうです。絵馬を掲げるための建物ですが、現在は掛けられていた絵馬も重要な文化財ということで成田山霊光館に保管されています。この額堂そのものも国の重要文化財。
奥の院は天井の低いトンネルのようなものの中にご本尊があり、年に1回、祇園会のときだけご開帳らしいです。出口のところで、中から出てきた人に入口を教わり、戻って中に入ってみました。で、出てきたときにちょうどさっきの私たちのように覗き込んでいた人たちがいたので、同じように「年に1回しか見られないそうですよ」と声をかけたら、これが外国人だった(-_-;) アジア人だけど、英語で「中に何があるのか?」と聞かれ、うーん、仏像って英語でなんていう? スタチューかい? 手を前で合わせて仏像のジェスチャーをするハメになりました(笑) 思わぬ試練。痛っ!
境内はアップダウンがあり、坂道、階段にこと欠きません。美しい庭園もありますが、上から見られる範囲にとどめました。いい運動になりますよ〜、成田山詣で。
成田山祇園会
久しぶりのお祭ウォッチャー、成田山祇園祭へ行ってきました。京成電車にはじめて乗りました\(^o^)/ 祇園会は奥の院のご本尊、大日如来に五穀豊穣をはじめ諸願成就を祈願するお祭りです。江戸亨保年間にはすでに行なわれていたというお祭りで、300年以上の歴史があるようです。
近隣の町内の山車や屋台などが10台うち揃い、成田駅から成田山までの表参道を中心に巡行しています。メインは日曜日の10台揃っての引き回しらしいのですが、土曜日に行ったので10台全部は出ていなかったようです。7、8台ぐらいしか見かけませんでした。同じ山車が参道を行ったり来たりしているような。時間によって、輪番になっているのかも。
山車が練り歩く参道は、広くはありませんが、門前町という風情のある坂道。門前から駅へ向かっての上り坂でお囃子の人や音頭をとる人を乗せた重そうな山車を引っ張り上げるのはなかなか大変そうでした。2本の綱を大勢で引きますが、みんな汗びっしょり。逆コースを行くときは、前に綱が1本、後ろに1本が回ります。なんでかなぁと思ったら、ブレーキなんですね、後ろの綱は!
沿道のもとは旅籠かしらという商店の2階から釣竿のようなものが、山車に向かって差し出されます。「何を釣るつもり?」と思って見ていたら、竿の先にご祝儀を下げて、山車の上に乗っている人に差し出しているのです。参道が狭くて、山車には高さがあって、ちょうどいいところに2階の窓があるというところから生まれたのでしょうけど、江戸時代からこんなことが行われていたのでしょうか。おもしろい風習ですね!
山車は着飾った稚児さんたちが先導します。街によって稚児さんの衣装もいろいろですが、花笠を背にしていたり、旅姿だったり、それぞれが錫杖を鳴らしながら歩く子どもたちがとてもかわいい!
食い意地だけは誰にも負けないつもりなのですが、ここらあたりの名物はうなぎの蒲焼なのでしょうか。うなぎやさんをかなり見かけます。「きゅうりの浅漬け」を丸ごと串に刺して売っているが気になって、気になって。かわいい双子ちゃんがかじっているのを見かけ、ついに誘惑に負けました(笑) 今日は暑かったので、さっぱりしたきゅうりがとてもおいしかった!
お祭に参加している人たちは老いも若きも本当に楽しそう! 地域に大きなお祭のあるところはうらやましいですね。引っ越そうかしら?
制服がいっぱい!
サミットの警戒ということで、都心部は毎日、多くの警察官の姿を見かけます。都営地下鉄新宿線新宿駅駅の改札口では5メートル置きに3人ずつぐらい立っていて、しかも脚立のようなものに乗って、周囲を睥睨してたりして。都庁に近いからでしょうか。あまりの厳重ぶりに、ちょっと「へぇ〜」って感じ。そんなに危ないんですかね、サミット期間中(^_^;)
アメリカ大使館のある辺りでは、クルマも検問されたりで、なかなか大変らしいです。そういえば、四谷にオフィスのある友人が、誰かが迎賓館に来ているとかで、事務所を出たり入ったりするたびに検問で、一日に何回もトランクを開けさせられるってぼやいていたことがありました。住民でもお目こぼしはなくて、「今日はこれで4回目だ〜!」と叫んでも、問答無用だったそうです。近くの人は大変ですね。
宝珠院
最近、ちょっと東京タワーの足元をチョロチョロすることが多くなったので、今日は宝珠院を訪ねてみました。宝珠院には、港区指定文化財の閻魔大王の像があります。1685(貞亨2)年(1685)の作といわれる寄木作りの高さ2メートルもある像だそうですが、当然のことながら、ふらっと言って見せてもらえるわけではありません(^_^;) 右に司録、左に司命の2像を従えている像は都内では珍しいのだそうです。徳川家康も信仰したとのこと。電話で予約をすれば見せてもらえるそうです。
宝珠院は、増上寺の三十世霊玄上人が開いたもので、古地図を見るとはじめはもう少し増上寺に近いところにあったような? 引っ越したのでしょうか。それとも地図の歪みの問題かな。
宝珠院の前は弁天池。ベンチなどが置いてあり、カップルが熱心に話しこんでいました。恋の語らい? それとも仕事の打ち合わせかな(笑) イチコク(桜田通り)から、ちょっとだけずれているせいでしょうか、都心なのに奇妙に静かです。
隣はプリンスの駐車場の入口で、その隣に三康図書館、研究所という仏教関係の本を集めた図書館がありました。そして振り向けば、東京タワーがそそり立っています。でか〜!