甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
海岸寺(甲斐霊場第71番)
海岸寺はかなりな山の中にありました。他の車はほとんど見かけず、そういうクルマでそういう風に走ればかなりおもしろそうなワインディングロード(^_^;) しかし、この山の中でなぜ海岸? 経文の中にある「観世音の本所、補陀落山は天竺南海中にあり」の補陀落山を別名「海岸孤絶山」というところから海岸寺と名づけられたとか。そういえば、四国にも海岸寺というお寺があるようですね。
本当にこんなところにお寺がるのかしらと不安になってくる頃、道路の左端に「海岸寺石段入口」の手書き風看板がありました。石段はクルマでは登れないけど……と思いながら、そろそろと小道に侵入。石段はありましたが、クルマを停めるスペースどころか、走るスペースも……。見上げるとお寺ははるか上のほうにある模様。この道の先に停めるスペースがあるかも、と、両脇を木の枝でこすられながら前進すると、あれ? もとの道路に出てしまいました。
イチかバチか道路をさらに上がって行くと、2カーブ曲がった先に、お寺に入れそうな入口と、数台のクルマが停められるスペースがありました。そして、「この寺は 観光のための 開放は いたしておりません」の看板が……。お参りなら、いいんだよね……。
なだらかな坂道を登って、門をくぐり、境内に入っていくとたくさんの石仏が迎えてくれます。高遠の石仏師守屋貞治が十余年の歳月を費やして彫り上げたといわれる石仏で、その数は100体以上あるといいます。西国三十三か所、坂東三十三か所、秩父三十四か所の観音像と延命地蔵尊だそうですが、一体として同じものがないとか。壮観です。
庫裏を訪ねてご朱印をお願いすると穏やかそうな住職が対応してくださり、「観音堂もお参りしてくださいましたか?」と。やっぱり、お参りならよかったんですね! 境内には座禅堂のようなものや静かに座って時間を過ごせるようなベンチもたくさん用意されていて、「観光はダメ」というのは、「ただ見て歩くのではなくて、心静かに人生を考えなさいよ」という意味なのでありました。
何組かの参詣の方々と出会い、大きな観光寺は別として、これまで訪ね歩いた甲斐のお寺さんの中で、実のところ、いちばん参詣の人が多かったのではないかと思います。確かに、悩みごとがあれば、ここでゆっくり考えるのがいいかもと思わせる風情があります。
本堂は1603(慶長8)年に建立され、1671(寛文11)年に再建されたもの。本堂の左手後ろの石段上にある観音堂は大悲閣と呼ばれ、やはり1603年に建立され、1810(文化7)年に名工といわれた立川和四郎富昌が再建築したものだそうです。正面のアワとウズラの彫刻は有名。他にも六地蔵板碑など貴重なものがたくさんあり、「観光」もしたくなります(^_^;)
ヤマツツジの季節でもあり、境内や石段が彩られていました。
清光寺(甲斐霊場第72番)
武田氏の始祖、甲斐源氏の逸見源太清光が1151(仁平元)年に創建したのがこのお寺。はじめは信立寺といっていましたが、清光が亡くなった後、清光の菩提寺となって清光寺に改められました。逸見源太清光の子信義が武田庄の庄官となり、武田太郎と名乗ったのが武田氏のはじまり。信玄の先祖に当たる方ですね。
創設当時は天台宗だったそうですが、1475(文明7)年に曹洞宗に改宗しています。お寺の形はそのままで宗派が変わるというのは、私には意外な感じがしていましたが、このお寺参りをしていてけっこう多いことに気づきました。その場合、信徒さんもそっくりお宗旨替えするんでしょうかね? なんだか、拝むものはなんでもいいよっていう感じの日本人の宗教観?(笑)
清光の墓碑は境内から小高いところに上がったところにあります。山を眺めるのが好きだった方のようですが、ここからも八ヶ岳など周囲の山々が見渡せます。
立派な本堂の前には樹齢250年といわれるイトザクラがあります。満開は4月上旬で、花見にたくさんの人が訪れるそうです。残念ながら、もうこの季節は葉桜に。隣にある桜も、もうそろそろ終わり。風もないのに花びらがはらはらと舞い落ちてきます。この舞い落ちる花びらがとても大きくて驚きました。植物はまったくわからないのですが、花びらが大きい種類の桜があるのでしょうか。
鐘楼の後ろに芥川龍之介の句碑があります。1923(大正12)年8月に龍之介がこのお寺を訪れた記念のようです。 8月では龍之介も見事なイトザクラの開花は見損なったわけですねぇ。