甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
正覚寺(甲斐霊場第70番)
19世紀初頭に建てられた庫裏も大きく立派なもので、間口5間、奥行が8間あるそうですが、人の気配はせず、ご朱印は裏へお回りくださいとの紙が貼ってありました。で、裏へ伺うと、普通の住宅があり、なんだかイメージのギャップが……(笑) でも、ご朱印を押してくださり、ご親切に味噌なめ地蔵のご案内もいただきました。
というのも、いただいたパンフレットに「味噌なめ地蔵」の写真と解説があるのに、境内中を探してもそれらしきものが見当たらなかったのです。わざわざ門のところまで出てきてくださり、「国道を渡ってしばらく行ったところの赤い屋根」と教えてくれました。「なんで、そんな遠くに?」と、素朴な疑問。
昔はずーっとはるか向こうまで正覚寺の境内だったのだそうです。いま「味噌なめ地蔵」があるところが、旧道で、かつても参道の入口。「国道が通ってしまいましたから……」と。いまでも十分に立派なお寺ですが、かつてはきっともっともっと権勢を極めていたのでしょう。
「味噌なめ地蔵」のところまで行ってみました。近くによるだけでプーンと味噌のにおいが漂ってきます。病人が、自分の悪いところと同じ部分に味噌を塗れば病気が治るといわれていますが、まだ信仰が生きているのでしょう。塗りたてという感じの新しい味噌もありました。ちょっと不気味な感じではありますが(^_^;)
海岸寺(甲斐霊場第71番)
海岸寺はかなりな山の中にありました。他の車はほとんど見かけず、そういうクルマでそういう風に走ればかなりおもしろそうなワインディングロード(^_^;) しかし、この山の中でなぜ海岸? 経文の中にある「観世音の本所、補陀落山は天竺南海中にあり」の補陀落山を別名「海岸孤絶山」というところから海岸寺と名づけられたとか。そういえば、四国にも海岸寺というお寺があるようですね。
本当にこんなところにお寺がるのかしらと不安になってくる頃、道路の左端に「海岸寺石段入口」の手書き風看板がありました。石段はクルマでは登れないけど……と思いながら、そろそろと小道に侵入。石段はありましたが、クルマを停めるスペースどころか、走るスペースも……。見上げるとお寺ははるか上のほうにある模様。この道の先に停めるスペースがあるかも、と、両脇を木の枝でこすられながら前進すると、あれ? もとの道路に出てしまいました。
イチかバチか道路をさらに上がって行くと、2カーブ曲がった先に、お寺に入れそうな入口と、数台のクルマが停められるスペースがありました。そして、「この寺は 観光のための 開放は いたしておりません」の看板が……。お参りなら、いいんだよね……。
なだらかな坂道を登って、門をくぐり、境内に入っていくとたくさんの石仏が迎えてくれます。高遠の石仏師守屋貞治が十余年の歳月を費やして彫り上げたといわれる石仏で、その数は100体以上あるといいます。西国三十三か所、坂東三十三か所、秩父三十四か所の観音像と延命地蔵尊だそうですが、一体として同じものがないとか。壮観です。
庫裏を訪ねてご朱印をお願いすると穏やかそうな住職が対応してくださり、「観音堂もお参りしてくださいましたか?」と。やっぱり、お参りならよかったんですね! 境内には座禅堂のようなものや静かに座って時間を過ごせるようなベンチもたくさん用意されていて、「観光はダメ」というのは、「ただ見て歩くのではなくて、心静かに人生を考えなさいよ」という意味なのでありました。
何組かの参詣の方々と出会い、大きな観光寺は別として、これまで訪ね歩いた甲斐のお寺さんの中で、実のところ、いちばん参詣の人が多かったのではないかと思います。確かに、悩みごとがあれば、ここでゆっくり考えるのがいいかもと思わせる風情があります。
本堂は1603(慶長8)年に建立され、1671(寛文11)年に再建されたもの。本堂の左手後ろの石段上にある観音堂は大悲閣と呼ばれ、やはり1603年に建立され、1810(文化7)年に名工といわれた立川和四郎富昌が再建築したものだそうです。正面のアワとウズラの彫刻は有名。他にも六地蔵板碑など貴重なものがたくさんあり、「観光」もしたくなります(^_^;)
ヤマツツジの季節でもあり、境内や石段が彩られていました。