甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
向嶽寺(甲斐霊場12番)
外門を通り抜けると木立に囲まれた長い賛同があり、後ろに開山堂を背負った形で仏殿があるのが珍しい風景かもしれません。書院など大きな建物がならんでいますが、境内は人気がなく静か。なんとなく物見遊山の人は拒んでいるような気配がただよっているような気がしたのは考えすぎでしょうか。
1378(永和4)年(1378)、この近くに抜隊禅師が小さな草庵を結んだのがはじまりといわれます。その後、武田信成から現在の土地が寄進され、新しい草庵が建てられたそうです。この地から南の方角に富士山(富嶽)が望めるところから向嶽庵と名づけられ、のちに向嶽寺となりました。
向嶽寺が背負っているのが塩山という山ですが、これは古今和歌集に歌われた「志ほの山 さしでの磯に すむ千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」という歌に由来するそうです。塩山市という地名はこの山の名に因んでいますが、向嶽寺の山号も塩山。この地を象徴するようなお寺ですね。
境内には深い緑に囲まれた放生池があり、木の橋に風情があります。本道の裏手には1994(平成6)年に国の名勝に指定された庭園があります。1990(平成2)年に発掘調査が行われるまでは埋没した庭園だったそうで、ほぼ造られたときに近い状態で発掘されたそうです。山梨県に残る古庭園の典型、さらには日本の伝統的庭園の歴史を伝えるものとしても重要な庭園だそうですが、この日は入ることができませんでした。残念!
それと、つまらない疑問なんですけど、このお寺の前の信号が「向岳寺」となっているのはなぜ? 固有名詞には略字なんか使わないでほしいんだけど(笑)
雲光寺(甲斐霊場第13番)
甲府盆地に出かける日に限って、なんでこんなに暑いのかしれませんが、すさまじい残暑の中、甲斐百八霊場の第13番、臨済宗神竜山雲光寺へ出かけていきました。しかし、今年の残暑は本当に厳しく、長いですよねぇ。
こんなとき、汗ばかりか冷や汗までは流したくないものですが、またしても迷子の迷子の雲光寺になりました。ナビが「この辺です」と言った地点をちょっと通り過ぎると、リルートして再び案内を始めたのでそれに従うと、どんどん「この辺」から離れてしまい、「変だな」と思って確認すると、なんと自動的にスタート地点に戻る案内をしていました。なんだこれ?
再びセットして、こんどは慎重に地図を見ながら行くと、この橋の手前をどうしても左に曲がらないと……。道らしきものがあったので、とりあえず左折。したのが間違いでした。5メートルも行かないうちに左右いっぱいいっぱい、右は川(-_-;) 同乗者がいったん降りて、前の道を探索に。少し先に民家の庭らしき空き地があり、そこでUターンさせていただくことにして前進。そこで庭仕事をしていた老婦人に道を尋ねると、やはり全然、違う場所を教えられました。
Uターンしてそろそろと元の道を戻り、教えられた方面へ。10キロ以上離れているし、「ほんとにそこかなぁ」という疑いは持ちつつ、ナビより人のほうが信用できるかと……。それにしても、と思い、通りすがりの自動車修理工場で作業中の方の手を無理やり止めさせ案内を請うと、なんとここは隣の市! いたしかたなく、あまり信用できないナビに従って元に戻り、案内を終了したところから、勘で走ることに。途中でゴミ収集車に出会い、道を聞いたのが正解で、やっと雲光寺にたどり着くことができました。なんと1時間半以上、周辺をウロウロしていたことになります。何のためのナビなのだろう? 誰か友人にやっぱり新しいナビを買いなさいと忠告してください(笑)
入り口 入り口の標識?
雲光寺は、そりゃあ最新ナビでもわかりますまい、というくらい狭い道をちょこちょこと曲がった奥にありました。入り口はこれまた、通れるの?という道で。なんとか通過して境内に入ると、広々とした気持ちの落ち着く空間が待っています。本堂は開けっ放しで、ご本尊の地蔵菩薩がゆったりと鎮座しています。御朱印を貰おうと「ごめんくださーい。こんにちは〜」とどこかのファミレスの挨拶のように叫びましたが、しーん。なのに、本堂の電気が点いたり、しばらくすると消えたり。
ケヤキの根で作った木魚
お彼岸の入りということもあって、ちょうど墓参に来た方がいたのでうかがってみると、このお寺は無住だそうで、住職は少し離れたところのお寺の住職が兼務だとか。ご本尊の脇には市指定の文化財、14世紀末ごろのものといわれる、ケヤキの切り株から作ったという「木魚」もさりげなく置いてあったりして、わっ、不用心! という感じです。でも、タイマー式のようなもので電灯が点いたり消えたりするくらいだから、防犯モニターなどはしっかりしているのかもしれませんね。
住職がいないというわりには、お墓所などもとてもきちんと整備され、新しい墓石もたくさんあり、手入れも行き届いています。観光客用と思われるトイレも清潔で、ウォシュレットつき! 地域の檀家の方々にはとても大切にされているお寺さんなのではと思わされます。
太子寺
住職さんのいるお寺の名前はわからず、口頭でうかがった行き方もとても複雑だったので、御朱印はひとまずあきらめたのですが、次にうかがったお寺でお寺の名前と連絡先を教えていただき、当てにならないナビの力も借りて(笑)、そのお寺、太子寺にもうかがい、なんとか御朱印もいただくことができました。失礼ながら、住職がいらっしゃる太子寺より、雲光寺のほうが立派。それなのに……。これにはきっと秘められた物語があるに違いないと、勝手に想像をふくらまし、仮説を立ててみたりして、旅の肴にさせていだきました(^_^;)