アザーン
トルコの大地を踏んで2日目(寝ただけを入れると3日目)は、カッパドキアの朝から始まった。4時45分にアザーンの響きで目覚める。響きでといってもミナレットの隣の家はいざ知らず、ガンガン響いてくるわけではない。耳を澄ますと、遠くから「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」を4回繰り返すことから始まり、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーのほかに神なし)」で終わる、静かで美しい声が風に乗って聞こえてくるという感じだ。外はまだ暗いが、日本時間なら昼前。私は普段、起きている時間に近い(^_^;) まともな生活をしている人でも、休日に寝坊をして「よく寝た〜!」というぐらいの時間なので、トルコに到着したばかりの私たちは、このアザーンで目覚めた人は多かったようだが。 アザーンとは礼拝の時間が来たことを知らせる呼びかけ。日に5回、いまではマイクとスピーカーを通して、ミナレットから街中に知らせる。昔は喉に自信のある人が、肉声で行ったそうだ。ミナレットは、もともとは係がその上に上ってアザーンを行うためにつくられた塔なのである。 「アッラーフ・アクバル」と言われても、当然ながらアラビア語なんか聞いたこともない私に理解できるわけではない。だが、意味はわからなくても短い韻文が連なる言葉の「音」が美しい。トルコではアタチュルクの改革の一環として、当初アザーンをトルコ語で行うことが定められたがこれだけは定着しなかったそうだ。そして、再びアラビア語に戻された。 アザーンもそうだが、クルアーン(コーラン)も音楽的に聞こえる。モスクがドームなのは、音の反響を大事にするところから生まれたと聞いたが、キリスト教の教会も、仏教の本堂も、確かに声がよく響くように作られている。うちのお寺でも法事のときに声の美しい坊さんたちが和唱しているのを聞いて、お経ってちゃんとした人たちがちゃんとした状況で唱えれば、ずいぶん音楽的で美しいものだなぁと思ったことがある。新興宗教の人々が「南無妙法蓮華経」を何度も唱えながらトランス状態に陥っていくのを目撃したこともある。キリスト教の賛美歌も美しいが、言葉の音楽的美しさはクルアーンが一本! という感じだ(個人的な感想) 街に近づくとミナレットがたくさん屹立しているのが見え、民家20〜30軒に1軒ぐらいの割合であるのではないか?と思われるところもある。異邦人には珍しい美しい風景だが、ずいぶんたくさんあるものだなぁと感心させられた。こんなにお寺さんが多いわけ? という感じがしたが、「肉声で……」ということであれば、いくら声自慢の人でも届く範囲には限りがあるだろう。ミナレットのあるところには必ずイスラームの寺院モスクがあるわけだから、一つのモスクには、声の届く範囲の近隣の人々だけが集まって祈っているのだろうか。 ミナレットにもいろいろあるが、有名なブルーモスクなどを例にあげるまでもなく、青い空に突き刺さるように建っている塔は美しいものが多い。この塔は、イスラームの第一原理「アッラーのほかに神なし」と発語するとき、右手の人差し指を一本立てて、数字の「1」を表すことの象徴だそうである。神は唯一なりを意味している。 カイマクル地下都市
有名な巨大地下都市カイマクルは、ホテルから徒歩で10分くらいのところにあった。でも、移動はバス。今日は早起きして、地下都市オープンの一番乗りを狙う。実際に一番乗りだったかどうかは知らないが、少なくとも前に人はいなくて、後ろに何組かの順番待ちができてきたので、ガイドさんの狙いは正鵠を射ていたというところだろう。 カイマクル地下都市は、蟻の巣のように地下へと伸びる岩窟住居。地上の入り口は8階にあたるという。つまり、普通の建物だとB1からB8まであるということだ。洞窟のような通路を下りていくと、迷路につぐ迷路。いまは電灯もつき、観光客には赤い矢印で経路が示されているが、光の入らない地下では方向もわからなくなる。実際にここで暮らしていた人々は、道に迷ったりはしなかったのだろうか。 内部は礼拝堂、学校、寝室、台所、食料庫などがあり、大規模な共同生活が営まれていたことがわかる。発祥や歴史には謎が多いそうだが、アラビア人の迫害から隠れたキリスト教徒が住んだといわれる。この頃は1万5,000人の人々が暮らしていたそうだが、紀元前400年頃の記録にも地下都市が記されているといい、キリスト教徒よりも前に住んでいた人々があるとも聞いた。見学は地下5階までらしい。 地下都市にはガイドブックなどでおなじみの名所だが、実際に歩いてみると本当に迷路。通路は天井も低く、ほとんど身体を二つ折りにして進まなくてはならないところも多い。後ろの人がカメラを構えていることに気づき、あわてて広い空間に避けようとしてガッツーン! あれほど頭上注意と言われながら、やってしまった。天井が高いところへ出る直前に頭を上げてしまうという快挙。頭の命令を身体が聞いてないという感じである。用心のためにニットの帽子をかぶっていたから眼から火花ぐらいですんだけれど、素頭だったらその場でひっくり返っていたかも。 中の通路が狭く、人間ひとりが通るのがやっと。各団体ともイヤホンガイドで、ガイドさんの解説を聞きながら歩くので、前に一団体でもいれば、どうしても渋滞することになる。予定時間はドンドン遅れることになる。後ろにいたのは西洋人の団体だったが、男女ともすごーいおデブさんが何人もいた。地下都市を探訪して行くほどに、小柄なアジア人の私たちでさえ腰をかがめたり、身体を斜めにしてやっと通れる地下通路に何度も遭遇する。はたして、あの方々は通れたのであろうか? 岩の間に挟まって抜けなくなっちゃうなんていうマンガのような事態が……。 もし、ホントにそんなことになれば、その後ろに並んでいた団体は(個人でもそうだけど)、渋滞どころの騒ぎじゃない。通路は狭いので、すれ違いはできないから一方通行だし。「早起きですみません」といいながら、一番乗りを目論んだバシャックさんの判断に感謝である。 デリンクユにもカイマクルより深い大規模な地下都市があるというが、カイマクルのほうが横の広がりが大きいそうだ。