甲斐霊場めぐり
私は別に悪行を重ねたつもりはありませんが(^_^;)、もし、後になっちゃったら汚れ水を渡らなきゃならなくなるし、ここはひとつ、お付き合いしましょうってんで、甲斐百八箇所霊場めぐりを敢行することにしました。簡単にいえば、要するに運転手。煩悩の数と一緒だし、ちょうどよいのではないかと。いっぺんには無理なので、ちょっとずつね。
霊場はどこでもよかったんだけど(^_^;)、都内は移動に混雑が見込まれるところも多いし、今年は風林火山だろうというので、あっさり山梨県に決定! いいかげんなもんです。ついでに山本勘助の墓参りでもしてきますか<いっぱいあるらしい
というわけで、第一番「善光寺」に行ってきました。一般には甲斐善光寺といわれています。武田信玄が長野の善光寺からご本尊を奪ってきて祀り、また奪い返されちゃって、いまは別の阿弥陀如来がご本尊とか。善光寺というのはもともと土着信仰と関係が深いらしく、調べてもいないのでわからないのですが(無責任!)、けっこう全国に善光寺という名前のお寺がたくさんあるようなんですよね。
甲府は、ちょっと高台のほうに行くと、本当に街全体が見下ろせます。そして山を背負い、三方も山。盆地なんだなぁとつくづく感じられます。今日はめちゃめちゃ蒸し暑かったですが、梅雨の晴れ間で、富士山もくっきり見えました。この高みから富士を目前に拝し、集落全体を見下ろすと、武田信玄ならずとも「要塞堅固っ!」って感じがします。
恵林寺(甲斐霊場第9番)
乾徳山恵林寺、「えりんじ」と読みます。甲斐武田氏の菩提寺として武田信玄の葬儀が行われた臨済宗の寺院です。14世紀初頭、鎌倉時代に開山され、一時は荒廃したものの、1564(永禄7)年に武田晴信(信玄)によって復興されたお寺だそうです。
信玄が没したのは1576(天正4)年、その6年後の天正10年には織田軍によって焼き討ちにあったということで、波乱万丈な歴史を経てきた寺院のようです。このとき、快川和尚が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と言って焼死したことが有名です。こんな故事は知らなくても「心頭を滅却すれば……」というのは、誰でもどこかで聞いたことのある言葉ですよね。
宝物殿もあります
のちに徳川家康によって再興され、5代将軍綱吉時代に甲斐の領主となった柳沢吉保が大規模な修復をはかったとのこと。信玄の墓所がある本堂裏の西側には、柳沢吉保夫妻の墓もあります。
さすがに信玄の廟があるお寺らしく、でっかい!という印象です。本堂を拝観するためには拝観料300円なり。入ってみようかしらと思っていたら、どーっと団体さんが……。大型観光バスが着いたようです。「越後交通」という旗をもったガイドさんが少なくとも4人はいたので、200人近い人々でしょうか。そっか、今年は風林火山ですからねぇ。あまりの人ごみに圧倒されて、中に入るのは見合わせました。また、ブーム?が去った後にでも機会はあるでしょう、と。
寺院も大きいですが、境内もお庭も立派なものです。これまで回ってきたお寺の中では群を抜いていました。南北に長い敷地の南端には「雑華世界」の偏額がかかる黒門、長い参道を200メートルぐらい進むと重要文化財の四脚門(赤門)、ここを入ると明るく広い庭園になっています。ここには茶店や売店などもあって、観光客があちこちのベンチに腰をかけくつろいでいます。この庭の北端には県指定文化財の三門、その先に開山堂、本堂、庫裏などが建っています。いや、本当に広い! ここより大きいのは身延山久遠寺ぐらいでしょうかね。
あまりの人の多さに行ってみなかったのですが、裏手にある庭園は1944(昭和19)年6月26日に国の名勝に指定されているそうです。上段が枯山水、下段が心字池を配した池泉回遊式で、「その規模の大きさと美しさは他に類を見ない」と言われます。この辺りの寺院をあと100近くうろうろしようという目論見なのですから、人の少なそうなときにまたゆっくり訪ねたいと思います。
こんな大きなお寺で、訪れる人も多いのに、御朱印を僧侶が筆をとって一つ一つ手書きしてくださるのは、当たり前の風景かもしれませんが、ちょっと驚きました。小さなお寺でも印刷、あるいは複写したものに判だけ押して日付を書き込むというところが多いので。汗だくで御朱印を書いてくださっている僧侶の前には、御朱印帳が山のように積まれていました。団体さんより一歩だけ、先に御朱印帳を差し出したのは本当にラッキーでした(^_^;)
慈雲寺(甲斐霊場第10番)
甲州市の天然記念物に指定されているイトザクラの巨樹があり、きっと春には美しい花を楽しませてくれるのでしょう。このイトザクラは、ウバヒガンの変種というもので、樹齢は300年ぐらい、枝が四方に垂れ、糸が垂れているような形に見えることからイトザクラの名があるようです。淡紅色の可憐な花を咲かせるとのこと、春になったらもう一度、この桜を見に来てみたいものです。いまの季節はお庭も一面の緑という感じで花は少ないですが、よく手入れされていながら、あまり人工的な感じがせず、くつろげるお庭です。
ここには樋口一葉の文学碑が建っています。幸田露伴が碑文を書き、賛助者として坪内逍遙、与謝野寛、与謝野晶子、森鴎外、田山花袋、佐藤春夫などそうそうたるメンバーが名を連ねています。しかし、なぜ、ここに樋口一葉?
一葉は1872(明治5)年3月25日東京生まれ、1896(明治29)年11月23日没。24歳という短い生涯だったんですね。この24年間に何か慈雲寺との関係が生まれていたのかと思ったら、関係があるのは一葉のご両親だったのです。
江戸末期に当時の住職が寺小屋を始め、のちに樋口一葉の両親がここで知り合い、ここで学んだのだそうです。ここは樋口家の菩提寺でもあったようです。この文学碑は、1916(大正5)年に一葉の妹、邦子が先祖の墓参に訪れたときに、世話をしてくれた人と「一葉の碑をこの地に建立し、後世まで遺したい」という相談がまとまり、大正11年10月に建てられたと説明されていました。
2004年から樋口一葉が5000円札の肖像になったことを記念して、お寺の入り口には新しい一葉の石像も立てられています。観光資源にしたいというお考えがあるのでしょうが、桜の季節以外はあまり人も訪れないような、静かな風情のままいてほしいような。初めて来たくせに勝手なことを言うなって感じですけど(^_^;)