
牡蠣の佃煮
広島の知人が牡蠣の佃煮を送ってくれました。牡蠣はフライトか、鍋などで食べてはいますが、佃煮というのは初めて。すごくおいしくて、食が進んでしまい、困るくらいです(^_^;) ご自分で作られたもので、ちょっと酢が効いていて、薄味であっさりしているのですが、牡蠣のうまみが凝縮されているような感じ。世の中には、私の知らないおいしいものがたくさんあるんだなぁと感激してしまいました。
昨年、マツダスタジアムに遊びに行ったときにもすっかりお世話になってしまった方ですが、本当にお料理上手。その前に広島に行ったときに持たせていただいたお弁当の味も思い出しました。おいしかった!
牡蠣の佃煮ばかりではなく、炒ったジャコもいただきました。レモンをかけてあっさりいただくといいと、レモンまで添えて。時間指定の宅配便で、食事の時間のちょっと前に到着するように送っていただき、本当にご配慮の行き届いた贈り物で、感謝感激です。一緒に入れていただいた広島菜は、私の大好物だとご存知だったのかしら?
日本は大きな国ではないけれど、地方、地方に本当においしいものがたくさんありますね。そして、そのおいしいものをお裾分けしてくださるやさしいお友だちがいるというのはありがたいことです。東京は消費の土地で、これといった名産品も思い浮かばず、お返しするに困ってしまい、結局はいただきっぱなし? 申し訳なく思いつつも箸は止りません(^_^;) また、今年も広島に行きたくなってしまいました。

ウルトラマン商店街
祖師谷大蔵在住の先輩は、「成功した人は成城に住み、二流は祖師谷なのよ」とおっしゃっておりましたが、この先輩のお父さんは当時の映画の美術監督で名を馳せた方らしいですから、ご謙遜でありましょう。私は、映画の歴史はほとんど白紙なので、戦中、戦後の映画のことはまったくわからないのですけど。100年ぐらい前の話になりますよね?(笑)


ひな祭りモードに飾りつけられた店内で、ちょっと世間話をしたりして。そういえば、八百屋さんでも魚屋さんでも世間話ができる雰囲気です。世田谷区っていうと、ちょっとばかり“お高い”というイメージがありましたが(^_^;)、なんか下町風なんですよね(笑) いいなぁ、ここ……と思っても、家賃のほうは“お”もなく、高い!

祖師谷大蔵「さか本」


写真をたくさん見せていただいたのですが、なんともまあ、インターナショナル! 中国人はもちろんですが、いま熱い中国の首都らしく、世界中からいろいろな人々が集まっています。若くてかわいらしい留学生から、大手企業の駐在員、大使館関係の方、研究者、教育者などなど、年齢も人種も国籍も職業も、多様多彩なんてものじゃありません。それぞれが中国語と一部英語で友好を深めているようです。観光旅行で行ったのでは絶対にわからない、いまの中国、いまの世界が見えてくるようで、ほんとうに楽しそうでした。
もちろん永住している人もいれば、中国を舞台にビジネスを展開している人もいますが、駐在員だった方々は、2、3年で母国に帰ったりもしますから、仲よしになった人が世界中に散っているようです。日本でしばらくやりたいことをしたら、あちこちの友人を訪ねて旅をしようかと思ってるとのこと。「カバン持ちさせてください!」(笑) いろいろな国に旅行をするのも、それはそれで楽しみですが、自分の好きな国にしばし腰を落ち着けて生活してみるというのは、いいですよね。本当にうらやましい限りでした。

シャレがきつい?

行き過ぎかけて、戻って写真を撮りました。後でお茶を飲みながら友人にこの写真を見せたら、爆笑になってしまい、お店に迷惑でしょう(^_^;) たぶん、わかりやすくという意図からひらがなにしているのでしょうが、この方の場合、漢字のほうがいいかも。とくに落選した後は。ご本人、ならびに周りの方々は見慣れていることもあり、そんな風に間違って読んで驚いちゃう人がいるなんて、考えてもみないのでしょうね。選挙区の人たちは、ちゃんと名前を知っているのでしょうから、通りがかりの人間がどう思おうと、関係ないか〜(笑)

松陰神社
ここ何年か、1年に数回、玉電にのる機会がありました。京王線の下高井戸から三軒茶屋まで行くだけで、途中で下車したのは1回だけ。昨年、小田急線の「豪徳寺」と接続している「山下」で降りて、その隣りの「宮下」という駅まで行きました。通学に使っていたこともあるのに、考えてみれば、これまでこの2つの駅以外で乗り降りしたことはなかったのです。そこで、ふと思い立って「松陰神社前」という駅で降りてみることにしました。
吉田松陰を祀ってある「松陰神社」という存在は知っていたのですが、これまで行ったことがありません。偉大な思想家であり、アクティブな人だったというおぼろな知識はありながら、なんたって、こちとらバリバリの佐幕派ですからねぇ(笑) あまりお参りに意欲的ではなかったわけです(^_^;)
駅から神社まで続く商店街の柱には、幕末を彩った長州藩の志士たちの解説と絵のプレートが貼られていました。だいぶ、薄くなっちゃってるけど……。到達した神社は、こんな高級住宅にあんれ、まぁ〜というくらい広い境内。境内には松陰先生の像や旧大山道(いまの世田谷通りだそうです)に建てられていた松陰神社道の道標なども残されています。
本殿の横には、高杉晋作らが学んだという松下村塾を模した建物があります。意外と小さい……。まあ、剣術ではなく学問を教えていたのですから、そんなに広い場所はいらなかったのでしょう。いまは固く閉ざされ、寒々しい感じですが、かつては幕末の志士たちが天下国家を語る熱いエネルギーに満ちあふれていたに違いありません。
社殿の左奥には吉田松陰ならびに長州藩の志士たちのお墓所があります。神社にお墓……、あるんですね。蛤御門の変で幕府が松陰先生のお墓を壊しちゃったお詫びに送った石燈籠などもありました。明治になっちゃったからには、お詫びをしておかないとねぇ(笑) 境内には立派な石燈籠がずらっと並んでいます。32基もあるそうな。これらは伊藤博文や山県有朋などから1908(明治41)年に奉納されたものだそうです。明治政府のお歴々が深く頭を垂れた場所なのでしょう。いまも平日の中途半端な時間であるにもかかわらず、ポツリポツリと参拝の方々の姿がありました。