甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
長谷寺(甲斐霊場第80番)
長谷寺は「はせでら」ではなくて、こちらの場合は「ちょうこくじ」。境内に入るとかなりの歴史を感じさせる堂があり、これが本堂かなと思えば、観音堂でした。1524(大永4)年に建築されたという単層屋根の入母屋造り、桧皮葺形の銅板葺の建物で、重要文化財に指定されています。
この観音堂の前のこじんまりした庭には、2枚の自然石で太鼓状に池をまたいでいる梓橋という小さな橋があります。これは、「梓橋 梓の橋の観世音 導きたまえ 知るも不知らぬも」という、長谷寺に伝わるご詠歌にうたわれている橋だそうです。
観音堂の横には鐘楼があり、その向かいに門があるのですが、鍵がかかっています。本堂はどこに? と、思っていたら、お隣の家かと思ったところから奥様らしき人が出てきて、そこが庫裏だと判明。正門の脇に小さな潜り門があり、ここから入ると本堂でした。こちらは新しいもののようです。奥様にお願いして、久しぶりにご朱印をいただくことができました。
ご本尊は168センチもある一本彫の十一面観世音菩薩で、室町時代の厨子に安置されている貴重なものだそうですが、秘仏であるために拝見することはできません。何十年に一度くらいの割合でご開帳もあるそうですが、次は2024年とか。それも3月18日に行われる春祭りの日、一日だけだそうです。
伝嗣院(甲斐霊場第81番)
甲斐霊場81番の伝嗣院は小高い丘の上にあり、甲府盆地が一望できます。山門から入る参道は階段になっているので、クルマは裏から失礼しました。本来であれば、山門をくぐってたくさんの石仏群に迎えられてお参りするところですが、本堂が先で山門があと。ゆっくり降りていくと、どこまでも石仏群が続いているのに驚かされました。
「ごめんくださーい」と声をかけても応答がなく、お留守のようでしたが、よく見回してみると境内に続く畑の脇に老婦人がひとり座っていました。お寺の方かと思ったら、近隣の果物農家のご隠居さん。90歳になったので、桃作りは息子に任せているとおっしゃっていましたが、すごくお元気そうです。お話好きな方のようで、このあたりの(-果実についていろいろお話をしていただきました。「お寺さんはひとりでやってるから、留守が多いのよ」。
ご本尊は聖徳太子が百済王より献上された釈迦の仏牙という珍しいものだそうで、拝見できなかったのは残念。2000坪もあるという境内は大きな桜の木がたくさんあり、いまは緑の葉を茂らせていますが、春先には見事な花を咲かせていたに違いありません。あまり有名ではないようですが、隠れた名所かもしれません。境内の奥にはこじんまりとしていて手入れの行き届いた庭園もありました。 松の緑がきれいです。