甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
塩澤寺(甲斐霊場第63番)
湯村温泉にある塩澤寺は、厄除地蔵といったほうが通りがいいようです。このお地蔵様は毎年2月13日と14日だけ耳が聞こえるようになり、願いごとを聞き届けてくれるというので、この日はたくさんのお参りがあるそうです。このお祭ではお寺周辺にはたくさんの露店が立ち並び、活況を呈すといいますが、いまは耳をふさいでいるお地蔵様のいるお寺も静か。
山を背にしたお寺で、立派な山門をくぐり境内へ行くには、長い石段を登っていきます。正面が地蔵堂。内部は室町末期の特徴を残していて、国の重要文化財だそうですが、いまは固く閉ざされていました。
庫裏の前にある「舞鶴の松」という松の枝ぶりが見事。県の指定天然記念物になっています。樹齢450年以上といわれ、枝は30メートルぐらい伸びています。鶴が翼を広げて舞い上がろうとする姿に似ているところから舞鶴の松と呼ばれています。
地蔵堂から奥へ入って行くと、自然散策路が広がっているようです。私たちは不精にもクルマで霊場めぐりをしていますが、ゆっくりと散策しながらのお寺巡りもよさそう。それでも1日にいくつかのお寺を訪ね歩けそうです。でも、108を歩いて廻ったら、どのくらいかかるのでしょうね……。
話は変わりますが、この下↓にランキングなんかが、つけられちゃってますよね。最近ずっとランク外(^_^;) おもしろくないかなぁ、お寺参り(-_-;)
羅漢寺(甲斐霊場第64番)
羅漢寺は昇仙峡の中ほどにあります。すごくダイナミックな渓谷ですね、昇仙峡。さまざまな表情を見せる岩に息をのむとはこのことかと思いました。渓谷沿いの道を馬車が行きます。たぶん、週末や観光シーズンは車両が通行止めになって、馬車か徒歩ということになるのでしょう。平日はクルマも入れるとのことで、ちょっとクルマで失礼しました。
しばらく渓谷沿いに走ると、小さな吊り橋があります。ここが羅漢寺の入口。広くなっているところにクルマを停めて、そろりとつり橋を渡り、石段を登っていくと本堂がありました。ここは羅漢寺山の麓だそうで、背後にそびえる山は標高1,058メートルあるそうです。
平日でも昇仙峡橋を歩いている観光客の姿はかなりありますが、吊り橋を渡って羅漢寺までやってくる人は少なく、静か。ピンポンしても返事はありませんでした。生活用品はそこここに見られるものの、人が住んでいる気配はあまりなく、ひょっとしたら無住なのかもしれません。とはいえ、本堂の向かいにある五百羅漢像の保存庫は扉が開けられ、ガラス越しに拝観できるようになっているので、単にお留守なだけかも。
かつては羅漢寺山の一の岳、二の岳、三の岳のそれぞれ小堂があり、山全体が修行の場であったのだとか。いくつかの堂の跡は残っているそうですが、この山に登る元気はありませんでした(-_-;)
五百羅漢は、かつては修行場の小堂に安置されていたそうですが、いま保存庫に残されているのは1体の阿弥陀如来座像と、中は暗くて、数を数えることはできませんでしたが154体の羅漢さんだそうです。いずれも一木造りで、当初は彩色されていたと解説板にありました。製作は1424(応永31)年、大きさもまちまちで表情はすべて異なっています。