ネバネバご飯
その1はモロヘイヤの中華風スープ。ただ鶏がらスープを使っただけですが、ネバネバが中華風な感じということで(^_^;) そして、万能ネギとじゃこ、梅干を刻み込んだ納豆。長芋の千切りにちょっと茹でたオクラの混ぜ物。めかぶ。
栄養的にはどうだかわかりませんが、「どうだ、参ったか!」というくらいネバネバです(笑) こんなことしていないで、盛大に肉料理でも食べたほうがスタミナはつくかもしれませんね。贅肉もつくかもしれないけれど。
あ、丑の日にはうなぎかな? しかし、300年近くも前のキャッチコピーがいまでも生きているってすごいですよね。糸井重里も平賀源内にはかなわない(笑) 今年の丑の日は7月24日と8月5日の2日あるそうですが、中国産のうなぎの売れ行きはいかに? という感じですね。日本産の1/3ぐらいの値段のようで……。
法善寺(甲斐霊場第88番)
久しぶりに敷地の広大な、立派なお寺に遭遇しました。加賀美山法善寺は甲斐源氏の加賀美一族の祖、加賀美遠光の館だったところ。甲斐の真言寺院を代表するものの一つです。白い土塀に囲まれて、本堂をはじめ、威厳のある古代建築の鐘楼、地蔵堂、正一位というやけに位の高い稲荷大明神などの建物が散在しています。
法善寺は、806(大同元)年(に創建されたときは永禅寺という名前で法相宗のお寺だったそうです。その後、住職の神徳が空海から法を授けられ、真言宗に改宗したのだとか。長い歴史の中で衰退してしまったのですが、このあたりの領主だった加賀美遠光によって再興され、孫の遠経が遠光の館の地に移築したものが現在の法善寺。
武田家の祈願所として守られ、とくに信玄から大事にされていました。智証大師自画といわれる不動明王画像がこの寺にあり、信玄が篤く帰依していたそうです。その像はのちに高野山に贈られたのですが、その代わりといってはナンですが、ここには高さ8メートルもあるという不動明王像があります。
変わっているのが、不動明王堂の建物。ステンレス製で、形も近代的なので、最初は信徒会館か何かだろうと思って通り過ぎてしまいました(^_^;) 1995(平成7)年に建立されたものです。よくよくみると「不動明王堂」と書いてあったので、行ってみました。ガラスのドアに、開けて入っていいですよと書いてあったので、そっと開けてみると、中にドーンと大きなお不動さまがいらっしゃったのです。
大きな不動明王像は樹齢千年のアガチスという南方系木材を使った寄木作りで、木製の不動明王像としては国内最大級のものだとか。その胎内に地球環境保全の祈願文が置かれているというところが、建物同様、「いまっぽい」です。
不動明王堂の裏手にある住職のお住まいらしきところを訪ねると、テレビの音がガンガン響いているのですが……。「ごめんくださーい」と呼べど叫べど無反応(笑) 駐車場でクルマの改造をしていた若者に尋ねると、「かなり高齢だから……」とのこと。ついに私の叫びはお耳に届かず、ご朱印はあきらめました。
長遠寺(甲斐霊場第87番)
どっしりした惣門が印象的なのが恵光山長遠寺。かつてこの地を支配していた加賀美遠光が祈願寺として建立したのがこのお寺の始まりで、鏡中条というお寺の住所の「鏡」は「加賀美」から来ているもの。13世紀には末寺70余寺を支配する大きなお寺だったそうですが、火災でほとんどが消失。
その後、衰退し、武田信玄家臣の五味土佐守長遠が再興したので長遠寺という名称になったとか。武田信虎が身延山から贈られたというご本尊の十界曼荼羅をはじめ、信玄が住職に宛てた書簡など武田ゆかりのものを数多く所蔵しています。
御朱印をいただこうと庫裏を訪ねると、「遠いところからご苦労さま」と冷たいお茶を出してくださいました。お茶をいただきながら、御朱印を書いてくださるのを待っていたのですが、天井が高く、梁が立派なのに感心しました。まあ、普通の民家ではないのですから、当たり前かな。ここには石橋湛山が下宿?して学校に通っていたとかで、湛山の手紙などの遺品も残されています。。
庫裏の前には緑の水をたたえたお庭があり、これは日本の国土をかたどって作られたものだそうです。そして、日蓮上人ゆかりの場所には石灯籠などが置かれているとか。うーん、ちょっと国土はイメージできませんでした。
古長禅寺(甲斐霊場第86番)
古長禅寺は、ナビが住所も電話番号も知らなかったので、ちょっとウロウロ。南アルプス市役所の出張所のようなところがあったので、飛び込んで聞きました。すると、すぐ裏手だそうで、役所の駐車場を通り抜けていく裏ワザから、クルマを停められる場所までとても親切に教えていただきました。
わかりにくかったのも道理で、ちょっと見ると民家のようなたたずまい。この辺の地主さんかしらという感じの門構えです。その門をくぐると見事な藤棚! もちろん、いまは花の季節ではありませんが、青葉が涼やかな木陰をつくっていました。緑の濃いお庭も梅雨明け直前の蒸し暑さを忘れさせてくれます。
かつては真言宗の大寺だった西光寺の跡といわれ、1316(正和5)年に夢窓国師によって長禅寺として創建されたところだそうです。武田信玄の母の大井夫人が帰依して菩提寺としたということで、山号の瑞雲山は大井夫人の法号「瑞雲院殿」からとられたものだとか。風吹ジュンの顔が頭をかすめました(笑) 武田信玄も幼い頃、ここで座禅を組んだことがあるそうです。
大井夫人の墓所がありますが、信玄は母が亡くなると躑躅ヶ崎館(現/武田神社)の近くに新たな長禅寺(第58番)を建立して母の菩提寺としたので、ここは古長禅寺と呼ばれるようになりました。
お寺から道を隔てた東側に、旧客殿の四隅に植えられたという大ビャクシンがあります。ヒノキの一種で、樹齢600年と推定されるそうです。これは「四つの白壇」と呼ばれ、夢窓国師が自ら植えたものだとか。なんだか不気味なくらいの大きさで、国の天然記念物となっています。
深向院(甲斐霊場第85番)
ご無沙汰しました甲斐霊場。第85番は南アルプス市にある天澤山深向院です。9世紀中頃に弘法大師が開いた真言宗のお寺だったそうですが、16世紀中頃に武田の所領となり、曹洞宗に改宗しています。そのころは「御朱印深向院」として末寺40を数え、大いに栄えていたそうです。1800(寛政12)年に火災にあい、伽藍のほとんどを消失。また、大雨のたびに水害を受け、1957(昭和32)年には大水害でほとんど泥水に埋まってしまったとか。
14世紀中頃の南北朝時代には南朝とゆかりがあり、後醍醐天皇や後村上天皇の手紙を入れた箱や、これを運ぶのに使われた勅使籠というものが寺宝になっています。また、県の指定文化財になっている木像華厳の釈迦如来像や武田信玄が立ち寄ったときに使用した茶碗、徳川家康が使った茶碗と香具など戦国時代の遺品も保存されています。勝海舟や三条実美など幕末の有名人たちの書も残されているそうで、自らの目でしっかり歴史を眺めてきたお寺という感じがします。
いまは境内も、お庭もお墓所も小ぶりで、由緒ある寺院の面影はありません。隣の畑で農作業をしている人の息遣いが聞こえるばかり。シーンとしていて、お寺さんもお留守のようでした。