東京ドーム
気圧といえば、ドームから出て行くときの風圧って、ものすごいものがあります。今日は回転扉か出たので、出るときは普通に歩けたのですが、出たところで別の扉が開いていて、そこからの風でよろけました。以前、ぼさっとして扉から出たら、風に思いっきり押されて、出口に待機していた警備員に思いっきり体当たりしてしまったこともあります。大きな人だったので、受け止めてくれましたけど(笑)
今日は、腰と膝を傷めてしまって歩けなくなっちゃったというおばあちゃまの代打です。3階の前の方の席で、シーズンシート。3階に行ったのははじめてですが、あまりに急傾斜で怖いくらいです。ここで転んだら、グラウンドまで転げて行きそう……。
東京ドームは内野と外野の待遇の格差が際立っていて、外野は席も狭いし、通路も狭いし、バックヤードも狭いし、です。2階はすごいですよ〜。数年前におつき合いのあった会社が席を持っていて(1席100万円近いらしいです)、「いらないっ!」っていうのに(笑)、けっこう毎試合のようにくださるもんで、けっこう行ってました。売り子さんなんかいなくて、ちょっと手を上げるとピンクの制服のきれいなおねえさんが飛んできて、注文をとってくれるよーな席でした(^_^;) バックにはおっきなソファーなんか並んでいたしねぇ。今回の3階は、まあ、普通に球場ですね。狭くて急なことをのぞけば。たくさんの人を入れるためには、そうなるのかなって感じです。
ちょうど真向かいに青い人たちが少ない人数ながら頑張っていて、「そっちに行きたいねぇ〜」と同じく代打のおじいちゃまはビールばかり飲んでいました。東京ドームのビールは他の球場より高いのに(笑) 今日は日曜日の昼間だったので、外のジェットコースターからは、「キャー、ワー!」という賑やかな声が響いていました。
「クライマーズ・ハイ」
クライマーズのほうに関しては、どうしてあんな垂直のところまでよじ登りたがるかねぇ。私にはわからない世界です(笑) 「降りるために登る」というのは、けだし名言かも、と思いました。いらないんじゃないかというシーンもいくつかあるように思いますが、全体としておもしろかったです。堤真一はいいなぁ〜。とくに声が。ややガニマタのところは許します(笑)
8月12日の日航機墜落事故からもう23年もたつのですね。リアルタイムで知らなかった人々がもう23歳になるのかと思えば……。23歳というか、20台の人はほとんど記憶にないですよね、きっと。この時期なると、報道特集などでときどき話題になるので、リアルタイムでは覚えていなくても後追いの記憶として刻まれている部分もあるかもしれません。
事故原因が何だったのか、いまだに正確にはわかっていないそうですが、これで飛行機恐怖症の人もずいぶん製造されたらしいですよね。私もこの事故のせいというわけではありませんが、JALよりANAのほうが好きです(^_^;) JALは事故、多すぎるよ……。ANAの株でも買おうかしら? 株主優待よりも早割りのほうが安いのに?(笑)
神宮球場
売店で売っている食べ物、雑貨類も充実したみたいです。バックスクリーンが改装されたのが今年からだから、今年からかもしれませんね。ほとんど行ったことがないうえに、カメラなんか持ち込むこともめったにないので、誤情報かもしれませんが(^_^;) スタジアムの外野バックヤードもなんとかしようよ……。
外野席はライト側は9割がた埋まり、レフトのほうは自由席が7割ぐらい、指定席がポツポツぐらい。内野はほんとに、「数えちゃうぞ!」というくらい少ない観客で……。今日はミラクル、横浜ベイスターズが快勝しましたが、だいたいこのカード、スワローズの勝率が高いと思います。あんまり神宮でいい思いしたことない……。だから、スワローズファンのみなさん、もっと見に来てあげようよ(笑)
夏のナイトゲームは、ビールがおいしいですよ(^_^;) というわけで、ちょっと飲みすぎ(私にしてはで、わずか2杯)、途中から眠くなって、眠くなって。寝るわけにもいかないので、目覚ましに3年ぶりぐらいにソフトクリームまで食べてしまいました。明日、体重計に乗るのが怖いです(-_-;)
芝東照宮
丸山古墳を増上寺のほうへ歩いていくと、隣に「東照宮」があります。もちろん、日光と同く徳川家康を祀った神社です。もともとは徳川の菩提寺である増上寺の境内にあったのが、明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となってお隣へ引っ越したもの。家康が1601(慶長6)年、還暦記念の自分の像を刻ませた「寿像」がここに祀られているそうです。
小さな社殿で、境内も広くはありませんが、入口の鳥居は立派。参道の突き当たりに階段があります。1633(寛永10)年に3代将軍家光が社殿を造ったときは、惣門が駿府城から移築され、鳥居が福岡藩主黒田忠之が寄進し、本殿のまわりには拝殿や唐門、立派な塀などがあったそうですが、1945(昭和20)年5月25日のほうの東京大空襲ですべて焼けてしまったのだとか。
焼け残ったのが「寿像」と境内のイチョウの木。家光が植えたという伝承もあるくらいで、樹齢300年以上、高さ20メートル以上、根元の幹の周囲は10メートル近くあります。いや、立派、立派! この大木の周り、境内のそこここには「献木」と書かれた札が下がっている木がたくさんありました。まだ、若い木、細い木が多いようです。都会の緑を増やし、CO2削減に寄与しましょう運動実施中かな?
芝丸山古墳
ここがどこだかわかりますか? 芝公園の一角といっていいのか、「芝丸山古墳」です。東京タワーの根元、なんと首都高速の芝公園出口のまん前。何十回となく通ったところなのに、こんな風景があるとは、まったく気づきませんでした。「書を捨てよ、街へ出でよ」じゃないけれど、油代がなくて「車を捨てよ、足を使えよ」というわけで、ふらふら歩いていると「へぇ〜」という風景にも出会えるものですね。
ここは5世紀後半に作られたという前方後円墳です。埴輪などが出土しているそうで、東京都の指定史跡になっています。全長106メートル、前方部幅40メートル・高さ6メートル、後円部径64メートル・高8メートル、くびれ部が幅22メートル。プリンスパークタワーを建てるために裏のほうは削られてしまったとか。タワー完成後にすぐ堤総帥が逮捕されたので、地元の人は「古代人のたたりじゃ〜!」と言ったとか言わないとか(笑)
この古墳は登ることができ、上は広場になっていて伊能忠敬の碑があります。忠敬はここで測量の予行練習をしたとされているので、ここは実測日本地図の原点かもしれませんよ。古墳の麓には「丸山貝塚」があり、「円山随身稲荷大明神」というお稲荷さんが祀ってあります。円山=丸山でしょうね。
後円部にこのへんの族長だった人が埋葬されていたと推定されているそうですが、古墳も貝塚もほとんどの部分が未調査のようです。江戸時代以前の話なのですから、このへんは海っぺりだったのではないでしょうか。私が知らないっていうだけで、都心にもけっこうおもしろい場所があるものです。