甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
円蔵院(甲斐霊場第105番)
南部山円蔵院は山号の通り、南部町にあります。「南部氏の郷」と書いてありました。南部氏というと岩手県のイメージが強いなぁと思っていたら、やっぱり関係があるんですね。このあたりは鎌倉時代に加賀美遠光の三男光行が南部氏を称して治め、のちの岩手県の南部藩に移ったのだそうです。その後、南部町は穴山氏の領になったそうです。でも、名前は南部町のまま。
円蔵院は、集落のはずれにひっそりとたたずんでいました。穴山氏六代目の信友が1555(天文24)年に建てたもの。お寺の裏手には穴山信友の墓もあります。扉の閉ざされている門は当時のもので、風情がありますが、本堂へ回ると、あらま、コンクリート?
1956(昭和31)年に子どもの火遊びから出火し、焼失してしまったそうです。もとの建物は砦を兼ねていたもので、戦国時代の武者隠しや回転式の壁、床の間の下に抜け穴などもあったとか。焼けてしまったのは残念です。
円蔵院には、山梨県ではここだけというジュンサイがあり、本堂裏の小さな池に群生しています……、といわれても、どれがジュンサイ? 食卓に出てくるものしか見たことがないので(-_-;) 水面にハスのような葉を浮かべ、水中の茎のところに出てくる新芽が、あの、食べられるジュンサイなのだそうです。見えませんよね(笑)
内船寺(甲斐霊場第106番)
内船寺は、第100番の大聖寺でお話を伺った住職夫人のお嬢さまの嫁ぎ先。御朱印をお願いしたのは住職さんだったのですが、「ご苦労さまです」とお茶を出してくださった方が……、うん、似ている! ひょっとして? 伺ってみるとやっぱりそうでした(笑) 「お茶の時間ですから」といって、お菓子もいただき、みかんのおみやげまでいただいちゃいました。ご馳走さまでーす。
108霊場を回っている人々は、年に数十人はいらっしゃるとのこと。それらの人々に、必ずご接待をしてくださるようです。「私たち寺族は、お寺に住んでいるのではなく、お寺を守らせていただいている身ですから……」とおっしゃってました。お寺で生まれて、お寺で育ち、お寺に嫁いできた人らしい落ち着いた穏やかな物腰の方でした。お寺さんもねぇ、100以上を訪ねるといろいろな方がいらっしゃいましたから(笑) こういう方に出会うと、なんだかほっとしますね。
内船寺は1277(、建治3)年、鎌倉の武士だった四条金吾頼基が日蓮を慕ってこの地に持仏堂を建てたのが始まり。寛政と安政の二度、火災にあったので現在の建物はそれ以降のものだそうですが、本堂には幕末の作といわれる竜の彫刻が刻まれています。その本堂では、子どもたちの絵画展が開催されていました。庫裏の入口にはいろいろ夏休みの行事の案内も貼ってあり、地域活動に熱心に取り組まれているようです。
高さ30センチほどの小さな梵鐘があり、この内側には20種類の薬の調合法がかかれています。その薬は、戦前まで四条金吾殿伝法の「半鐘薬」として全国に売られていたとか。その当時の薬袋や内船寺が発行した道中手形なども残っています。薬事法が厳しくなって、民間薬は排除されたものが多いのですが、いまになって調べてみるとけっこう有効成分の多いものがあったと聞いたことがあります。石田散薬にはポリフェノールが多量に含まれていたとか。甲斐とは関係ありませんね(笑)
このお寺に到達するために急傾斜で長〜い階段があります。とっても登る元気はでてこないような(^_^;) 私たちはクルマで、失礼ながら境内までどーんと乗りつけてしまったわけですが、昔の人は、いえ、いまでも徒歩でお参りする方々は、この心臓破りのような階段を登っていらっしゃるのでしょうね。