ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/28  (金) 

草津よいとこ!?

草津といえば、関東の人間は群馬県の草津温泉を思い浮かべてしまいます。でも、歴史的にいえば、やはり滋賀県の草津が全国区でしょね。今日は草津と竹生島に立ち寄って、夕方の新幹線で帰ってきました。

 
草津は東海道と中山道の分岐点。江戸時代までは京へ上るにも江戸に下るにも、たいていの人が通った宿場です。山南さんが脱走したとき、ここまで逃げてくれば……と試衛館の諸君が思ったとか、思わなかったとか……という場所です。
さあ、どっちへ行く? 
いまはレプリカになっていますが、「左中仙道」「右東海道」の道標が立っています。草津駅からは東海道を歩いて本陣へ向かいますが、ここはアーケード。ここを馬や駕籠が……もとい、トラックや乗用車や原チャリにのった坊さんまで、駆け抜けていきます。速っ! 危ないのと違いますか?
 

旅の人へのお知らせは、この高札に書かれていたようです。

 
昔は街道の要となっていた土地も、いまは見る影もありません。新幹線に無視されたからでしょうかね、街はどんどんただの地方都市になっていってしまったようです。いち早く観光化でもできれば、もう少し街並みなどの保存も可能だっただろうにと思うと残念な気がします。いまや完全に工業都市として存在するようです。
 
昔の面影が残っているのは、本陣。これはお殿様が泊まった部屋や台所、湯殿、雪隠、馬小屋などかなり原型が残されています。地面がコンクリートで塗り固められたりしているのはご愛嬌? 
本陣の中庭

  
ここに土方くんや近藤くんも泊まったのでしょうか。いや、あの人たちはいつも急いでしたし、敗走していったときより前なら、この格式には泊めてもらえず、近所の旅籠だったでしょうね(笑)。 確かに、日野の本陣より立派です(^_^;)
 
本陣以外のところは、観光客なんかが歩いていると「なんや? モノズキか?」みたいな視線が痛いです(笑) めげずに8世紀頃の建立という立木神社に行ってきました。広い境内には神のお使いといわれる鹿の像があちこちにあります。
 
そして桜並木がきれいだという草津川へ。いまはただの川です。というより、水が涸れているようですね。典型的な天井川で、いまは川の下にトンネルが掘られて旧東海道が通っていますが、昔は橋もなく、浅瀬を選んで旅の人々が渡ったそうです。
 それが証拠に→
大善寺というご本尊の阿弥陀様が国宝だというお寺にも立ち寄ってみましたが、コンクリート作りだったので……。
 
早々に草津から退散し、竹生島に行ってみることにしました。JRに乗っていると、彦根とか安土とか、ちょっと途中下車してみたいような地名が並んでしますが、また後日。って、ここに再び訪れるチャンスがあるのかどうか……。
 
長くなるので、最終の船にやっと間に合った竹生島のご報告は後日ということにしましょう。♪草津よいとこ、一度はお出で〜<それは群馬でしょ!



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2007/09/27  (木) 

琵琶湖のしっぽ

石山寺へ行くには、京阪電車を使います。いかにもローカル線という感じののんびりした電車で、なんだかうれしくなりました。この電車は京都へも直行できるので、そっちへ向かう車両は10両ぐらいつながっていたし、都心部に近づけば混んでくるのでしょう。でも、私が乗った石山寺行きは2両編成で、後ろの箱には私以外、誰も人が乗っていませんでした! 玉電なんかで驚いちゃいけない(笑)
 
石山寺のあるところは琵琶湖のしっぽ、瀬田川になっているところのようです。地理不案内ではっきりはわからないのですが、遠くに見えている橋は東名のようです。そうか、あの上は何度も走っているのだなぁ。左右をきょろきょろすれば石山寺も見えたのかもしれません。いえいえ、わき見運転はいけません(笑)。
 
琵琶湖には大きな遊覧船が走っていますが、瀬田川にもかわいい遊覧船が走っていました。乗ってみようかなと思って時間を聞いたら、乗船時間が1時間だそうです。う〜ん、ちょっとそれだけの時間はとれませんでした。残念。
 
夜になって、浜大津へ行ってきました。琵琶湖の水面は真っ暗で、ただ目の前に打ち寄せる波でその大きさを想像するばかり。きれいな明かりを灯した遊覧船がゆっくり滑るように走っているのが遠くに見えました。連れと話をしていて、つい「海が……」と言ってしまいます。
 
夕食をかねて居酒屋のようなところへ行ったのですが、そこで「松の司」という名称の地酒がとてもおいしいと聞きました。売っているところも限定だそうです。私は日本酒はあまり飲まないので、味もわかりませんし、飲んでみなかったのですが、連れの姐さんは「おいしい、おいしい」と冷酒のお代わりを繰り返し、よれよれになってました。大丈夫かなぁ、まっすぐ歩いてなかったよ(笑)。



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2007/09/26  (水) 

中秋の名月

中秋の名月を奇しくも名月の名所で見ることになりました。今日は大津。石山寺に行ってきました。ちょっとの隙に行ったので、今日は半日どころか2時間。石山寺は紫式部のゆかりのお寺だよなぁくらいで、予備知識ゼロだったのですが、たかがお寺一軒、2時間では回りきれない広さでした〜。
これは琵琶湖湖畔から見た中秋の名月!?

 
石山寺はひとつの山がすべて寺域という感じです。山を登っていくと、あちこちにお堂があって、それが平安だ、鎌倉だ、室町だという建築ですから、「ほー、はぁ〜」と、ため息が出そうです。いや、ため息の連続といってもいいかもしれません。
  
幕末以外(こっちもたいしたことはありませんが)、歴史の知識なんか何にもないので、ただただその年月の長さに驚くばかり。校倉造の蔵なんか、生まれて初めて間近にみました。
 
月見の名所といわれる芭蕉庵の月見台は、「そうか、昔の貴族の月見はこうやって御簾ごしだったのね」と。この月見台から見るお庭も広々としてほとんど植物園。木がうっそうと繁っていました。けど、この時代にはきっと木も大きくなくて箱庭のようなものだったのかもしれません。
 
本堂ではちょうどお経があがっていて、たぶん般若心経だと思いますが(お経の種類はまったく知りませんが、般若なんたらかんたらと言っていたので)、なかなかいい声の僧侶で、ああ、お寺に来ているのだなぁと思い、僧侶の後ろにお座りして、しばし聴いてしまいました。
 
名所だけあって観光バスも入っていて、けっこう人は多かったのですが、観光バスも自家用車も年配の人が多いので、本堂とその付近でみんな帰ってしまいます。山登り(は、大げさにしても)になるので、裏に登って行けばひとっこひとりいない静かな空間が待っています。
  
紫式部が源氏物語を書いた(といわれている)部屋というのがありますが、ここにお人形がいるのはいかがなものかと。かえって、つまらない感じで違和感がありますね。山の頂上近くにも紫式部の像がありますが、こういう観光向けのものはないほうが粋かなぁ。どっちにしても、そんな高いところまで来る人は少ないと思いますが。
 
石山寺という名称の由来となっている岩や石の造形も見事です。なるほど石山寺かも、と。数箇所にある藤棚やお庭の木々をみると、やはり春に来たら美しいのではないかと思います。



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2007/09/25  (火) 

幕末妄想in京都

京都に来ています。なかなか観光のためだけに来るいうことができず、今回も半日だけ。京都駅に着いたのがすでに午後だったので、ちょっとだけ京都になりました。
 
今日は島原遊郭跡から壬生界隈をウロウロしていました。やはりちょっとだけ京都で来た前回、黒谷でくつろいじゃったために島原に回ったときは夕方で角屋はすでに閉まっていたので、今回は直行で行きました。が、無情にも「本日定休日」。「どんだけぇ〜」って感じですよ。よっぽど行いが悪いのか……。

 
私は家康にくっついて江戸に来た人の末だからというわけで佐幕派(笑)。しかもいま住んでいるのが武州多摩だったりするので新選組の贔屓です。野球友だちの好青年(見てると困るからネ)は、お父さんが会津方面の出だということでこちらもバリバリの佐幕派。まあ、100年以上前の政変でどっちの味方なんて言ってもアホらしいけど、党派性なんて、けっこう単純なものなんですよね(笑)。

 
ここらへんで新選組の諸君が遊んでたんだなぁなんて、歩いてるだけでもけっこう楽しいです。輪違屋さんは現在も営業中ということで観光客はお断り。前回はそう書いてあったのですが、今回は「観覧謝絶」とそっけない札が打ち付けてあるだけでした。この札はそういえば前にもありましたが。浅田次郎著「輪違屋糸里」はかなりおもしろく読みましたが、この大門でさまざまな別れや出会いがあったんだろうなぁ、とちょっとワープしてました。
 
私も大門を後に壬生寺へ。歩いても15分ぐらいでしょうか、昔の人の足なら、ほんとにすぐそこっていう距離に屯所はあったのですね。八木邸は訪れたこともあるし、もういいやと壬生寺で休もうと思ったら、ここには腰掛けるところもありません。総司が子どもと鬼ごっこしてたってくらいで、広いんですけどねぇ。

新徳寺   八木邸

 

新徳寺は門が閉ざされていて、中は見せていただけないようです。前川邸は週末などに公開する日もあるらしいですが、週末に来たことがないので中を見ることはかなわず残念。
前川邸。野口健司が切腹した部屋だそうです。

新選組が作ったという出窓には刀傷? 

 
一休みもできないので、ふらふらと四条のほうへ歩き、伊東甲子太郎を殺っちゃった油小路へ。こういう路地には思わぬところにお地蔵様が祀ってあったり、古い家が残っていたり(しかも、文化財でも人が住んでます! これがすごい!)。この小路に織田信長と一緒に焼け落ちた本能寺の跡というのを見つけました。ここに本能寺があったなんて、まったく知りませんでした(単に不勉強なだけですが)。跡地には高校や公共の施設が建っていますが、跡地の石標のすぐ後ろが消防団の施設だったりして、しゃれが効いてる!(全然、しゃれのつもりじゃないと思いますが)。
  
ついでに醒ヶ井筋あたりをフラフラして、妄想がぶわ〜っな一日でした。

 



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2007/09/24  (月) 振替休日

布多天神社「例大祭」

23日は、布多天神社(東京都調布市)の例大祭でもあり、神輿渡御が行われました。本当の縁日は25日なのですが、最近は祭礼を縁日近辺の週末や祝日にやるところが多くなりましたね。お祭ウォッチャーは分身の術でも使わないとあちこちに出没するのが難しくなっています(笑)
 
布多天神社の創建はあまりに古く定かではないそうですが、927(延長5)年に制定された「延喜式」という法典にはすでにその名を連ねているそうで、多摩地方では有数の歴史ある神社です。    最初はもっと多摩川に近いところにあったらしいのですが、1477(文明9)年に洪水をさけて現在のところに引っ越したという記録があるそうです。そのときに少彦名神に加えて、菅原道真も御祭神として祀ったとのこと。江戸時代に甲州街道が作られたとき、布多天神社は布田五宿(上石原、下石原、上布田、下布田、国領)の総鎮守でした。
 
中国から木綿の実が渡ってきたとき、日本人はまだ布に織る技術を持っていなかったそうです。多摩川の近くに住む長者がこの天神さまからお告げを受けて、木綿の布を織る方法を開発したとか。799(延歴18)年頃のことだそうです。この神社は木綿布発祥の地だったんですね。このときの布が調布と名づけられ、この地は調布の里と呼ばれたそうです。この布が全国に流通するようになると、調布の神社を布多天神社と呼ぶようになったのだそうです。へぇ〜、調布って街は、そんなに由緒のあるところだったんですか。単なるベッドタウンかと思ってました(^_^;)
  
この神社に残されている豊臣秀吉が欅の板に墨書した制札のほか、本殿や狛犬が市の指定文化財になっています。また、神楽殿があり、毎月25日の縁日では里神楽が奉納されます。例大祭の日は、この神楽殿で演芸のようなものがやられていましたが、そういう風には使ってほしくないなぁと、ちょっと思いました。
 
私はこの神社がけっこう好きで、ときどきお参りしたりしてたりして。日野に出稽古に行っていた試衛館の面々は、往復に飯盛女もいるという布田宿に泊まったことも多かったようで、こんなに古い神社だから、土方さんも沖田くんもきっとこの社を参拝したことがあるに違いない……なんて思いをはせたりしてみたりして(^_^;)
  
むかしは毎月25日の縁日もなかなか賑わっていて、露店が参道はもとより、ずらりと甲州街道まで並んでいたとか。いまではすっかり寂れてしまって、9月の例大祭でも境内にちょこっと露店がつくだけになりました。もののない時代は、縁日の露店でこの日しか食べられないものを買い食いしたり、日用品を手に入れたりしたもののようですが、いまやその役割はコンビニと100均に譲ったというわけで、なかなか商売は成り立たないらしいですね。
 
祭りは各地で町興しの一端となったり、地域社会のコミュニケーションを担ったりしていますが、布多天神の例大祭はあまり賑やかではなく、露店もほんの少し。ここらあたりはいわゆるベッドタウンとして発展してしまって、神社はもとより、縁日やお祭を守っていく氏子さんたちも熱心ではないのかなぁと思ってしまいました。



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愛宕神社「出世の石段祭」
立正寺(甲斐霊場第15番)