天安門広場
門にはおなじみの毛沢東の写真、絵画かな?が掲げられ、広場の南の中華門跡地付近に毛主席紀念堂が建設されています。左を向けば人民大会堂。ここで、さまざまな国際会議なども行われてきたはずです。右を向けば、博物館のようなものが見えます。天安門広場には、最大で50万人を収容できるそうで、ここにぎっしり人が入ったら、すごい景観になるだろうなぁと……。ちょっとビビリますねぇ(笑) 観光客もいっぱい歩いていますが、警備兵も頻繁に行進してたりして、かつて事件が起きた場所でもあるためか、ものものしい気配もしないではありません。
さすが14億の民が暮らす国だけあって、何もかも大きいなぁという感じ。ひとりっ子政策によって人口抑制が図られ、2人目を生むとものすごいペナルティがあるらしいです。そこで、公式発表は13億5,000万人ですが、 実は地方には届出がなされていない2人目人口が5,000万人ぐらいいるのだとガイドさんが言っていました。学校などはどうするのだろうと、他人事ながらちょっと心配(^_^;)
このガイドさんは、お子さんがふたりいるそうです。これは奥さんが日本人で、子どもは日本国籍にしているから可能なのだとか。こういう逃げ道もあるのなら、ひょっとして14億人を超えてない?(笑) 世界の人口の5人に1人は中国人なのだそうですが、実は4人にひとりだったりして……。数では太刀打ちできませんね(-_-;)
輪タク
観光バスで連れて行かれて、バスを降りると、後にリヤカーの座席つき版のようなもを引いた輪タクがずらりと並んでいます。これがまた、すごい数なのです。次々といくつもの団体観光客に振り当てられ、客が乗ったらどんどん走り出すので、渋滞するくらいの輪タク行列ができます。ドライバー?は、たぶん中国語しか話さないのだと思いますが、終始、無言。とにかくリアカーに揺られて街並みをぐるっと回ることになります。住宅街というけれど観光化が進んで、ほとんどは商店になっているような。
私たちは何を見ればいいの?と思っているうちに、自転車タクシーは出発点に戻り、チップを請求されて、終了。中国にチップの習慣はないそうですが、欧米人がチップを渡すので、「もらって当然」の雰囲気ができているそうです。140円ぐらいだから、いいんだけどね(笑)
天壇公園
天壇公園は、太極拳などをやっている市民の姿が見られるところ。日本の報道番組などでもときおり映像が流れています。中国人はどこの公園でも朝は太極拳をやっているのかと思いがちですが、やっているのはこの公園だけみたいです。市民も入場料がかかるとのこと。どうもこの「市民の太極拳」というのも観光資源にされているようで……、やらせ?(笑)
筆に水を浸して、道に「書」をしたためている人が何人かいます。実に美しい字で、乾いて消えてなくなってしまうのは惜しいような。これも趣味で書いている人なのだそうです。集まって、普通にダンスを踊っている人もいました。公園といっても、憩いの場というよりは、路上パフォーマンスの場なのでしょう。
天壇は、この太極拳広場のさらに先で、ここからまた別料金。ここまでくると観光客ばかりになるようです。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇で、敷地面積は約273万平方メートル。とにかく広いです。というか、さすが広大な国土といいましょうか、どの史跡もスケールは大きいですね。1420年、明の永楽帝が建立したといわれています。
天壇の本質ともいえる圜丘壇は、「天円地方」の宇宙観による円形の大きなお盆のようなもの。皇帝がこの上に立って天を祭るための儀式、冬至に豊作を祈り、雨が少ない年は雨乞いなどを執り行う場所だったそうです。「天円地方」というのは、天は丸い形をしていて、地は四角い形をしているという考え方だそうです。関東地方も東北地方も、「土地の方角」なんじゃなくて、もともとは天に対する地だったのね、目から鱗が落ちました(笑) ここは欄干や階段などが陰陽思想で最大の陽数とされる「9」や、その倍数で構成されていいます。
この圜丘壇を通り過ぎると多くからも偉容が見えていた祈年殿に行き着きます。祈年殿は直径32メートル、高さ38メートルで、25本の柱に支えられる、現存する中国最大の祭壇とのこと。1889年に落雷によって焼失したものを1906年に復原したのだそうです。中も覗くことができるのですが、正面に陣取ったグループがずっと動いてくれないので、結局、内部を見ることはできませんでした。反日?(笑)
このツアー、とにかく観光3割、買い物7割みたいな構成になっていて、何かをじっくり見ることはできません。内部を見ようと思っても、並んでいてはいつまでたっても順番は来ないという方式で、人を掻き分けるのが苦手な人々は、背伸びをして中をうかがっているうちに、すぐ呼び集められてしまいます。2日目の午前中には、なんだかなぁ〜と思い始めていた旅行でありました。
北京ダック
このツアー、全食事つき。この日のランチは中華弁当でした。これが最悪……。基本的に中華料理は大好きなのですが、まともに食べられてのは生野菜だけ、というくらい。体裁はいいのですが、よくぞここまで味を落とせるというような(笑) 私だけではなく、周囲を見渡しても箸が進んでいる人はあまり見かけませんでした。さすが激安の全食事ツアー……と暗雲が立ち込めた瞬間でした(-_-;)
しかしながら、夕食は北京ダック。こちらは、まずまずだったので一安心でした(笑) 普段、あまり上等なものを食べていないので、高級料理の北京ダックといわれても、ピンと来ませんでしたが(^_^;) 目の前で切り分けてくれる北京ダックを、皮のようなものに長ネギとタレと一緒に包んでいただきます。ちょっと脂っこい感じがして、個人的にはあまり好きではありません。根っから庶民なので、高級料理は苦手かも(笑)
セロリの炒め物とか、さっぱり系の野菜のほうがおいしかったりして。円卓テーブルにこぼれるほどのお皿が乗り、量は豊富です。北京ダックの肉をとった後の骨で作ったという半透明のスープに初めてお目にかかりました。普通のチキンスープより、ややあっさりしているかもしれません。それほどおいしいとも思わなかったですけどねぇ(^_^;)
明の十三陵
明代276年間には、16人の皇帝がいたそうですが、ここに最初の陵墓を作ったのは3代目の永楽帝で、1409(永楽7)年に建設をスタートさせたとのこと。生きているうちから盛大にお墓作りというのもすごいです。陵墓郡は北の山から南へ向い、街を見下ろすように立てられていますが、そういえば徳川家康も西を向いた廟を建て、死んでも西国をけん制したとか。トップに上り詰めた権力を握ったものは同じような発想をするのかもしれませんね。
いま一般公開されているのは、永楽帝の陵墓である「長陵」、隆慶帝の陵墓「昭陵」、そして14代目のある万歴帝の陵墓「定陵」だけです。残念ながら、ツアーは地下墳墓が公開されている「定陵」にしか連れて行ってくれませんでしたが。地下墳墓はいくつかの部屋に仕切られ、竜の飾りの付いた皇帝の玉座や鳳凰の飾りが付いた皇后の玉座、万暦帝とその皇后の柩などが安置されています。
この地下墳墓は、床から壁面、天井に至るまで大理石で作られています。隙間もなく石が積み上げられ、天井部は見事なアーチ。多額な資金が投入されたことが伺われます。地下墳墓からは、これまでに貴重な副葬品や遺骨など貴重な歴史的資料が数多く発見されたそうですが、布や紙は空気に触れて崩れてしまったとか。なんといっても惜しいのは貴重な書物が失われたことで、これに懲りて他の地下墳墓はいまだに封印されたままだそうです。崩さないですむ技術が発見される、とくに永楽帝の墳墓を開けられたらどんなものが出てくるのか、学術的にも期待がかかっているようです。
トコトコ、トコトコ、かなり階段を下った地下墳墓。「見てみたい!」という好奇心より、「こんなに下るって、帰りはかなり昇り……?」と、脚に故障を持つ私メは、そっちのほうが心配でした(笑) しかし、丘陵に作られているため、出口は上のほうにあったらしく、思ったほど昇らないですみました(^_^;)