危ない!
そのあとは、原付バイクに乗ったおじいさん。一時停止で止まらず、その前を通り過ぎて行った自転車に猛烈にクラクションを鳴らした上、「バカヤロー」と怒鳴りつけておりました(-_-;) 自転車との間、30センチぐらいだったでしょうか。おじいさん、ハンドルを切りもしなかった……。
これだもん、高齢者の交通事故が多いというのは無理ないなぁと思ってしまいました。視野狭窄というのか、高齢になると視力もそうですが、心理的にも自分のことしか見えなくなってしまうのでしょう。日常的にこういう行動がとられていることを頭に入れて、運転をするなり、歩くなりしなければいけないなぁと、朝から高齢社会を思った1日でした(笑)
今日は涼しい?
徒歩で信号待ちをしていたら、白バイが5、6台、サイレンを鳴らしてかっとんで行きました。パトカーはときどき見かけますが、白バイが3台以上で駆け抜けるという風景はあまり見かけないような気がします。向っているのは府中方面。すわっ、3億円強奪か(古っ!)
ときどきテレビドラマなどでも、むかしの3億円強奪事件の真相のような番組をやっていますよね。いまでは3億円といっても、それ以上の年俸のプロ野球選手が20人ぐらいはいるようですが、当時の3億円って、すごくインパクトがあったに違いありません。当時って、いま調べたら1968年だったようです。もう、40年以上前でした。いまなら、いくらぐらい強奪すれば記録を塗り返られるのかしら?(^_^;)
「コプタンをさがせ!」
長いお付き合いの友人、山形彰吾さんが絵本を出版しました。「やっと本になったので、買ってくれ!」というメールをいただきまして……。普通は贈呈でしょう(笑) でも、いまの出版事情ではそうはいかないのでしょうね。そういう指令が来たからというわけではなく、ぜひ読んでみたかったので、買ってきました。地元の本屋さんには置いてなくて、新宿まで行って購入<恩着せがましい(笑)
「コプタンをさがせ!(講談社)」という幼児向けの絵本で、いっぱい描きこんである絵の中から、指定の絵をさがすというタイプの絵本です。有名なところでは「ウォーリーをさがせ」がありますね。あのタイプ。すごく凝っているというか、描きこんであるので、幼児向けとはいい、おとなでもけっこう楽しめます。さがしている時間は、幼児よりは短いでしょうけど(^_^;)
奥様の山形明美さんは「どこ?」という作品でもう10冊ぐらい出版していて、いわば「作家先生」と呼ばれる人になっています。長年?アシスタント状態だった彰吾さんがはじめて自分のタッチで出した絵本で、まずはおめでとうございますという感じです。実は、縁起堂本舗の表紙を描いてもらっているのも彼だったりします(^_^;) だもの、本当はいっぱい買って、配るくらいじゃないといけませんね。
いろんなタッチをもっていて、「こういう絵」といわれると、そういう絵を描くことができるので、案外、便利に使われちゃって、なかなか自分の作品をまとめることができなかったのではないでしょう。かくいう私も、「お願い」系で、縁起堂本舗の表紙を描いてもらったりしていたわけですm(_ _)m 絵がいいというだけではなくて、こんなイメージと伝えるだけで、いろいろ工夫して描いてくださる、そのセンスが抜群です。だから、自分のイメージで状況設定をしているこの作品もユーモアとセンスにあふれていると感じます。ついに絵本作家デビュー。素敵ですね、絵本作家!
知っている人がどんどん「先生」たちの仲間入りしていくのは、うれしいようでもあり、くすぐったいようでもあり、うらやましいようでもあり(笑) 無芸大食の私には、だんだん遠い世界の人になってしまうようでもあります。でも、知り合いってことは、原画を見せてもらえる立場でもありますから、近いうちに原画にサインでもしてもらおうかと。将来、財産になるかもしれませんよ(^_^;)
ワンコも熱中症で
昨日、妹の家で飼っていたゴールデン・リトリバーが熱中症で死んでしまいました。性格が穏やかで、かわいいコだったので、残念です。風通しのいい、日のあたらない場所に置き、水もたくさん与えていたんですけどねぇ。風通しがいいといっても、吹いてくるのが熱風ですから、あんなに長い毛皮を着ていたのでは、かなり暑かったのではないかと思います。まあ、高齢ということもありましらが。もう1匹、やんちゃなラブラドルがいるのですが、こちらは元気。毛が短いからでしょうか、こっちはまだ若いからかな?
人間でも犬でも、やはり年齢が高いと暑さも寒さも堪えるようですね。うちのオババぐらいだろうか、涼しい顔で遊びまわっているのは……(-_-;) 頭がお天気だと暑さもあまり感じないのかもしれませんよ(笑)
敗戦の日に思い出すこと
この日になると思い出す話があります。むかし知人だった方、いまはもうとっくに音信不通になっているのですが、その方のお父さまが、8月15日の午後に特攻機で出撃するはずだったのだそうです。毎年、8月15日になると、お父さまは、早朝、家族が目覚める前に家を出て行き、夜遅く、家族が寝静まってからでないと帰宅しないという話。どこへ行っているのか、何をしているのか、誰も知らないそうです。
午前中に飛び立った戦友たちは帰還せず、自分は午後の出発だったために生命が助かった……。そして、戦後は仕事でも成功して、家族も得たというわけですが、出陣の順番がかわっていたら……とか、もう少し戦争が長引いていたら……とか、さまざまな思いが去来する日なのだろうなぁと、なんだかとても印象に残っています。
朝からどこへいらしていたのでしょうか。戦友のお墓参りなのかなぁ、それとも海の見える丘の上で、ひとりぼっちで時間をすごすのかなぁ、とか。そして、今年、ふと思ったのが、靖国神社に行っていた可能性もあるのかなぁとか……。靖国神社はどうも受け入れがたく、靖国通りは通っても靖国神社には行ったことはないのですが、実際に戦地に行き、生き残った方々には、また別の思いがあるのかも……と思ってしまいました。
その父上自体は、私は顔も、名前も存じ上げないし、いまは80代後半になると思うので、ご存命かどうかも知りません。ポツダム宣言を受け入れることは、その日の午前中にだってわかっていたはずなのに、なんで午前中の特攻機を飛び立たせたのだろうかなぁ……。止めることだってできただろうに……。それを言い出せば、もっと早く敗戦を受け入れれば、広島・長崎も犠牲にならなかったというところでもあるのですが、お昼のなんとか放送で生死を分けたというあまりにはっきりしているデッドラインがあるだけに、とても印象に残っているのだと思います。