甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
花井寺(甲斐霊場第22番)
そして、ほうほうのていで辿り着いた花井寺は、お留守でした(-_-;) 洗濯物が干してあったので、無住ではないのは確かでしょう。しかし、呼べど応えず、扉もかたく閉ざされていました。大勢の人が動かない平日にウロウロしているのは、道も空いているし、たまに住職さんのお話をゆっくり聞けることもあるなどのメリットがあるかわりに、こういうリスクとつねに背中合わせになりますね。大げさな!(笑)
水上山花井寺は臨済宗のお寺ですが、山の上にあるのになんで水上山? 本堂は享保年間、18世紀初頭に作られたもので、右手の鐘楼は創建1000年を記念して1986(昭和61)年に建立されたものだそうです。
経堂というのでしょうか、蔵のようなものの中には「紙本墨大般若経」六百巻が納められているという説明の石碑がありました。この寺の寺宝で、山梨県の文化財にもなっているそうです。1228(安貞2)年から230年の年月をかけて書写された貴重な仏典だそうですが、それは住職がいらっしゃったとしてもおいそれとは見せていただけないでしょうねぇ。見てもわからないし(-_-;)
花井寺へ行くまでに、けっこう長い距離、甲州街道(国道20号線)を走りました。けっこう曲がりくねっていて、アップダウンもあり、街道沿いには歴史を感じさせる街並みも見られました。かなりの交通量はありましたが、江戸時代は、ここを人々が歩いたんだなぁとイメージできるような道でもあります。これまでは上のほうを走る中央高速でびゅーんと通過するばかりだったので、ゆっくり走って上野原、大月あたりの街並みを味わった、なかなか楽しいドライブとなりました。ゆっくり走りすぎて、トラックにあおられたりもしましたが……(-_-;) 制限速度ぐらいは出していたんですよ〜。
福泉寺(甲斐霊場第23番)
福泉寺へ行くに当たっては、またまた迷い、急坂を登った瞬間に行き止まりの民家の庭に突入。両脇いっぱいで、バック以外に身動きが取れない状態になりました。放し飼いのすごく怖い顔をした2匹の犬に吼えられ、クルマから出ることさえもできなくなり、命がけでバックするしかないかとちょっと青くなったかも。そこへ、犬の鳴き声で家の人が出できました。正しい道を教えてもらい、そして、質問。「これ、どうやって出るんですか?」。すると、「バックで」と、いともあっさり。バックで30メートルぐらい下がって、下の家の庭へ入れて向きを変えればいいそうな。ひぇ〜、だけど、とりあえず、まっすぐ他所様の庭へバックで入れました。そこから出るのもすれすれです。私にとっては甲斐霊場めぐりは、巡礼ではなく甲斐教習所だと判明。
始めた頃は暑い、暑いと文句を言っていたのに、いつのまにやら秋の空になっています。お寺の駐車場に停めて一息つくと、柿がたわわに実っているのを見つけました。山門から境内へ登っていくと、お経の声が聞こえてきました。お寺めぐりをして23件目で初めて聞くお経です。ここは浄土真宗のようです。法事をなさっているらしく、境内にクルマが停まっています。えっ? どこから上ってきたのだろう? 境内で待っているとまもなく法事は終わり、法事の方、軽自動車だったけど山門からクルマで(数段ですが)階段を下りていきました! まったく、甲州には驚きがいっぱい(笑)
法衣の住職さんがでてきてくださって、本堂にもお参りさせていただき、いろいろご説明もいただきました。本尊は釈迦如来で、座底に1545(天文14)年の銘があり、お寺は鎌倉建長寺の末社としてその頃に創建されたらしいとのこと。2度の火災に会い、1788(天明8)年に諸堂を焼失。現在の堂は1821(文政4)年に完成したものだそうです。本堂の中の杉戸には鳥や花、墨絵の龍などが描かれていて、まるで時代劇の世界へ迷い込んだようです。
住職さんは22代目だそうです。「お寺の維持はとても大変ですが、この杉戸などはやはり大事に守っていきたいものですから」とおっしゃっていました。御朱印代をお渡ししようとすると、「では、ここへ」と募金箱を示されました。それも23件目にして初めて。まったく商売っ気なさそうで、これでは確かにお寺の維持も大変かもと。大きなお世話ですね(^_^;)
境内の杉の木は、樹齢400年を超える大木。時代は不明ながら、1度目の火災の後に植えられたらしいとのことです。境内が崖の上にあるという感じで、根は崖の下にあるため、根の部分が広がっておらず、地面からすくっとまっすぐ立っているのが印象的でした。