「クライマーズ・ハイ」
クライマーズのほうに関しては、どうしてあんな垂直のところまでよじ登りたがるかねぇ。私にはわからない世界です(笑) 「降りるために登る」というのは、けだし名言かも、と思いました。いらないんじゃないかというシーンもいくつかあるように思いますが、全体としておもしろかったです。堤真一はいいなぁ〜。とくに声が。ややガニマタのところは許します(笑)
8月12日の日航機墜落事故からもう23年もたつのですね。リアルタイムで知らなかった人々がもう23歳になるのかと思えば……。23歳というか、20台の人はほとんど記憶にないですよね、きっと。この時期なると、報道特集などでときどき話題になるので、リアルタイムでは覚えていなくても後追いの記憶として刻まれている部分もあるかもしれません。
事故原因が何だったのか、いまだに正確にはわかっていないそうですが、これで飛行機恐怖症の人もずいぶん製造されたらしいですよね。私もこの事故のせいというわけではありませんが、JALよりANAのほうが好きです(^_^;) JALは事故、多すぎるよ……。ANAの株でも買おうかしら? 株主優待よりも早割りのほうが安いのに?(笑)
神宮球場
売店で売っている食べ物、雑貨類も充実したみたいです。バックスクリーンが改装されたのが今年からだから、今年からかもしれませんね。ほとんど行ったことがないうえに、カメラなんか持ち込むこともめったにないので、誤情報かもしれませんが(^_^;) スタジアムの外野バックヤードもなんとかしようよ……。
外野席はライト側は9割がた埋まり、レフトのほうは自由席が7割ぐらい、指定席がポツポツぐらい。内野はほんとに、「数えちゃうぞ!」というくらい少ない観客で……。今日はミラクル、横浜ベイスターズが快勝しましたが、だいたいこのカード、スワローズの勝率が高いと思います。あんまり神宮でいい思いしたことない……。だから、スワローズファンのみなさん、もっと見に来てあげようよ(笑)
夏のナイトゲームは、ビールがおいしいですよ(^_^;) というわけで、ちょっと飲みすぎ(私にしてはで、わずか2杯)、途中から眠くなって、眠くなって。寝るわけにもいかないので、目覚ましに3年ぶりぐらいにソフトクリームまで食べてしまいました。明日、体重計に乗るのが怖いです(-_-;)
芝東照宮
丸山古墳を増上寺のほうへ歩いていくと、隣に「東照宮」があります。もちろん、日光と同く徳川家康を祀った神社です。もともとは徳川の菩提寺である増上寺の境内にあったのが、明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となってお隣へ引っ越したもの。家康が1601(慶長6)年、還暦記念の自分の像を刻ませた「寿像」がここに祀られているそうです。
小さな社殿で、境内も広くはありませんが、入口の鳥居は立派。参道の突き当たりに階段があります。1633(寛永10)年に3代将軍家光が社殿を造ったときは、惣門が駿府城から移築され、鳥居が福岡藩主黒田忠之が寄進し、本殿のまわりには拝殿や唐門、立派な塀などがあったそうですが、1945(昭和20)年5月25日のほうの東京大空襲ですべて焼けてしまったのだとか。
焼け残ったのが「寿像」と境内のイチョウの木。家光が植えたという伝承もあるくらいで、樹齢300年以上、高さ20メートル以上、根元の幹の周囲は10メートル近くあります。いや、立派、立派! この大木の周り、境内のそこここには「献木」と書かれた札が下がっている木がたくさんありました。まだ、若い木、細い木が多いようです。都会の緑を増やし、CO2削減に寄与しましょう運動実施中かな?
芝丸山古墳
ここがどこだかわかりますか? 芝公園の一角といっていいのか、「芝丸山古墳」です。東京タワーの根元、なんと首都高速の芝公園出口のまん前。何十回となく通ったところなのに、こんな風景があるとは、まったく気づきませんでした。「書を捨てよ、街へ出でよ」じゃないけれど、油代がなくて「車を捨てよ、足を使えよ」というわけで、ふらふら歩いていると「へぇ〜」という風景にも出会えるものですね。
ここは5世紀後半に作られたという前方後円墳です。埴輪などが出土しているそうで、東京都の指定史跡になっています。全長106メートル、前方部幅40メートル・高さ6メートル、後円部径64メートル・高8メートル、くびれ部が幅22メートル。プリンスパークタワーを建てるために裏のほうは削られてしまったとか。タワー完成後にすぐ堤総帥が逮捕されたので、地元の人は「古代人のたたりじゃ〜!」と言ったとか言わないとか(笑)
この古墳は登ることができ、上は広場になっていて伊能忠敬の碑があります。忠敬はここで測量の予行練習をしたとされているので、ここは実測日本地図の原点かもしれませんよ。古墳の麓には「丸山貝塚」があり、「円山随身稲荷大明神」というお稲荷さんが祀ってあります。円山=丸山でしょうね。
後円部にこのへんの族長だった人が埋葬されていたと推定されているそうですが、古墳も貝塚もほとんどの部分が未調査のようです。江戸時代以前の話なのですから、このへんは海っぺりだったのではないでしょうか。私が知らないっていうだけで、都心にもけっこうおもしろい場所があるものです。
成田山新勝寺
お祭を見ただけでお参りもせずに帰ってくると失礼にあたりますから(笑)、新勝寺にもちゃんと参詣してきました。さすがに関東でお不動さまといえば成田山というくらいで、広い! 大きい! 真言宗智山派の大本山で、ご本尊は不動明王。平将門の乱平定祈願のため、940(天慶3)年に僧・寛朝が空海作の不動明王像を奉じて不動護摩の儀式を行ったのが開基とされています。
江戸時代には、江戸でたびたび成田不動の「出開帳」が行われ、成田詣でのできない江戸庶民の間でたいそう人気があったようです。深川のお不動さまに行ったときも出開帳の話をききました。1703(元禄16)年に深川永代寺で行われたのが最初の出開帳で、江戸時代を通じて計12回の出開帳が行われた記録があるそうです。確かに電車に乗っても「遠い〜」と愚痴がでそうな距離ですから、江戸から歩いてくるのは大変なことだったでしょう。来てくださるならありがたや(^_^;)
入口にやけに新しい大きな総門ができていました。3年8か月をかけて2007年11月28日に完成したそうです。高さ15メートル、桁行14メートル、梁行6メートルもあるという立派なものですが、真新しいとなんだかありがたみがないような(笑) わがままな観光客でございます。
新勝寺は今年、開基1070年祭だそうです。ん? 計算が合わない……。まあ、お祝いごとは早めに、かな。この総門は1070年記念。総欅造りで、2階部分には不動明王や千手観音、大日如来など8体の木製仏像が安置されているとか。外からは見えません。
古いだけでありがたみが……、という単純な観光客には大本堂左裏の階段を上ったところにある額堂が圧巻でした。1861(文久元)年に建てられたもので、入母屋桟瓦葺屋根というのだそうです。絵馬を掲げるための建物ですが、現在は掛けられていた絵馬も重要な文化財ということで成田山霊光館に保管されています。この額堂そのものも国の重要文化財。
奥の院は天井の低いトンネルのようなものの中にご本尊があり、年に1回、祇園会のときだけご開帳らしいです。出口のところで、中から出てきた人に入口を教わり、戻って中に入ってみました。で、出てきたときにちょうどさっきの私たちのように覗き込んでいた人たちがいたので、同じように「年に1回しか見られないそうですよ」と声をかけたら、これが外国人だった(-_-;) アジア人だけど、英語で「中に何があるのか?」と聞かれ、うーん、仏像って英語でなんていう? スタチューかい? 手を前で合わせて仏像のジェスチャーをするハメになりました(笑) 思わぬ試練。痛っ!
境内はアップダウンがあり、坂道、階段にこと欠きません。美しい庭園もありますが、上から見られる範囲にとどめました。いい運動になりますよ〜、成田山詣で。