サザンテラス
ずっと工事中で鬱陶しいような新宿駅南口ですが、今年もサザンテラスが盛大にイルミネーションで飾られています。昨年はグリーン基調だったような気がするのですが、今年はブルーとホワイト。きれいではありますが、なんだか寒そうな配色で。世相を反映してますか? というか、夜は東京も本当に寒くなってきました。寒い夜に青と白では、よけい寒い感じがするというか(笑) でも、両脇に光の花が咲く小道など、とてもきれいです。
橋を渡った高島屋とか東急ハンズの側は、暖色が多用されていて好対照です。そちらは暖かそうではありますが、比べてみると、寒色系のほうがスキッとして美しく見えてしまいます。そのあたりは、好みの問題でもあるのでしょうが。
新宿駅からサザンテラスを奥のほうへ歩いていくと「祝福の泉」という小さなドームがありました。たくさんの人が並んでいるので「なんだろう?」と思って近づいてみました。このドームの下で何かスイッチのようなものを押すと、ドーム全体の色が何色かに変わるようです。それが、ふたりの未来をあらわす……とか。
それで、たくさんのカップルが並んでいたのですね。小さな坊やとおばあちゃんらしき人がスイッチを押している姿もあって、ほほえましかったです。これを考えた人の趣旨には反するのかもしれませんが(笑) 人が入れ代わるたびにいろいろな色に変わるイルミネーションは、しばし、見とれます。
経済は日に日に悪くなっていくようで、2009年は大失業時代かと思わせるような情勢ですが、こんなに華やかなイルミネーションがあっちこっちで展開されているのですから、日本経済、まだ傷は浅いんでしょうかね? そうでもないような気はしますが……。よい未来を占ってもらったカップル、そのまま明るい未来が開けるといいですね。
五條天神社&花園稲荷
大仏さまの先には五條天神社があります。医薬の神様なのだそうです。あっちこっち痛めていて、最近は薬のお世話にもなっているので、ちょっと参っておきましょう。日本武尊が薬祖神を祀られたというのですがら、まさに本道です。漢方薬愛用者の私にはぴったり(笑) 日本橋にある薬事協会ビルの屋上には、薬祖神社として分霊もお祀りされているそうで、医薬の関係者には、大切にされている神様のようです。
大晦日には古札焼納式があり、夕方7時から元日早朝までお焚き上げがあるそうです。もう薪が積み上げられ、準備万端ですね。でも、大雨などが降ったらどうするのでしょう。ちょっと心配(^_^;) 半年間の穢れを祓う茅の輪も準備されていました。まだ通行止めですが、新年には多くの人がお祓いに訪れることでしょう。
五條天神社の横の階段を登っていくと、花園稲荷があります。古くは忍岡稲荷と呼ばれ、五條天神社よりも歴史が古いとか。石窟の上にあったことから穴稲荷ともいわれています。ここは彰義隊の最後の激戦、穴稲荷門の戦があったところ。こんな手狭なところで? という感じです。原田左之助もここで戦ったのかなぁ、とか。また妄想ですね(笑)
池を回って信号を待っていると、「くさっ!」と思わず叫んでしまうような臭いが……。
振り返ってみると黄色の絨毯の上で何やら探し物をしている人がいます。ああ、ギンナンを拾っているのですね。見渡せば、あちらにも、こちらにも……。私はギンナン拾いをしたことはないのですが、好きな人は毎年、朝もはよから精を出すようです。
上野大仏
上野に大仏があるのを知っている人は多くないかもしれません。実は、私もまったく知りませんでした。友人に教えられて、「ほんと?」と。現場検証に行ってみると、ありました! 1631(寛永8)年に漆喰の釈迦如来坐像を建立したのが、はじめの一歩だったとか。それが1647(正保4)年に地震で倒壊。その後、こんどは金剛像として再興され、また地震で破損。1923(大正12)年に関東大震災で頭部が落下し、ついに解体されたのだとか。高さが約6メートルの釈迦如来坐像だったそうです。
解体された頭部と胴体部は寛永寺が保管して再建を図ったもの、資金不足で実現はしませんでした。戦時中は、武器を作るための鉄が足りないといわれ、一般の家庭からも鍋や釜が供出されるという騒ぎだったそうですね。この大仏さまも顔面をのぞいて、すべて軍需金属として供出され、再建計画はついえてしまったのです。
そして、残ったのが顔面部。これが上野精養軒の隣、パゴダ大仏山と呼ばれる丘の上に鎮座しています。1972(昭和47)年にレリーフとなってもとのところに戻ってきたそうです。パゴダってなに? 大仏さまの名前? と思ったら、隣にある薬師堂をパゴダ様式というのだとか。パゴダとは、ミャンマー様式による仏塔のことなのですって。
この上野大仏は、別名「合格大仏」と呼ばれ、知る人ぞ知る、密かに受験生を集めています。なぜ「合格大仏」かといえば、何度も何度も首が落ち、もう胴体もなくなって、顔だけが鎮座しているので「もう、これ以上、落ちようがない!」という理由です。なるほど(笑) なんとなく背水の陣の受験にむいていそうな合格祈願ですね。
そういう季節になりました。縁起堂本舗の合格祈願のお守りも、やはり12月から2月ぐらいが最盛期のようです。でも、それ以外の季節にもけっこうボチボチ注文をいただいているようなので、「なんでかな?」と思ったら、いわゆる「資格試験」というものがあるのですね。これは科目によって、夏だったり、秋だったり、いろいろな季節に行われているようです。なるほど。
東京の紅葉スポット3「旧岩崎邸庭園」
紅葉スポットといっていいのかどうか、戦後はGHQに接収され、その後に国有化されたなかで、用地転用や売却で切り取られ、広い芝生の庭はありますが、越後高田藩の中屋敷だったという大名庭園の面影はあまり残っていません。紅葉も「見事!」というほどの樹木が配されているわけでもありませんね。でも、建物のほうは「すごい!」です。さすがに三菱財閥……。
現在は都立公園になっていますが、素晴らしい建物と庭の一部はいまだに工事中。それでもある程度までは改修が終わって、2003年からおおむね公開されるようになったそうです。三菱財閥の3代目岩崎久弥が本邸としていた屋敷のうち、応接に使われていたという洋館、生活の場の一部だった和館、ビリヤード場の3棟が残されており、いずれも重要文化財になっています。
1896(明治29)年に竣工した洋館は、口が「ぽっかーん」となってしまうような建物ですが、内部もものすごく立派で凝っています。靴を脱いで中に入ることができるのですが、ご邸宅というよりは、むかしの立派な学校のような感じがしました。ベランダ・コロニアル様式というのだそうです。「マントルピースだけで、いくつあるって?」という感じ(笑) この洋館のベランダから、広々としたお庭が見渡せます。
和館は書院造を基調とした和風建築。岩崎家の生活の場として使用されていた建物の一部だそうです。ほんとうは550坪にもなる大邸宅でたくさんの建物があったのだとか。現存するのは大広間と茶室のあたり。ここではお茶などがいただけるようになっています。洋館とは船底天井の渡り廊下で結ばれていますが、こういう天井を見たのは竹生島以来(笑) 個人の家でねぇ。むかしの財閥って本当にお金持ちだったのですねぇ。室内なので、美しい形状がよく保たれています。
山小屋風の別館はビリヤード室。洋館とは地下道でつながっているそうです。スケールが違う……。ちょうど居合わせた工事の方が、「この階段でつながっていて、こっちは明かり取り」などと説明してくださいました。まだ改修が終了していないので、壁紙は明治のときのままになっているそうです。天井から下げられているランプも明治からずっと下がっている……。こちらは中には入れず、残念ながらビリヤード台は残っていないそうです。
紅葉よりもなによりも、圧倒されました(笑) 入口にある門に残っている紋、しゃれではありませんよ(笑) これが変化して、いまの三菱グループのマークになったそうです。ここでもボランティアの方々が時間を決めて説明してくだるようなので、その時間に行くといろいろ教えてもらえることがありそうです。
「グッドナイト スリイプタイト」
「グッドナイト スリイプタイト」は「ぐっすりとおやすみなさい」ぐらいの意味ですが、文字通り、舞台はずっと夫婦の寝室。いま離婚をして家を出て行く妻と、残される夫の会話からはじまります。残していく品物、持っていく品物……、片方にとっては思い出の品が片方にとっては忘れ去った記憶。「そんなこと言ったっけ?」「そんなこと言わない」というすれ違い。熟年離婚とか、定年離婚とか、ときどき聞く話で、こんなものなのかもと思わされます。私は経験がないので推測にすぎませんが(笑)
時が遡り、その品物、その記憶が再現されていくという趣向です。ああ、ありがちだなぁ……なんて。私はどちらかといえばキープ派なのですが、それでも思わず声を出して笑っちゃうシーンがいくつもありました。戸田恵子さんは期待通り、中井貴一さんは、ある意味「らしくない」感じで、それが意外性にもなり、おもしろい芝居となっています。ふたり芝居といっても共演のペットもかなり傑作。バンドの方々もユーモラスでした。「結婚してから何日目の話」というのがデジタルで表示されるのも愉快です。
「おもしろかったねー!」と言って、帰る際、出口が渋滞するのはなんとかなりませんかね、パルコ劇場。比較的、小さな劇場ですが、それでもどっと帰途につく人々に帰る手段はエレベーターが3基。パルコビルの9階にあり、下の店舗が閉店しているので階段も使えません。「階段、ないの〜?」と裏をのぞいたら従業員用のエレベーターがあり、こっそり乗せてもらっちゃって降りましたが……(^_^;)