第一章 なりはガキでも商売上手

 暮れ正月はテキヤにとっての稼ぎどき。初詣で賑わう神社や寺の境内で、晴れ着姿のおねえさんでも通りかかれば、ここぞとばかり大きな声を張り上げる。 まだ小学生のヒデがここで売っているのは、縁起物だった。「災難除け、厄除け、魔除け、交通安全。怪我、災難、過ちがございませんように。小さなほうからのぞきますと、生まれました自分の干支のお守り様が入っております。子年は千手観音、丑年は虚空蔵菩薩。丑寅、虚空蔵と申します」 寒い。吹きっさらしの豊川稲荷の境内は、身も凍るような冷たさだが、そこは家業である。一〇歳とはいえ、達者なものだ。「この上の穴から、ちょっとのぞいてみてくださいよ。ここに見えるのは勢至菩薩。午年の守り神でございます。京都は三千院に祀られております」

第二章 旅から旅へのテキヤ稼業-1-

 両親は旅に出ていることが多い。旅といっても温泉旅行などではない。旅稼ぎである。ヒデが生まれた頃は、まだ、かなりの旅人(たびにん)がいた。旅から旅へのテキヤがまだまだいた。といってもフーテンの寅さんのように、ふらっと旅に出るわけではない。あの縁日からこの祭りと、一年を通して旅のコースはだいたい決まっている。縁日や祭を総称してタカマチというが、そういうものは毎年、日程が決まっているからだ。 兄弟分や仲のいいテキヤ仲間と誘い合わせて、「そろそろ出かけるか」と、背負子と三寸を背負って列車に乗る。年頃は似たようなものだが、商うネタが違うという連中がグループを組んで旅稼ぎに出る。 トランク一つというわけにもいかない。商品を並べる台が必要だから、手作りの三寸を背負っていく。折りたためば細長い。いまならバットケースを背負っているようにも見えるだろう。だが、そんな上等なバッグがあるわけではない。もちろん唐草模様のでかい風呂敷に包んで、肩から斜めにかけて背負っていく。三寸に乗せる板は現地調達だ。