甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
伝嗣院(甲斐霊場第81番)
甲斐霊場81番の伝嗣院は小高い丘の上にあり、甲府盆地が一望できます。山門から入る参道は階段になっているので、クルマは裏から失礼しました。本来であれば、山門をくぐってたくさんの石仏群に迎えられてお参りするところですが、本堂が先で山門があと。ゆっくり降りていくと、どこまでも石仏群が続いているのに驚かされました。
「ごめんくださーい」と声をかけても応答がなく、お留守のようでしたが、よく見回してみると境内に続く畑の脇に老婦人がひとり座っていました。お寺の方かと思ったら、近隣の果物農家のご隠居さん。90歳になったので、桃作りは息子に任せているとおっしゃっていましたが、すごくお元気そうです。お話好きな方のようで、このあたりの(-果実についていろいろお話をしていただきました。「お寺さんはひとりでやってるから、留守が多いのよ」。
ご本尊は聖徳太子が百済王より献上された釈迦の仏牙という珍しいものだそうで、拝見できなかったのは残念。2000坪もあるという境内は大きな桜の木がたくさんあり、いまは緑の葉を茂らせていますが、春先には見事な花を咲かせていたに違いありません。あまり有名ではないようですが、隠れた名所かもしれません。境内の奥にはこじんまりとしていて手入れの行き届いた庭園もありました。 松の緑がきれいです。
妙了寺(甲斐霊場第82番)
静かで広い境内をもつ妙了寺では、お留守番らしい2匹の犬が元気に迎えてくれました。吼える、吼える(笑) 庫裏はひっそりとして人の気配はありません。駐車場が広くて道路からも入りやすいのがラッキー! かつては日蓮宗の中でも格式が高く、甲府の遠光寺(第51番)、加賀美の長遠寺(第87番)とともに「甲斐国三か寺」と呼ばれていたそうです。江戸末期には、堂塔伽藍が34棟もあったとか。
戦火は免れたものの、1949(昭和24)年に出火し、本堂をはじめほとんどのお堂が焼失。現在ではかつての半分の敷地になり、1979(昭和54)年になっていまの本堂が作られています。こちら境内にも緑の葉を茂らす大樹の桜がかなりあり、早春に霊場巡りではなく桜巡りを敢行してもいいかも。
大きな安産・子育て・子孫延命の観音様があり、これは江戸時代にこのお寺の住職が祈願したこと徳川御三卿・田安家の第一子が誕生したことにちなむのだそうです。「妙了寺には日蓮上人から安産、子育ての御符が秘伝として歴代に継承されている」と説明されていました。
ちなみにこの徳川御三卿・田安家の第一子、亀之助という人は徳川家16代を相続した人だそうです。その前の15代までは「将軍」ということで日本史に名を残したわけですが、16代もいたなんで、まったく知りませんでした(^_^;) 薩長は徳川家を殲滅したわけではなかったんですね(笑)