沖縄慰霊の日
沖縄って、戦中も戦後も、いつも日本の犠牲になってきたのだなぁと思いますね。いまも失業率も所得水準もひどい状態なわけだし。もともと琉球王国って、文化的には日本じゃないなって感じだから、これって日本に占領されて同化させられた地域なんだよね、きっと。大昔から日本の犠牲になってきたんだなぁ、と思ったのでした。
いまも基地のことがありますね。これも経済的な問題もあって、何が正解っていう答えは出にくいんですよね。沖縄の基地を縮小させるのは賛成、でも、その分が自分の住んでる地域に来ちゃうんじゃイヤっていう人が多いんだし。
それでまた歴史教科書問題? いったいどこまで……。沖縄の人が怒って当たり前だよね。戦後62年、10歳だった人も72歳。沖縄で何があったのか、身をもって知っている人はすでに少数になっているんですね。
ウシガエル
わが家の裏には川が流れておりますが、ここにどうもウシガエルらしきものが住み着いたらしいのです。数日前から、昼となく夜となく「ぐぇっ、ぐえっ」というような不気味な声が響いております。これがね、夜中も明け方も、そして昼間もなんですよ。寝ないんでしょうかね?
さかりのついた猫が「ふんぎゃ〜、ふんぎゃ〜」と赤子の泣くような気持ちの悪い声を張り上げていたときは、小石を投げて追っ払ったりもしましたが、カエルはねぇ……。どうしたらよござんしょ?
うるさいし、気味悪いし。これは夏の風物詩? いつまで続くものなのでしょうか?
特定外来生物なんだそうですね。国産のカエルを食べてしまうとか。そういえば、最近、近所の田んぼでケロケロ鳴く声を聞かなくなったなぁ。いや、田んぼがなくなっちゃったのか(^_^;)
カエルはお守りだけにしてください! ↓なら可愛いのに(^_^;)
夏至
夏至は二十四節気のひとつ。今年は正確には6月22日の03:06だそうです。昨年は6月21日の21:26でした。北半球では1年中でいちばん昼が長く夜が短い日。でも、これは日の出の時刻がもっとも早い日、および日の入りの時刻がもっとも遅い日ととは一致しないのだそうです。日本では、もっとも日の出が早い日は夏至の1週間前頃、もっとも日の入りが遅い日は夏至の1週間後頃だとか。
東京(北緯35度)の場合、夏至の日の太陽の南中高度は78度もあって、ほとんど頭上から照りつけているようなもの。暑いはずですなぁ。冬至の太陽の南中高度は32度なので、その差はなんと46度もあります。夏至と冬至を比べると、昼間の時間差は4時間50分もあるそうです。今日明日が日の長いピークで、これからますます暑くなってくるのに日は短くなっていくっていうのも不思議な気分ですね。
暦の上では夏にあたりますが、実際には梅雨。ここ数日は晴れたり曇ったりでしたが、週末はまた雨の予報ですね。あと1ヵ月もすると太平洋高気圧の勢力が強まり、梅雨が明けて本格的な夏になります。梅雨明け後の十日間ほどは「梅雨明け十日」と呼ばれて、おおむね晴天の日が続くそうです。つまり日中は「猛暑」、夜は「熱帯夜」。
はぁ〜、いまから想像するだけも嫌ですね(-_-;)
夏至の日の夜につんだクローバーは縁起がいいという話を聞いたことがあります。
五大堂
本尊は秘仏で33年に一度のご開帳だそうで 、前回は2005年だったそうです。ということは次は2038年。某プロ野球チームの優勝周期よりは短期間ですが、いずれにしても一生に2度見られる人は稀、3度は絶望的といったところですね。
五大堂へ行く道には透橋(すかしばし)がかかっています。床が格子のように空いていて、あら、下は海? 昔は丸太だけの橋で、不便だったので板を渡して作られたといいますが、いまでも高所恐怖症の人は怖くて渡れないかも?
松島
野球を見るためだけに、わざわざ仙台まで行くなんて酔狂な? いえいえ、ちゃんと観光もしてきました。日本三景松島です。松島はン十年前に一度、行ったことがあり、そのときは「これが芭蕉を感動させた風景?」という感じで、普通に港じゃないかと思いました。
遊覧船を隠せば?
まあ、その印象は今回もあまり変わりませんね。なんか派手な遊覧船とか……侘びさびの世界とはイメージが違いすぎる!って。
いちばん美しかったの瑞巌寺の本堂へと続く杉並木の参道でした。早朝とはいわないまでも早い時間に行ったので、人気(ひとけ)もなく、清涼感がありました。帰りにはもう観光バス派と遭遇して賑やかになってましたけど(-_-;)
江戸時代には道の左右に13の塔頭が並んでいたそうです。もう一つの道には、修行僧が生活した岩窟があり、苔むした洞窟と石像などがあり、ちょっとだけ異次元ムードです。
瑞巌寺の正式名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(宮城県宮城郡松島町)。平安時代に建てられたもので、江戸時代に伊達政宗の肝いりで復興され、臨済宗の瑞巌寺となったそうです。当然のことながら、伊達政宗の菩提寺とか。幅は39メートル、奥行き25.2メートル、入母屋作造で本瓦葺きの本堂は、国宝になっています。本堂の横にある庫裏も国宝です。