八咫烏
八咫烏といえば、ん? サッカー? という感じなのですが、本家本元はこっち。熊野本宮大社です(笑) 熊野本宮大社の主祭神は何を象徴しているのかよくわからないようですが、太陽の使いとされる八咫烏を神のお使いとすることから太陽神が祀られているという説があるとか。神様よりお使いばかりが名を馳せているという感じです。八咫烏は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊に遣わされ、道案内をしたとされる烏。3本足のカラスとして古くから知られていますが、いまは神使としてよりもサッカー日本代表のお使いとしてのほうが有名ですよね。
入口には大きな八咫烏の幟が掲げられています。ホントにもう、神社というのはどうしてこうも高いところが好きなのでしょうと思うくらい石段がつきもの。こちらも鳥居をくぐると、歩き始める前にいったん息をつきたくなる石段が目の前に立ちはだかります。ところが、1889(明治22)年に熊野川の大規模な洪水で流される前は、、熊野川の中州にあったそうです。なんで、引越したのよ〜(^_^;) いやいや好きで引っ越したわけではない……、明治以後、近代化のために急激に樹木の伐採が行われ、山林の保水力が失われた結果の被害者ですから。
熊野本宮大社の3棟が国の重要文化財に指定されています。これらの社殿は洪水で流されるのを免れ、現在の場所に移築されたもの。解説には、特徴として「入母屋造屋根を用いる点、木割が太く、装飾の少ない簡素な構成とする点に、床下に連子窓を設けるなどの細部形式の特色があげられていて、形式や配置は中世の絵画資料にみられるものと一致し、古くからの形式を保持していることがわかる」とあります。しかし、上の鳥居をくぐったあとは、撮影禁止。とはいえ、背景に記念写真を撮っている人々も何人かいたので、私もちょっと隠し撮り(笑)
境内にもあちこちに八咫烏がいます。この辺では、カラスを追っ払ったりしてはいけないのでしょうかね? 八咫烏の咫は長さの単位で、「あた」と読むそうですが、親指と人差指を広げた長さだそうです。現代語に直すと約18センチ。八咫烏は144センチ? ではなく、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味。日本語はよくこういう表現がありますね。八咫烏が3本足なのは、古来は太陽を表す数が3とされてきたことに由来するとするとか、熊野本宮大社の主祭神の神徳「智」「仁」「勇」の三徳であるとか、「天」「地」「人」を表す[とか、いろいろなことが言われているようです。
温泉玉子
街
道からちょっと外れた四村川の岸辺に小さな温泉街があります。温泉旅館が15軒並ぶ湯の峰温泉。共同浴場がふたつあり、そのうちのひとつが日本最古の共同浴場と言われる「つぼ湯」です。川岸に小屋があり、2、3人が入れば満員になるという岩穴温泉で、伝説の小栗判官がここでケガを回復させたと説明されていますが、そもそも小栗判官って誰?(笑) 温泉に入るためには下流の共同浴場で申し込みをして、順番待ち。1日に7回お湯の色が変わるという「つぼ湯」ですが、人が入っていなくても内部の撮影は不可でした。
「つぼ湯」の少し下の川岸に「湯筒」という源泉が噴出しているところがあります。かなり熱いのでうかつに触らないように囲いがしてありますが、ここで温泉玉子や茹で野菜を作ることができるそうな。近所の店で卵や野菜を売っています。玉子なら15分ほどで茹で上がるということなので、温泉に玉子をしかけ、温泉街の上にのびる熊野古道を散策するというのが一般的な楽しみ方? 熊野古道は全部あわせると700キロにも及ぶといいますが、ここらあたりは山の中の小道が続いているという感じで、なるほど「古道」の雰囲気が味わえます。
湯の峰温泉の名前は、湯の花でできた薬師如来の胸から温泉が湧いていたという伝説にに由来し、「湯の胸」が転じて「湯の峰」となったそうです。14世紀頃には湯垢離による潔斎の場として熊野詣の前にゆっくり湯浴みする習慣がはじまったとか。潔斎とかいえば「これも修行のうち」なんて言いそうですが、要するに本番前に「やれやれ」と旅の疲れを癒すところだったのでしょう。名前の由来になった湯峯薬師をまつる「東光寺」や熊野九十九王子のひとつ「湯の峰王子」が温泉街を見守っています。
西門院
高野山には117か寺あり、その約半数が宿坊を兼ねているそうです。私たちが泊まったのもその一つ、高野山別格本山西門院というところでした。別格本山というくらいですから、かなり格式の高いお寺ということになるのでしょうね。10世紀頃に教懐上人が創建したお寺で、その頃は釈迦院という名称だったそうです。 鎌倉時代に西門院と改称されたのだとか。立派な門がある静かなたたずまいで、美しい中庭があります。
しかしながら、襖で仕切っただけの部屋は隣りの気配や声がまる聞こえ(笑) そして、何よりもこの日は寒かった〜。相方は私の着なかった浴衣を2枚重ねで着て、さらにスパッツをはいて、靴下をはいて寝ていました。宿坊ですから、贅沢は言えませんね。これも修行です(^_^;) 不満があるわけではなく、それもまた清涼感があり、なかなかよい体験になりました。トイレは洋式も兼ね備え、洗面にはお湯も使えます。
食事はもちろん精進料理ですが、あっさりした味つけで、とても美味しゅうございました。朝食前には、希望者だけですが、朝の勤行に参加できます。参加といってもお経を拝聴するだけですが。私は散歩にでかけ、途中からちょこっと末席でお経を聞きました。不信心者め!(笑) とはいえ、不信心者でも、朝のお経というのはなんとなく身の引き締まる思いがします。
朝の散歩は金剛峰寺をはじめ、数あるお寺をのぞいて歩いたという感じ。ちょうど時の鐘が厳粛な音を響かせていました。あちこちのお寺で朝のお勤めが始まっているのでしょう、道にはほとんど歩いている人さえもいなくて、静けさそのもの。徳川家の廟に行ってみたら、ここは入場料が必要な施設で、まだ開門していませんでした。寒さと静寂が「高野山!」という雰囲気で、また行きたい場所のひとつになりました。が、観光客が戻ってきたら、こうはいかないのだろうなぁ……。
ちょっと修行に?
ベイスターズが負けても、負けても、負けても、いつもニコニコ笑っていられるように、ちょっと高野山に修行に言ってまいりました(笑) 実際は、恋の悩みに打ちひしがれている大先輩のお供です。高野山には行ったことがなかったので、愚痴を聞くのも修行の一つかと出かけていくことにしました(^_^;)
高野山に着いたのは、夕暮れが忍び寄ってくる時間になっていましたが、西のほうはやや日が長いようで、参詣にもギリギリ間に合いました。世の中の自粛ムードを反映してか、またゴールデンウィークが終わって人の動きが少ない時期であることもあってか、人影はほとんどなく、まさに静謐。昨年まではわんさか押しかけていたという外国人の姿がまったく消えていることも人の少ない理由です。ちなみに2日間で、観光バスは2台しか目撃しませんでした。
地元の経済への打撃ということを考えれば、手放しで喜んではいけないのでしょうが、神社仏閣へ詣でるという目的を考えれば、この静けさは本来のあるべき姿で、むしろありがたいといいますか。一の橋から弘法大師の御廟までは約2kmの道のりだそうですが、参道には、公家、大名などの墓をはじめ、日本中の大企業と大金持ちの墓はみんなあるのではないかと思うくらい多数の墓が並んでいます。その総数は正確には把握できていないとのことですが、20万基以上はあるそうな。標高が1,000メートル近くあるせいもあるでしょうが、静か過ぎると肌寒いやら、背筋が寒いやら……(笑)
9世紀のはじめ、平安時代に弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗の総本山ですが、真言宗ばかりではなく日本仏教の聖地友いえる高野山。山内には117か寺もあるそうです。2004(平成16)年7月7日に、高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野、吉野・大峯とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されています。
御廟橋。ここから先は撮影禁止
御廟を参拝するときに、「塗香」というものをいただきました。「ずこう」と読みます。簡単にいえば粉なの香で、両手にひとつまみ、ナムナムするように両手をこすり合わせるといい香がします。白檀は入ってるかな、あとニッキみたいな……。材料は、という言い方も変ですが、「なんですか?」と尋ねてみましたが、内容・調合は企業秘密なのでそうです(笑) 同じ物を作られないようにとか。本当かな?
メルトダウン!
隠していたのだとすれば、さすがは東電幹部、とんでもない輩だって感じだし、わからなかったというのなら、その技術力ってなに?って感じ。まあ、どっちに転んでもどうしようもないですが、前者なら許すわけにはいかないね!というところでしょうか。いずれにしても収束するどころか、何かが知らされるたびに気分が落ち込みます。
これ以上、悪くなるってことはないんでしょうね? 原発、原発、電気、電気、節電、節電、なにをどう考えたらいいのか、だんだんわからなくなってきます。いままでだって、わからなかったけど(-_-;) この国はどこへ行くのでしょうね……。