ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/07/04  (水) 

弘福寺

三囲神社から歩いて5、6分でしょうか、七福神の布袋様が祀られている弘福寺があります。1673(延宝2)年に鉄牛和尚によって創建された黄檗宗のお寺だそうです。禅宗の中で、もっとも中国に近い宗派ということで、特徴のある縦走の屋根など中国の寺院を感じさせる建築です。ご本尊は恵心僧都作の釈迦如来像。鳥取藩池田家の菩提寺であったということで、さすがに歴史を感じます。
 
翁媼尊という祠がありました。これは咳の爺婆尊と呼ばれ、口の中の病のあるものは爺に、咳の出るものは婆に祈願すれば、たちまち治してくれるとか。全快したときは煎り豆と番茶を添えてお礼の供養をするそうです。庶民的で、なんだかうれしくなっちゃうような石像ですね。花粉症にもご利益はあるのかしら?
     七福神スタンプはこちら
ここに祀られている七福神の布袋さまは夫婦円満と財運の神様です。七福神の中では唯一、実在の人物といわれます。中国、後梁の時代の禅僧だとか。袋の中の財宝で貧しい者の救済を行います。弥勒菩薩の化身ともいいますが、私の財布も救ってくれますでしょうかね?



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2007/07/03  (火) 

三囲神社は不思議空間

隅田川の東岸、墨田区のあたりを墨東(ぼくとう)といいますが、この呼び名は江戸時代に林述斎という風流人によって名づけられたといいます。三囲神社は14世紀半ばに創建された墨東の古刹です。
  
近江国三井寺の僧源慶が東国を巡礼していた途中で、隅田川のほとりに荒れ果てた小祠を発見。弘法大師が建てた由緒ある祠だというのに打ち捨てられていることを悲しみ、再建しようと地面を掘ったところ、白狐にまたがった神様が納められたの壷と白狐が出てきて、白狐は神様のまわりを三度めぐって消えたというのです。この話が伝えられ、「みめぐり」神社の名が起こったということです。
  
社の背後にはたくさんの赤い鳥居が通路のように建っていて、暑い盛りの都会の中なのに、静かでどことなく深閑とした雰囲気が漂っていました。鳥居の突き当りには狐を祀った社、鳥居の横には「老翁老嫗の石像」があり、妙に存在感があります。
 
この石像は、元禄時代に三囲神社の白狐祠を守っていた老夫婦だといいます。祈願しようとする人が老婆に頼むとどこからともなく狐が現れて願いごとを聞いてくれるとのこと。他の人が呼んでも現れることがなかったといいますから、もう二度とお狐様を見ることはできないのでしょうね。三囲神社は古くて小さな神社ですが、なんだか神秘的な気配の漂う場所であります。



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2007/07/02  (月) 

七福神

先日、七福神めぐりの簡素といわれる隅田川七福神を訪ねて三囲神社に行ってきたわけですが、七福神は全国に400ヵ所以上あるそうですね。七福神めぐりは一般に正月行事ですが、通年で実施している寺社もたくさんあります。隅田川七福神も常設の看板が出てました。スタンプも置きっぱなしのようです。でもご神体の拝観や、御朱印を望むのなら、基本的には松の内に行く必要があるでしょうね。
 
七福神を構成する神々は、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、寿老人、福禄寿で、室町時代にはもうそれらしき神集団があったといわれますが、いまの神々編成が確立したのは江戸時代になってからといわれています。
 
江戸の風流人、佐原鞠塢が向島に「百花園」を開いたとき、たまたま彼が福禄寿像を所持していたので、やはり風流人として知られる太田蜀山人などが七福神遊びを思いついたという説があります。
 
隅田川七福神は風流人たちの遊びがもともとの発祥? なんでも洒落のめちゃうようなところのある江戸を代表する文化人による本邦初のスタンプラリーってところでしょうか。御朱印がスタンプにかわり、神様が私鉄の駅になったりして、現在に引き継がれているような(笑)
 スタンプ


三囲神社に祀られている七福神は恵比寿さまと大黒さまです。なぜか、ここだけは同居。恵比寿さまは商売繁昌、除災招福の神様。日本国の親、伊邪那岐命、伊邪那美命の第三子といわれ、本来は豊漁の神であったものが、後に商売の神として信仰を集めるようになったものです。 大黒天は五穀豊穣、子孫繁栄の神様で、福徳開運、財産授与のご利益もあり、人々に愛されています。お顔も、どの絵をみても福々しくて憎めない感じですよね。
恵比寿&大黒の社 
江戸時代人はあちこち巡るのはかっこうの暇つぶし、遊びだったようですが、現代人は忙しいので?七福神を自分の手元に集めちゃうという縁起物はなかなか人気のあるアイテムです。
  



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2007/07/01  (日) 

ラベンダー

家の近くに生垣のかわりにラベンダーを植えている畑があります。畑そのものがもはや希少価値になりましたが、近くを通るとほんのりと花の香りが漂ってきます。ラベンダーは「癒し系」の香りだそうで、ベッドにもちこめばよく眠れるなどといいますが、個人的にはあまり好きな香りでもないのですが。
 

このラベンダーには、小さなミツバチがいっぱい取りついて蜜を収集しています。どんな味の蜂蜜になるんでしょうね。ラベンダーの蜂蜜というのは食べたことがありませんが。ここにいるミツバチは、どこかで蜜を搾取されるために雇用されている鉢ではなく、どうも野生のような気がします。近くに養蜜場があるなんて聞いたこともないし。
 

ラベンダーを摘みたい人は有料で摘ませてくれます。それを摘んで庭に植えてみたのでしょうか、近所には庭にラベンダーがあるお宅がけっこうあるようです。我が家はまだ未挑戦ですが、我が家の庭では凌霄花(ノウゼンカズラ)が満開。

 



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2007/06/30  (土) 

お富士さん植木市(浅間神社)

明日は富士山の山開きです。富士信仰が盛んであった江戸時代、富士山に登ることは庶民にとって生涯の夢であったそうな。しかし、当時は何日もかけて自分の足で歩いていかなくてはならなかったんですよね。暇とお金と体力がある人しか富士山からのご来光なんて拝めなかったわけです。
 
そこで、富士山信仰を中心とした「富士講」が結成され、富士山を拝む場所として浅間神社がつくられたそうなのです。で、浅間神社は「お富士さん」の愛称で親しまれてきました。
 
昔は富士に似た清涼で小いさな丘であった土地に、静岡県富士市の浅間神社から神様が分祀され、浅草の浅間神社になったのだそうです。浅間神社の「富士山の山開き」に植木市が開かれるところから「お富士さんの植木市」と呼ばれるようになりました。この植木市で買った木は、良くつくと言い伝えられていますが、ちょうど入梅期で、植木を移植するのには最適な時期ということだそうです。
  
東京で山開きとは不思議な感じがますが、東京には浅間神社系の神社などにけっこう富士塚というものがあり、それらが富士山の山開きである7月1日前後に塚を富士山に見立てて山開きをするとのこと。浅草の浅間神社には富士塚はありません。かわりにといっちゃーなんですが、植木市が開かれ、これが有名になったようです。屋台や金魚すくいなど、昔懐かしい縁日の風情もあります。
 
富士塚はなくとも、境内には「茅の輪」が設けられていました。この輪を作法にのっとってくぐってから参拝すると、半年の(茅の輪祓いは6月と12月に行われるので)罪や穢れが祓われるのだそうです。しっかり、祓ってもらってきましたよ。
 
しかし、かつては大賑わいだった市も、近年では寂しくなったとか。「庭のある家に住んでいる人が少なくなっちゃったからねぇ」と植木屋さんが言ってました。植木市で売られてるのも、鉢やプランターなどで育てられる小ぶりできれいな花をつけた草花が主流のようです。きれいだけどね。
  
寂しくなった理由の一つに駅からとお〜い〜っていうのはないかしらね。浅草駅から15分以上は歩くのでは? 植木買っても運ぶの大変(^_^;) その上、この辺は駐車場が少ないですよね。コインパークがちらほらあるけど、たいてい2、3台、多くて5台ぐらいしか停められなくて、どこも「満車っ!」って書いてある。そして、民間駐車監視員という人が、よく働いてました。暑いのにご苦労さまなことです(-_-;)
 
実は、向島に行ったときに、諸般の事情でクルマだったのですけど、パーキング探すだけで30分以上かかり、あげくに目的地まで徒歩10分以上のところにしか空がなかったというにが〜い経験をしたばかりです。くれぐれも、下町には電車で行きましょう!(笑)



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三囲神社
浅草寺「ほおずき市」