甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
聖応寺(甲斐霊場第44番)
入り口の小さな木橋の下には清流がありました。楓橋と呼ばれるこの反り橋を渡って三門まで、長い参道が続いています。両側に杉の木立が続くいて、荘厳な雰囲気が漂っています。参道の先に現われたのは古めかしい三門。堂々として、威厳がありました。その奥にあるのが本堂かと思ったら、仏殿なのだそうです。
1395(応永2)年、武田家に従う豪族だった黒坂信光によって寄進されたという聖応寺は、広済寺とともに向嶽寺派の二大寺として栄えたそうです。20もの子院があり、多くの僧たちが修行していたといいますが、1779(安永8)年にほとんどの建物を大火で焼失したのだそうです。
600年の歴史は土の中に埋もれてしまっていますが、石垣をはじめ、お庭の手入れがよく、まるで庭園のようです。仏殿の横には本堂を兼ねた庫裏があり、この建物はなかなか趣があります。が、お留守みたい。
仏殿の裏で植木仕事をしていらっしゃる方がいたので、「お寺さんはお留守でしょうか?」と伺ったら、なんとこの方が住職でした。広くて美しいお庭を手入れするのは大変なことのようで、長靴に軍手で汗を流していらっしゃったのでした。すみません、お邪魔して。「御朱印を……」というと、仕事の手を休めて書いてくださいました。
そして、「こっちへ来てごらんなさい」といって案内してくださった場所は、甲府の街を一望できるまるで展望台のようなところ。ここから眺める夜景は素晴らしいものだそうです。「まあ、夜になってお墓参りする人もいないので、あまり見た人はいないんですけどね」と。確かに。山が真っ赤に染まる朝焼けも大変美しく、自慢の光景だそうです。住んでいる方にしか味わえない感動かもしれませんね。
夜中のお墓参りはちょっとナンですが、早起きの朝焼けは……、いやいや早起きがゴキブリの次に苦手な私にはちょっと無理かなぁ。
向昌院(甲斐霊場第45番)
向昌院から眺める山は見事です。お庭もよく手入れされていますが、バックの山あってこそという感じです。これはありがたい借景というのでしょうか。
11世紀半ばに真言宗のお寺として開かれ、1520(永正17)年に禅宗に改めたお寺だそうです。200年ほど前に大火で全焼したそうですが、山門、本堂、庫裏は再建されています。再建っていっても200年以上の年月を経ているわけですからね、貴重なものです。
道路をはさんでお寺の向かい側には、「藤垈(ふじぬた)の滝」という水量は多くありませんが、清涼な水が湧いています。横には新羅三郎義光の開基といわれる芹沢不動尊があり、堂の前で小さな滝を作っています。向昌院ができた頃はここが祓の場であったとか。
瀧の向かいに水場があるのですが、ここの水はおいしいというので、近隣から水を汲みに来る人が絶えないそうです。この日も乗用車に大量のポリタンクとペットボトルを積んだ人、バイクの座席にポリタンクをくくりつけてきた人、何人かが水汲みに余念がありませんでした。私は「日本の名水」というのはよく知らないのですが、リストアップされているのでしょうか、それとも隠れた名水なのでしょうか?
滝の周辺は公園になっています。というか、なりつつあります。ただいま整備中という感じですが、いかにも工事中という風情ではないので、いまでも十分、気持ちのいい散歩ができそうです。