甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
東光寺(甲斐霊場第56番)
入母屋造檜皮葺屋根の東光寺仏殿は、鎌倉禅宗様式の代表的な建築で国の重要文化財。室町時代の作といわれています。
本堂の裏には池泉観賞式の庭園があり、希望者には拝見させてくれるそうなので、声をかけてみました。最近はお寺さんでもインタフォンで「ピンポーン」というところが多いようですが、ここでは木槌で鐘をならします。なかなか響く音でした。
お庭の入り口は、武田菱の形に刈られたつつじ。なかなかおもしろいです。花が咲いたら、どんな感じになるのでしょうか? そう大きなお庭ではありませんが、静けさが伝わってくるような感じ。中国北宋様式というのだそうです。お寺もお庭も趣のある場所でした。でも、300円は高いかなぁ。
東光寺は長禅寺、能成寺、大泉寺、円光院とともに甲府五山のひとつに数えられる名刹。1121(保安2)年に新羅三郎義光が国家鎮護の祈願所として建設した興国院に始まると伝えられています。 平安時代なんですねぇ。
いっときは衰退したものの、その後、1268(文久5)年に禅宗寺院として再建され、戦国時代は武田氏の保護を受けていたそうですが、武田滅亡のときに織田方にほとんどを焼き払われてしまったとか。その後も甲府大空襲で焼かれ、重要文化財の仏殿だけがかろうじて残った模様です。本堂などは戦後の建物。
能成寺(甲斐霊場第57番)
能成寺は、山門から本堂までずっと石垣に沿って坂道が続いています。山門の脇には1890(天保11)年に立てられたという「名月や池をめぐりて夜もすがら」の芭蕉の句碑があります。これは息切れ坂ですねぇ。走っていいのかしらと思いつつ、クルマで上がっていきました。本堂の下に停めて、さらに階段を上がるとパッと視界が開けます。一面のブドウ畑。いまは枝が伸びているだけですが、秋になればたわわにブドウが実ることでしょう。
14世紀前半の貞和年間に八代郷に開かれたお寺で、後に甲府市西青沼に移され、16世紀末の文禄の頃にこちらに移転。やはり甲府大空襲でほとんどのものを焼失してしまったようですが、1542(天文11)年の「信玄の制札」、1591(天正19)年の「加藤光泰禁制」、などの文書がかろうじて残ったとか。
庭園には大輪の花を咲かせる牡丹園があるそうですが、あいにく牡丹にはまだちょっと季節がはやく、残念。108(実際には109)あるお寺には、桜が有名なところ、梅がきれいなところ、紅葉が評判のところと、風景もいろいろ楽しめるはずなのですが、順番を守って廻っていると、なかなかちょうどいいときにめぐり合えません。もったいないような気もしますが、季節外れは季節外れなりの風情もあるだろうと思うしかありませんね。1本ですが、桜もせいいっぱい咲いていました。