とんだアクシデント
木島平スキー教室のツアーバスは、日曜日の午後3時、定刻に宿を出発しました。インストラクターがどたばたして一番遅くバスに乗り込んだのはご愛嬌ですむのでしょうかねぇ(笑) とにかくバスは出発し、1回目の休憩は横川SA。行きは中央道まっしぐらで来たのですが、帰りは長野道から上信越、関越、圏央道、中央道というコースで帰ることになりました。どっちでも大差ないので、ドライバーの好みだったり、道路状況だったり、気まぐれだったりで道を選びます。
20分ほどの時間に釜飯を食べる方、釜飯弁当を買う方、「おいっちに」と体操をなさる方、休憩の過ごし方もさまざまです。再びバスが動き出すと、ほとんどの方はこっくりこっくりと……。帰りのバスにはドライバーのほかにガイドさんもついていました。なんで必要なのかは不明。帰るだけなのに。まあ、おかげさまで主催者側のお世話役だった私もお役御免という感じで、うとうと……。
関越道をひた走り、花園ICを越えてしばらくたったころでしょうか、突然、バスがガタガタ揺れ始め、ガッガッと異音が発生し、バスの警報装置が鳴り始めました。最初は何の音だかわからず……。鳴り続ける音が警報音だと理解するころには異音も大きくなっていました。「なんだ、なんだ!」と思っているうちにバスは嵐山出口へ向かうランプウエイへ。車体もかなり揺れています。ひぇ〜。……。と言っている場合ではありません。私はお世話役がお仕事で来たので、とりあえず、「大丈夫です。バスはハドソン川には落ちませんから」と、ヘタな冗談で(-_-;) こういう場合、ドライバーを信頼するしか方法はありませんものね。乗客がパニックにならないようにするのが精一杯。おーい、無言のガイドさーん。これ、あなたの仕事ですよ〜(笑)
嵐山出口のゲート脇、道路公団(もう、ないか)の駐車場へ入る3メートルほど手前でついにバスは立ち往生しました。電気も消え、うんともすんともいいません。ドライバーは飛び出していって、まず後部に回り、エンジンの状態を確かめたようです。そして、携帯電話で何やら連絡を。続いてバスを降りた私が近づくと、「このバスは走行不能になっているので、すぐに代車を呼びました。小諸から1時間半ほどで着きます」とのこと。オイルシリンダーやオイルラインが破損し、このバスは油をタラタラ流しながら、部品のかけらをバラバラ落としながら、1キロぐらいを瀕死で走ってきたようです(-_-;) とりあえず、車内に戻り、お客さんに事情を話し、「一生、忘れられない思い出の旅になりましたね」と言ったら、みんな笑ってくれて……、助かりました(^_^;)
本線上で停まるといろいろ法的な問題などもあるようで、とにかくしゃにむにここまで来たというような感じです。そうしてくれたおかげで、ちょっと怖い思いはしましたが、お客さんが降りて本線上に出てしまう危険は避けられたり、何よりもトイレが使えるところで停まってくれたのはありがたかったです。なにせ、高齢者が多い団体だし(^_^;) しかし、ドライバーさん、よく頑張ったものですよ、ここまで。
管理棟へ行ってしまったドライバーとガイドさん。バスの外に出ていたら、若いおにいさんがやってきて、「後ろを走っていて、油をかぶった。どうしてくれるんだ!」と。そんなことを私に言われても……。お客さんだよ、私(笑) 「ドライバーはあっち!」と管理棟を指差しましたが、この人のほうが怖かった(-_-;) このクルマはもろにバスのオイルをかぶって油まみれになったそうです。そりゃ、怒って興奮してたかも。その後ろを走っていたクルマは部品を踏んでパンクしたということが後でわかりました。後続車まで危険に巻き込んでいたとはねぇ(-_-;)
高速隊が部品を集めて袋に入れてもってきました。でも、なんで覆面パトカー?(笑) 落ちた部品はこれだけではなく、まだ拾いきれないものが散乱しているそうです。すぐにお掃除隊が出発した模様。それはそうですね。道路は油まみれだし。後続車はたまったものではありません。
お客さんも三々五々トイレに行くと言って降りてきて、ボンネットを覗き込み、落ちていた部品を除きこみ、「ほう〜」とか「ひぇ〜」とか(笑) 笑いごとではないんですけどね。車体は「三菱ふそう」でしたが、「やっぱり三菱!」と妙なことに感心している人もいて、一度失った信用というのは、そういうものであるのだなぁと……。バスのナンバーが「197」、「だから、行くなっていうバスだったんだよ!」と言った人がいて、これはウケました。みんな写メでナンバーの写真を撮ったりして(笑)
1時間が過ぎたころ、再び、お客さんに「まもなく代替えのバスが到着すると思いますので」とご案内すると、「蕎麦屋の出前かぁ〜」「ただいま出ましたじゃないのかぁ〜」と言って笑われました(^_^;) いえ、大丈夫です。出ていることは確かですから。あと15以内に着くという連絡が入ったときには、「蕎麦屋でございまーす」とアナウンスしました(笑) やっとバスが到着したときには、心底、ほっとしましたよー。
しかし! それもこれも、ガイドさん、あなたの仕事ではないですか〜? アルバイトみたいな若いおねえさんだったので、文句はいいませんでしたが、さすがに1時間が経過したころ、「一度、車内のみなさんに、“あなたの口から”お詫びを言ってほしいのだけれど」と言ったら、「そうですね」と車内に入って行きましたが……。乗り換えて2時間遅れでバスが目的地に到着しようとするとき、「短い時間でしたが、本日は○○バスをご利用いただきまして、ありがとうございました。またのご利用をお待ち申し上げております」と。ちがうだろ〜(笑)
こっちは必死になって、「ご迷惑をおかけいたしました。お疲れさまでした」と嗄れている声をさらに嗄らしているのに。私たちも主催者だけど被害者でもあるのよ〜。そして、ガイドさんは明るく手を振って去って行ったのでした。なんだかね(笑) まあ、若い人だから……とみんな何も言わなかったけど、観光バスでもないのにガイドさんが乗っているのだから、アクシデントが起こったときに処理できなくては困りますね。若くてもこの場合、あなたが会社の顔なのよ、とオバハンは思わず説教したくなったのでありました。しなかったけど(笑)
考えてみれば、出会いたくて出会えるようなできごとではなく、貴重な体験をさせていただきました。バスの乗客も、周りのクルマも、命に関わるような事故にならず、帰宅時間が遅れた程度ですんだのは不幸中の幸いです。大昔ならともかく、いまどき故障でねぇ……。
初滑り
宿泊した宿の前には、宿の人が子どもたちと一緒に作った大きなかまくらがあります。作ったのは中学生らしいのですが、小さな子どもが嬉しそうに出たり入ったりしていました。初めて雪国に来た子どもは、きっと珍しくて、楽しくてしょうがないのでしょうね。
私の初滑りはスキー教室のお手伝い。集合して、体操して、板を履いて、技術力別のクラス分けに出発。……と、うまく板が履けずに取り残されそうになった方がいました。はい。私が残り、手取り、足取り、ひざまずいて靴をおなめ状態で、靴の裏の雪を取り、やっと雪上に立ったときは、他の方々はリフトの上でした。リフト乗り場まで誘導するのに、なんと、なんと、初滑りがバックボーゲンとなってしまいました。あぁ〜。しょうがないですね、お仕事です(笑)
クラス分けが行われたあとは、ビデオをもって、あっちの班へ、こっちの班へと渡り鳥。初めて使うデジタルビデオで、まったく上手に撮ることができず、あとで再生してみたら目が回りそうというべきか、酔いそうというべきか(笑) 被写体のみなさまには誠に申し訳のない映像となってしまいましたm(_ _)m 小さくて軽くて、ズームの効きすぎるビデオカメラは誠に取り扱いが難しいと思い知りました。
一夜明けて、翌日は小雪。寒くはありませんでしたが、昨日はあんなにくっきり見えていた高社山がまったくかすんで存在感を消しています。まったく、山の天気というのはわからないものです。天気と一緒に私の足腰も絶不調。故障しているというのに、働きすぎです(-_-;) 日曜日は最終日ということもあり、ゲレンデを休んで事務仕事に専念しました(笑) けっこうやることがあるんですよねぇ、団体さんをご案内していると。
スキー教室
スキー教室はバス利用で公募。参加表明をしてくださった方々の平均年齢は63歳だそうです。実は60歳以下は2、3人しかいません。その代わり、70歳以上もそこそこいます。年齢の高い方々は、みなさん、元気ですよ〜!
スキー人口ばかりではなく、ウインタースポーツの人口は減る一方ですね。どこのスキー場も青息吐息。青息でも吐息でも、息をしていられるのが不思議というぐらいのところもあります。昨年から今年にかけて、閉鎖を余儀なくさせられたゲレンデもけっこうあるようです。世界不況を待つまでもなく死者累々といったところ。
若い人は就職先もない人が続出するなかで、確かにスキーだ、スノーボードだと言っていられませんよね。でも、そればかりではなく、若い人があまりお外で遊ばなくなったという気がします。運動もスポーツというよりせいぜいが健康維持……のような。それに引き換え、スキーブームのときに青春時代を過ごした50代以降の方々、とくに60代以降のリタイヤ組はほんとっに元気に雪の上を疾走しています。どっちが高齢者かわからないですよね(笑)
どんな産業も、あと20年は、これらの人々を取り込まなくては成立しません。おーい、60代以降のみなさーん、スキー場へ帰ってきてくださーい!(笑) ブームのときとは違ってリフト待ちもゲレンデ混雑もなく、快適な時間をすごせますよ〜。
諏訪山吉祥寺
本駒込まで行く用事があったので、吉祥寺へお参りしてきました。榎本武揚さんのお墓参りです。函館まで抵抗するものの、最終的には維新政府の下にくだり、なんだか偉くなっちゃった人ですが、函館時代に土方さんがお世話になった人なので(笑)
帰りにこのお寺の近所を少し歩いてみたのですが、まるで道は迷うためにあるという感じ(笑) 駒込吉祥寺、駒込浅嘉という、江戸時代には諸藩の下屋敷や武家屋敷が置かれていたあたりだそうで、古くから開けただけに道も入り組んでいて、あげくに行き止まりもけっこうあります。道に迷ったときには「大丈夫、日本の道はつながっている!」というのを口癖にしておりますが……、つながっていないところもあるのですよ(-_-;)
太田道灌が、江戸城を作ったときに、現在の和田倉門あたりの井戸から「吉祥」と刻銘した金印がでてきたので、西の丸に建立したお寺が吉祥寺だそうです。17世紀半ばの明暦の大火で焼けてしまったので、現在のところに移ったのだとか。境内には後に駒澤大学となる学寮があり、幕府の「昌平黌」と並んで学問の拠点であったようです。
大きなお寺だったのが、東京大空襲でほとんどが焼失。当時の面影を残しているのは「経蔵」だけです。鐘楼も古そうではありますが、これも復元でしょうか。維新政府の閣僚となった榎本武揚のほか、薪を背負って勉学に励んでいる像で有名な二宮尊徳、明治の小説家川上眉山などのお墓があります。
もう一つ、ひときわ大きい「お七・吉三郎比翼塚」というのがありました。比翼塚というのは心中した男女などを葬った墓のことだそうです。井原西鶴の「好色五人女」の中では八百屋お七と寺小姓吉三との出会いが吉祥寺ということになっているので、それにちなんで建立されたものだそうです。本当にあった話を脚色したもののようで、実際にはそのお寺はご近所の円乗寺で、お七のお墓も円乗寺にあるそうです。白山にあるそうなので、行ってみよっと(笑)
多摩方面に住んでいる人間としては、「吉祥寺」と言えば、井の頭線でしょ?という感じです。これは無関係ではなくて、武蔵野市吉祥寺の地名は、明暦の大火にあって吉祥寺近辺の人々が行き場を失い、現在の武蔵野市一帯を開墾して地名を吉祥寺と名づけたそうです。そういえば吉祥寺駅の近くには吉祥寺というお寺はありませんね。
内視鏡
椅子に座らされ、「鼻から内視鏡を入れて内部を見ます」と。ひぇ〜、そんなこと……と思っても、これはまな板の上の鯛、いや鯵みたいなもんですよ。優しい感じの女医さんでしたが、悪魔に見えました(-_-;) 身体中に力が入ってしまうのです。看護士さんに「力を抜いてくださ〜い」と何度も言われました(^_^;)
耳鼻咽喉科というのは、子どもの受診がけっこう多いようですね。泣き叫んでいる声を何人も聞きましたが、これは泣き叫びますよ〜。看護士さんはそういう子どもをあやしながら受診させるクセがついているのでしょう、なんと私にまで「だいじょうぶでちゅよ〜」という感じであやしてくれました(笑)
ガンでもおかしくないという多角的な症状ではありましたが(笑)、声帯に炎症を起こしているだけのようです。ポリープ状の……という但し書きがあったので、まだガンの可能性を秘めているかもしれませんが、まあ、思い過ごしも恋のうちって感じでしょう。違和感のある食道は、ここでは中まで点検はできないそうですが、入口はきれいですとのこと。1週間ほど様子をみて……と薬をいただきましたが、1週間後にまた、あの内視鏡ですか〜? 薬を飲んで、とりあえず症状が改善したら、もう行かないかもしれない……(笑)