甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
妙法寺(甲斐霊場第32番)
妙法寺の庫裏は、時代劇のセットのようでした! 間口13間、奥行き7間半といいますから、23.5×13.5メートルぐらいですか。1886(明治19)年にお寺が焼失したときに、船津にあった民家を移築したものだそうです。江戸末期の建築らしいとのこと、町の文化財になっています。当時の家具や、紀州徳川家のお抱え絵師、波羅蜜(雪岳)が杉戸に描いた鶴の図などが残されています。けど、呼べど叫べと反応なし。開けっ放しなのは、お留守でも家を見に来る人に開放しているということでしょうか。犬が2匹、こちらはつながれておりまして、おとなしいのですけど、見張り番?
このお寺には文化財がいっぱい。広い境内の左脇には三十番神堂があります。三十番神堂は法華経を守護する三十体の神像を祀る建物だそうですが、明治期の和洋建築。柱や鴨居などに細密な彫刻が施されています。本堂も明 治時代の建築だそうです。珍しい村芝居の回り舞台もありました。いまでも、使っているのでしょうか。
妙法寺の起源は1278(弘安元)年、日蓮聖人が富士山麓で布教に歩いたとき、その説法に感銘を受けた農民たちが法華堂を建てたことに始まるそうです。そのとき、日蓮が農民たちの持ち寄った紙に曼荼羅を書きました。これが「二十八紙大曼荼羅」と呼ばれるもので、日蓮の曼荼羅ではもっとも大きいものだそうです。
この大曼荼羅は、妙法寺の本寺に当たる日法が開いた光長寺(静岡県)にのっとられて?いまでもそこにあるそうですが、妙法寺住職一代に1回限りの里帰りが許されるのだそうです。妙法寺は、代わりに日法が書いた十八曼荼羅がご本尊となっているそうですが、なんだかだまされたような話じゃないかなぁ(笑)
常在寺(甲斐霊場第33番)
常在寺へ行く道は河口湖沿いのドライブコース。しばし、湖畔でクルマを停めて、富士山はどっちの方向だろうと……。あいにく上空に雲がかかり、方向はわかりましたが、冨士の姿を見ることはできませんでした。湖岸道路からちょっと入ったところに常在寺はありました。
門の前のちょっとした空き地にクルマを停めて長い参道を歩くと先方に鳥居らしきものが……。なんだか神社っぽいけど……。さらにまっすぐ行くと「社務所」がありました。そこではっきり認識すべきですよね、ここが神社だって。でも、社務所に行って聞いてみました。さすがに「ここは常在寺……、では、ありませんよね?」という聞き方になりましたが(^_^;)
ここは武田信玄の祈願所であった御室浅間神社。境内も参道もとても広々としています。n日蓮宗の常在寺はお隣でした。浅間神社の参道を途中で右に折れると、お寺の裏にでることができました。晴天なら境内から見事な富士山の姿が見えるそうです。うーん、相変わらず雲がかかっていて残念。
13世紀頃の開山らしいのですが、このお寺はたびたびの火災で焼けています。1949(昭和24)年にも堂を焼失したそうです。この数度の火災を免れたのは享保年間に作られた山門と宝蔵はだけだそうです。その後、本堂や鐘楼などは再建されています。
常在寺の寺宝には、鎌倉期に作られた金銅薬師如来立像や日蓮上人の直筆「下山御消息」、江戸初期に谷村城主納めたといわれる馬具一式などがあるそうですが、御朱印スタンプラリー程度じゃ見せていただくわけにもいきませんね(^_^;)
お墓所で納骨の儀を行っているご家族がありました。で、周囲を見渡すと、見える範囲内のお墓が全部、同じ名字でした。お〜、一族郎党! こういうお家は、きっと系図などもしっかり残っているのでしょうね。土地にしっかり根を張って生きている人々の姿を見たような気がしました。