甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
内船寺(甲斐霊場第106番)
内船寺は、第100番の大聖寺でお話を伺った住職夫人のお嬢さまの嫁ぎ先。御朱印をお願いしたのは住職さんだったのですが、「ご苦労さまです」とお茶を出してくださった方が……、うん、似ている! ひょっとして? 伺ってみるとやっぱりそうでした(笑) 「お茶の時間ですから」といって、お菓子もいただき、みかんのおみやげまでいただいちゃいました。ご馳走さまでーす。
108霊場を回っている人々は、年に数十人はいらっしゃるとのこと。それらの人々に、必ずご接待をしてくださるようです。「私たち寺族は、お寺に住んでいるのではなく、お寺を守らせていただいている身ですから……」とおっしゃってました。お寺で生まれて、お寺で育ち、お寺に嫁いできた人らしい落ち着いた穏やかな物腰の方でした。お寺さんもねぇ、100以上を訪ねるといろいろな方がいらっしゃいましたから(笑) こういう方に出会うと、なんだかほっとしますね。
内船寺は1277(、建治3)年、鎌倉の武士だった四条金吾頼基が日蓮を慕ってこの地に持仏堂を建てたのが始まり。寛政と安政の二度、火災にあったので現在の建物はそれ以降のものだそうですが、本堂には幕末の作といわれる竜の彫刻が刻まれています。その本堂では、子どもたちの絵画展が開催されていました。庫裏の入口にはいろいろ夏休みの行事の案内も貼ってあり、地域活動に熱心に取り組まれているようです。
高さ30センチほどの小さな梵鐘があり、この内側には20種類の薬の調合法がかかれています。その薬は、戦前まで四条金吾殿伝法の「半鐘薬」として全国に売られていたとか。その当時の薬袋や内船寺が発行した道中手形なども残っています。薬事法が厳しくなって、民間薬は排除されたものが多いのですが、いまになって調べてみるとけっこう有効成分の多いものがあったと聞いたことがあります。石田散薬にはポリフェノールが多量に含まれていたとか。甲斐とは関係ありませんね(笑)
このお寺に到達するために急傾斜で長〜い階段があります。とっても登る元気はでてこないような(^_^;) 私たちはクルマで、失礼ながら境内までどーんと乗りつけてしまったわけですが、昔の人は、いえ、いまでも徒歩でお参りする方々は、この心臓破りのような階段を登っていらっしゃるのでしょうね。
最恩寺(甲斐霊場第107番)
福士山最恩寺は11世紀の初頭に天台宗のお寺として開山されたそうですが、室町時代には臨済宗に転換。本当に甲斐のお寺はみんな歴史が古く、そして途中で宗旨替えをしているところも多いのですね。まあ、長い歴史の中にはいろいろなことがあるのでしょう。
14世紀末から15世紀初頭には武田の後援で、仏殿、方丈、庫裏など禅宗寺院の伽藍などが整備されたそうですが、1685(貞享2)年の火災でほとんどの建物を焼失。いま残っているのは仏殿だけですが、これはなかなか趣のある建物です。重要文化財で、中国・宋時代の仏殿建築の手法、唐様式のもの。内部は土間に須弥壇が設けられているそうです。厨子も重要文化財。本堂はそれほど古いものではありませんが、青い瓦屋根が印象的。ここまでやってくるには川沿いを走って、橋を渡りますが、橋の手前から緑の林の中にくっきりと存在を主張していました。
早く帰ろう気分のまま、ナビにしたがって動き出したら、どうも方向がヘン。よくよくナビを観察してみるとどうも東名へ運んで行きたいようです。そういえば、このあたりはもう静岡県との県境に近いのですね。お指図に従っていたら、とんでもない峠越えをさせられました。久しぶりのワインディング。隣や後ろに座っている方々が飛ばすと怒るので、ときどきセンターラインをショートカットするぐらいでおとなしく走りましたけど(^_^;) それにしてもナビさまのおっしゃることは間違っている!という感じがしたので、途中で大きく左に振り、富士吉田から帰途につきました。中央道からも東名からも離れた内陸部は、確かに高速道路がほしいだろうなぁと……。でも、交通量もほとんどないので、きっと採算はとれませんよ、国交省さま。