里神楽
先日、例大祭のお神輿をみせてもらった布多天神社を通りかかったら、里神楽をやっていました。例大祭のときは、こういう舞台でつまらない演芸なんかやってて、なんだかなぁと思った神楽殿。そうか、今日は25日で天神様の縁日なんですね。「ちょっとは賢くなりますように」と、まずは学業の神様にお参りして、しばし、里神楽を見物させてもらいました。あとから聞いた話によれば、9月の例大祭のときは、夜神楽として上演されるそうです。
演目は「八幡山」。「やわたやま」と読みます。「はちまんやま」では、京王線の駅ですね(笑) お囃子の方が説明をしてました。途中からだったのでよくわかりませんが、神武天皇なんたら、かんたら……。里神楽の演目には、「古事記」や「日本書紀」などの神話を題材とした神代神楽と、「お伽草紙」を題材としたお伽神楽、能や歌舞伎の演目を素材にした現代神楽があるそうです。このとき上演されていたのは神代神楽なのでしょう。
お面や装束をつけて、身振り手振りで表現する演者と笛と太鼓のお囃子の方々が舞台に上がっています。台詞のない無言劇ですが、ときどき太鼓の方が解説をしてくれていました。
かなり薄暗い舞台なので、シャッタースピードが遅く、写真はぶれっぱなしですが、雰囲気は伝わるでしょうか。たまたま通りかかったときにカメラを持っていたのは、私にしてはファインプレーでした(笑) いつも「たまたま」とか「ついでに」の話題が多くて心苦しいですが(^_^;)
もともと写真を撮るのも撮られるのもあまり好きではなく旅行に行っても写真は撮らないというタイプだったのですが、こんなものを書き始めちゃって(^_^;)、なぜかカメラを携帯していることが多くなりました。「立派なブロガーに育ちましたね」とシステム担当のNU-FACEさんにほめられました(-_-;)
天神様といえば、そろそろ受験のお守りに人気が集まる季節になりました。
お江戸日本橋
すべての街道の出発点となるお江戸日本橋に行ってきました。わざわざ行ったわけではなくて、長年通っている歯医者さんが八重洲だったりするので(^_^;) 地下鉄「日本橋」駅は、何度も乗り降りしているのに、地上に出て、日本橋を「橋」として眺めたのは初めてかもしれません。
写真を撮っていたら、「何ごと?」という感じで、改めて欄干を眺めて通る会社員風の人々がたくさんいました。そうですよね、普段、何気なく通っていると、ここが、「あの、お江戸日本橋だ」なんて意識なんかしませんよね(笑)
徳川家康が力を入れた道路網の整備計画よって架けられたもので、1604(慶長9)年に五街道の基点とされました。奇しくも三代将軍家光の生まれた年ですね。初代は、(もちろん)木の橋で、江戸の華の火災などによって何度も架け替えられています。現在の橋は第19代なんだとか。1911(明治44)年に架けられたもので、石造アーチ橋です。国の重要文化財に指定(1999年)されているんですってね、知らなかった(^_^;) 東京オリンピックのときに上に首都高速道路が建設されたため、いまのような風情になったそうな。こういうのは風情とはいいませんねぇ(-_-;)
橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれているそうですが、袂にはその複製が展示されています。いまでは日本橋を始点としている国道は、五街道ではなく七街道になっていました。国道1号(いわゆる東海道、終点は大阪)、国道4号(日光街道とその続きで、終点は青森)、国道6号(水戸街道、終点は仙台)、国道14号(千葉街道っていいますかね、終点は千葉)、国道15号(関東の人は第二京浜と呼びますね、終点は横浜)、国道17号(中仙道とその続き、終点は新潟)、国道20号(甲州街道、終点は塩尻)の7つです。
「元標」の近くには「里程標」という石がありましたが、距離が「里」じゃなくて「粁」なのが残念? 「横浜まで七里ちょっと」なんて書いてあったらおもしろかったのに(笑) 橋のそれぞれの袂はミニ公園、いやプチ公園、プチプチかなぁ、気持ちほど休憩スポットのようなものが作られています。
ここを七つに立つと品川あたりで夜が明けたそうですが、日本橋と品川は7キロぐらいでしょうか。品川までは送っていき、ここで別れを惜しんだなんて、時代小説にはよく登場しますが、現代人だったら、品川で別れを惜しむどころか、もうそこで1泊しちゃいそうですよね(笑) 2時間も歩いたら、旅のはじめどころか、泊まらないまでも大休憩になりそう。昔の人は健脚だから、2時間もかからなかったのでしょうね。
いつか東海道や中仙道を歩いてみたいです。けど、いっぺんには無理ですねぇ〜。区切って歩き、また続きをやるなんてツアーを誰か企画してくれないものでしょうか。東海道ときどきお徒歩旅、なんちゃって(笑)
真蔵院(甲斐霊場24番)
このお寺には貴重な木彫りの「七社権現立像」と「木造十一面観音像」があります。普通は事前に連絡をしないと見せていただけないもので、この日は宝物殿の扉も閉ざされていたのですが、おじいさまのお話をうかがっているうちに住職さんが鍵を持ってきて、開けてくださいました。この像を見なければ、このお寺に来た意味はないというようなものですから、本当にラッキー! 本堂や宝物殿は比較的新しい建築のようです。
真蔵院は、かつては岩殿山一帯にたくさんの伽藍を持ち、山全体を寺域としていた天台宗「円通寺」の別堂だったそうです。円通寺は、15世紀頃には、修験道の中心地として栄えていたそうです。それが廃寺となり、円通寺に祀られていた七社権現立像と十一面観音像が真蔵院に移されたのだとか。もともとは岩殿山の中腹にある洞窟に祀られていたものです。小1時間の山登りで、この洞窟跡へ行けるのですが、体力的にも装備的にも無理、無理(^_^;) もうちょっと身体を鍛えてからでないと遭難してしまうのがオチですね。
七社権現立像はそれぞれ伊豆、箱根、日光、白山、熊野、蔵王、山王と名づけられていて、高さはいずれも2メートル前後、ヒノキで作られています。室町時代の作で、非常に珍しいものですから、もちろん県の重要文化財に指定されています。木造十一面観音像は時代はわかっていないのですが、もっと古いものだと思われるとのこと。
山の中腹にあるという立地のせいか、お寺の前面は石垣です。お寺ばかりではなく、近所の民家も石垣が作られているところが多いような。「なにか理由は?」と伺ってみたのですが、「別に……」と(笑) 石垣に隠れるように萬霊等がひっそりたたずんでいました。庭の石仏にもいろいろな由緒があるそうですが、ほんの立ち話だったので、全部は伺うことができませんでした。今度、レコーダーで持って……と思っても、そうそう機会もないのではないかと残念です。こういうの、一期一会というのか、そのときできなかったことって、次のチャンスってなかなかないんですよね。
潮風公園
潮風公園は、かつて13号埋立地の一画の「13号地公園」と呼ばれていたところ。その後、改修工事が行われ「潮風公園」になりました。お台場海浜公園より広くて、臨海副都心内では最大の公園なのだそうです。レインボーブリッジや高層ビルなど都会的な風景を楽しむことはできます。
船の科学館のFやOの点滅を眺め、視線を下げると噴水広場がありました。季節的にはちょっと寒いかな。この公園の一角に木造船の形をした「しおかぜ丸」があります。平日だったので子どもたちは遊んでいませんでしたが、そのかわり団体バスで訪れた人々でしょうか、いい年をしたおじさんやおばさんが滑り台を滑り降りて遊んでました。童心に返りすぎ?(笑)
振り返れば、フジテレビを背景に「ゆりかもめ」が走ってきました。音が静かですよね。近づいてくるのがわかりません。晴れた日には、コーストデッキから富士山も見えるそうです。私が行ったときは、残念ながら見えませんでしたが。
潮風公園の南駐車場では、平日はよく雑誌などの撮影が行われています。この日も自動車の撮影と、マネキン人形を持ち込んで衣類らしきものの撮影が行われていました。ここにいたのは30分ぐらいですが、広々としていて、あまり人の姿も見えず(平日だから)、かなり気持ちよく潮風で深呼吸してきました。東京湾でもちゃんと潮の香がするんですよ(笑)
福泉寺(甲斐霊場23番)
福泉寺へ行くに当たっては、またまた迷い、急坂を登った瞬間に行き止まりの民家の庭に突入。両脇いっぱいで、バック以外に身動きが取れない状態になりました。放し飼いのすごく怖い顔をした2匹の犬に吼えられ、クルマから出ることさえもできなくなり、命がけでバックするしかないかとちょっと青くなったかも。そこへ、犬の鳴き声で家の人が出できました。正しい道を教えてもらい、そして、質問。「これ、どうやって出るんですか?」。すると、「バックで」と、いともあっさり。バックで30メートルぐらい下がって、下の家の庭へ入れて向きを変えればいいそうな。ひぇ〜、だけど、とりあえず、まっすぐ他所様の庭へバックで入れました。そこから出るのもすれすれです。私にとっては甲斐霊場めぐりは、巡礼ではなく甲斐教習所だと判明。
始めた頃は暑い、暑いと文句を言っていたのに、いつのまにやら秋の空になっています。お寺の駐車場に停めて一息つくと、柿がたわわに実っているのを見つけました。山門から境内へ登っていくと、お経の声が聞こえてきました。お寺めぐりをして23件目で初めて聞くお経です。ここは浄土真宗のようです。法事をなさっているらしく、境内にクルマが停まっています。えっ? どこから上ってきたのだろう? 境内で待っているとまもなく法事は終わり、法事の方、軽自動車だったけど山門からクルマで(数段ですが)階段を下りていきました! まったく、甲州には驚きがいっぱい(笑)
法衣の住職さんがでてきてくださって、本堂にもお参りさせていただき、いろいろご説明もいただきました。本尊は釈迦如来で、座底に1545(天文14)年の銘があり、お寺は鎌倉建長寺の末社としてその頃に創建されたらしいとのこと。2度の火災に会い、1788(天明8)年に諸堂を焼失。現在の堂は1821(文政4)年に完成したものだそうです。本堂の中の杉戸には鳥や花、墨絵の龍などが描かれていて、まるで時代劇の世界へ迷い込んだようです。
住職さんは22代目だそうです。「お寺の維持はとても大変ですが、この杉戸などはやはり大事に守っていきたいものですから」とおっしゃっていました。御朱印代をお渡ししようとすると、「では、ここへ」と募金箱を示されました。それも23件目にして初めて。まったく商売っ気なさそうで、これでは確かにお寺の維持も大変かもと。大きなお世話ですね(^_^;)
境内の杉の木は、樹齢400年を超える大木。時代は不明ながら、1度目の火災の後に植えられたらしいとのことです。境内が崖の上にあるという感じで、根は崖の下にあるため、根の部分が広がっておらず、地面からすくっとまっすぐ立っているのが印象的でした。