薬王寺(甲斐霊場第95番)
薬王寺の山号、河浦山は、芦川にちなんだものといわれますが、このお寺があるのはJR身延線芦川駅の近く。芦川の渓谷とは少し離れて、せせらぎも感じられないあたりになります。お墓所はかんかん照りで、車もサウナになりそう。境内には木立が見えますが、中へはクルマでは入れません。階段のギリギリまで寄せさせていただいて、やっと木陰に半分入って停車しました。
お寺の正面、入口脇に「後陽成院第八之宮良純親王遺跡」の石標があります。良純親王は、後陽成天皇第八の皇子だそうですが、徳川家康に引き取られたことで一応、歴史上に名前の出てくる人みたいです。天皇家には関心がないので、石原家と関係があるのかと思った(笑) この良純さんが、結局は甲斐に流され、1655(明暦元)年から5年間住んでいたのがこのお寺だそうです。芦川を京都の鴨川に見たてて、親王を慰めるためだったといいますが、似てるのかなぁ、鴨川と。
入口から山門へ向かって石燈篭がずらっと並んでいるのが印象的でした。境内には甲斐の七福神のえびす様も祭られていますが、比較的、新しいもののようです。かつては七堂伽藍が建ち並び、多くの人が暮らしていたということですが、いまはひっそりとして、外観だけではあまり特徴のないお寺さんのように感じます。ごめんなさい。
光勝寺(甲斐霊場第94番)
静けさや……という句が似合いそうな、山あいの古いお堂が市瀬山光勝寺でした。長い間、無住だったとのこと、もう少しで朽ちてしまうのではないかといらぬ心配をしていまいそうですが、現在は本堂の横手に立派な庫裏も建ち、十分にお世話をしてもらっているようです。
長い石段を登っていくと広目天と多聞天が目を光らせている山門があり、その奥の深い木立ちの中に本堂はあります。この山門にはわらじがたくさん掛けられていて、それを見るとここがかつて旅人の守護をしていたお寺であったことが偲ばれます。山を越えて旅をする人々が、道中の安全を願って、ここのわらじを奉納したのうでしょう。鎌倉時代には、武田一族が頼朝への奉仕で交代通行の際に、この寺で人馬の足を休ませたといいます。参 勤交代のようなものが、鎌倉時代にもあったんですね。
このお寺は1220(承久2)年、宥教によって高野山金剛頂院の末寺として、真言密教の行の道場として開かれました。いまも高野山真言宗のお寺。ご本尊は千手観音菩薩で、運慶の作といわれますが、ほんとかな? 14世紀初頭には後醍醐天皇の勅願寺となっていたそうです。
お寺のすぐ前には芦川の渓流が音をたてて流れていました。岩場があり、流れはなかなかに強そうですが、水量は少ないため、子どもたちの格好の遊び場のようです。夏休みに入った午後、数人の子どもたちの歓声が聞こえてきます。涼しそうでうらやましい限り。紫陽花の季節にはお寺の背後の山を彩り、新緑の頃には渓谷が山吹色に染まるのだとか。自然が堪能できるお寺の一つです。
信州の桃
昨年までは、同じ信州でも真田から桃を届けてもらっていました。こちらは90歳も間近な老ご夫妻がふたりだけで育てていた桃で、桃はおいしく育っていたのですが、後継者が育たず……。昨秋、ついにおじいちゃまが寝たきりになってしまって、今年は作ることができなくなりました。
「どこかに、おいしい桃はないでしょうかねぇ」とつぶやいた今年の冬、信州木島平スキースクールの先生が「桃なら、ここがピカイチ!」と紹介してくださったのが「かなえちゃん農園」です。この先生にスキーを教わったことはないのですが(^_^;)、スキー大会のオペレーションをやってくださる方で、年に2日、同じ小屋に閉じ込められて一緒に仕事をしています。冬は陽気なインストラクター、夏は木島平で野菜やお米を作っている「熱血! 竹内農園」のヒゲマスター。マスターの育てた野菜は、調布市の「新鮮屋」で買えます。お店が駅からちょっと遠くて、クルマも停められないので、あまりしばしばは行けないのですが(-_-;)
冷蔵庫を整理して、桃を冷やすスペースを作ると、夏だなぁと感じます。蒸し暑かったり、蚊に刺されたり、大雨や洪水が起こったり、いやなことばかりが続いている夏に、桃だけは本当にうれしい夏の便りです。
精進料理「柏亭」
器に盛られた料理は、季節の野菜や魚、テーブルの上で作られていくお豆腐など、少量ずつ、いろいろ楽しめて、知らないうちにお腹もいっぱい。インゲンの胡麻和えは、お庭にある柏の若葉が敷かれていて、見た目もきれいでした。「この葉っぱも食べられるの?」とバカな質問をしたのは、……、私です。さすがに柏の葉は食べられませんね。
アジのお刺身、鮎の姿焼きと精進料理の定番ともいえるお魚もおいしかったのですが、ユニークなのはミニトマトの入ったお味噌汁、というか、スープ風味? みんな「ふーん、珍しい、おいしい」とつぶやきながら楽しんでいました。コンロにかかっている白い液体はなに? 火をつけてしばし待つと、お豆腐になりました。ほどよくかたまり、野菜のフリーズドライのような薬味?でいただきます。これ、いい!
〆は深大寺らしく、手打ちのそばで。この辺りも都市化が進んでしまって、いまではもう蕎麦は収穫できないとのこと。茨城の蕎麦粉を使っているそうです。お腹がいっぱいでも、蕎麦って別腹系ですよね。さまざまなお料理でお腹がいっぱいのはずなのに、しっかりいただきました。
夏の暑い中に黒服で、法事もなかなかに汗だくなものですが、あっさりした精進料理というのもときにはいいものです。
永泰寺(甲斐霊場第93番)
霊亀山永泰寺は旧上九一色村古関、いまでは甲府市古関にあります。かのオウム事件で「サティアン」と呼ばれた建物があったことで一躍、全国区になった上九一色の地名は町村合併で消滅したのでした。なんだか、びみょ〜に残念(^_^;)
いまでは静かな山村の趣がある古関ですが、かつて険しい山道でありながらも甲府盆地から駿河へと抜ける重要な動脈だったそうです。武田と今川の付き合いを考えるとさもありなんという感じでしょうか。ひっそりとたたずむ永泰寺も、かつては道中の無事を願う旅人でににぎわう大きなお寺だったようです。石垣が積まれ、道路からは石段で登っていくお寺の入口には茅葺きの山門がしつらえてあり、門をくぐると本堂となかなか装飾的な釈迦堂、そして鐘楼があります。本堂の板戸は最近、張り替えられたらしくピカピカの新しい板でした。周囲の風雨にさらされた質感のある柱などと、なんだかそぐわない(^_^;) これも数年、あるいは数十年もたてば、しっくりとなじむのでしょう。
残念ながら中へは入れませんが、釈迦堂の中は欄間や天井に江戸時代の細工が施されているそうです。ご本尊の釈迦如来像は清涼寺式の彫刻で、京都にあったものを夢窓国師が戦乱によって火にかかるのを恐れてここに移したという言い伝えが残っています。
霊亀山という風変わりな山号は、ご本尊の釈迦如来像が洪水で流されそうになったとき、一匹の大亀が現れてこの像を背に乗せ、濁流を泳いで渡って助けたという由来があるのだとか。いい話のような怖い話のような……。
それより何より、せっかく訪ねたお寺なのに、カメラを持って行くのを忘れました〜。もう、取りには帰れないところまで来てから気づきました(-_-;) で、今回は携帯電話と途中で買ったインスタントカメラでしのぐことに。やっぱり画像はイマイチですね。まあ、いつものコンパクトデジカメでも、たいしていい写真が撮れてるわけじゃないけど(笑)