甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
方外院(甲斐霊場第98番)
竜湖山方外院は1362(貞治元)年(1362)の開山とされ、ご本尊の如意輪観音は平安末から鎌倉初期のものと推定されています。一面六臂の寄せ木作りで、行基作、とお寺には伝わっているそうですが、そういわれているものはかなり多いので真偽のほどはわかりません。
圧巻なのは、本堂入口の壁に掲げられている絵馬。額というか、壁画のような大きさです。縦2メートル、長さ2メートルほどもあるそうです。「千匹馬」と名づけられています。実際に1,000いるかどうかは別として、いろいろな姿の馬がぎっしりと描かれていて、なかなか見ごたえがあります。
この絵馬には由来があります。安政の飢饉のとき、観音さまに稲の不作を嘆願した老人に「馬の霊が飢えて稲を食べる。霊を慰めるために各地より一人一匹の馬を奉納せよ」と夢のお告げがあったそうです。 そこで馬を描いた大きな額を奉納し祈願したところ、 翌年から豊作になったとか。馬の背中には、それぞれ奉納した人の名前が書かれています。
中央の色のついた、大きく描かれている馬の上に乗っている名前は、高額な奉納料を出した人。金額が小さくなれば、色はなく、後ろのほうに描かれた小さめの馬の背に名前が……。まあ、これが昔からの世の中の摂理?(笑)
絵の説明をしてくださったこのお寺の僧侶の方、お若い方だったので住職さんかどうかわかりませんが、すごく声がよかったのが印象的でした。若干、声フェチのケがある私としては(笑) 朝夕の勤行で鍛えた声なのでしょうか、この方のお経を聞いてみたいと思ったのでした。檀家にでもなろうかしら(^_^;)
永寿院(甲斐霊場第99番)
ナビで調べても、地図で調べても、いっこうに場所がわからない見命山永寿院。方外院で道を教えてもらって、進んで行った道はすれ違い不能みたいな山道。「本当にこの先にお寺なんかあるのかしら?」という山の中に小さなお堂がありました。いまはご本尊も移してしまい、お堂だけが残っているのだそうです。もちろん無住。
ここは木喰仏で知られる、木喰上人の生まれ故郷なのだそうです。木喰上人は、この地で1718(享保3)年に生まれ、22歳で仏門に入って以来、各地の寺を遍歴して修行し、45歳のとき木喰戒を受け、生涯この戒を守ったといいます。「木喰」とは穀物をいっさい絶ち、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律。木喰上人は、木喰行道と称して全国を遊行し、仏像を彫り続けた人です。
この木喰仏というのは、どれもみな笑っているように見える木彫りで、永寿院のすぐ近くの「木喰の里微笑館」で見ることができます。永寿院は日本全国を廻る旅から帰った木喰上人が五智如来を彫刻して納めたお寺のようですが、いまは木喰上人の生家に安置されているとか。
1本の木から彫りだした独特の表情をもつ彫刻は、大正時代の末頃から「木喰仏」として世に知られるようになったそうです。不勉強につき、知りませんでした(-_-;) 「微笑館」には木喰仏がたくさん展示されていて、不思議な空間をつくっています。