五所川原立佞武多
今日は五所川原の立佞武多、これで「たちねぶた」と読みます。文字通り、青森のねぶたに比べると、幅は小さいのですが、高さがあります。見上げれば首が痛くなるほど! これで、ねぷた・ねぶたをすべて制覇(笑) 3日間で3つのお祭りを巡る忙しくも楽しいお祭りめぐりでした。
五所川原の立佞武多は、青森や弘前ほどメジャーではありませんが、明治時代には盛んに行われていたそうです。その後、衰退していましたが、10年ほど前に本格的に復活したそうです。「やってまれ、やってまれ」、「そーれ、そーれ」という掛け声も勇ましく、特別な跳人の衣装ではなく、普通の夏祭りの衣装というのもいい感じです。高校生や婦人会らしい方の踊りは、そろって元気がよく、楽しそう!
五所川原に行く前に、白神山地、といってもトバクチぐらいですけど、暗門の滝まで行ってきました。往復3時間、ヘロヘロになって歩いてやっと生還。核心の地までは行かれない(装備、体力とも!)ものの、ここでもブナの森は美しかったです。
その後、未舗装道路を通って、ほうほうの体で津軽峠に登り、ブナのマザーツリーを見に行き、延々と連なる未舗装ワインディング林道を鯵ヶ沢まで下り、猿にも会いました、雉にも会いました、桃太郎にも……さすがに会いませんでしたが、なんとこのコースの写真、全部、消えてしまいました。うぇ〜ん。カメラからPCに写し、カメラの画像を消すときにPC側も消してしまったようなのです。いろいろやってみましたが、復活せず。一緒に行った人たちに「証拠がないんだから、もう一度、登れ!」と……。勘弁してください……。けっこう、しんどかった〜!
青森ねぶた
今日は、青森のねぶたを見に行ってきました。ねぷたに比べると、一つ一つが大きく、人型で凹凸もあるので迫力がありましたねぇ。ねぷたは出陣の絵柄が多く、ねぶたは凱旋の絵柄が多いそうで、やはり出陣よりは勝って帰って来るほうが賑やかスケールが大きいのかもしれません。
ちょっと早めに行ったので駐車場もらくらく、見るのもいい位置を確保することができました。今年の大賞は青森山田高校関係。甲子園も勝って、さすがに勢いがあります?
昔、一度だけ、ねぶたを見に来たことがあるのですが、そのときは観光客の跳人のおにいさんに誘ってもらって、一緒に「らっせーら、らっせーら」と跳ねたものでした。お祭りは、やっぱり見るだけより参加したほうがおもしろいですね。最近では、規制が厳しくなり、跳人の格好をしていない人は参加不可。それでも、参加したい人のためには、レンタル衣装があります。2,500円前後だったようです。
たくさん写真を撮ったので、まだ整理が追いつきません。持ち歩いているラップトップの調子がイマイチなので、家に帰ってデスクトップから、またいい写真をさがしてUPします。
弘前ねぷた
弘前のねぷたを見てきました。2時間近く立ちっぱなし〜。疲れたから、帰ろうかなぁと思うと、また次の豪華なねぷたがやってくるので、もう一つ、もう一つと見ているうちにあっという間に2時間がたってしまいました。
弘前のねぷたは人物を立体的に作るのではなく、扇型の立体にダイナミックに絵が描かれています。青森ねぶた型の人物型も2台ぐらいは出ていましたが、やっぱりねぷたは扇型でしょう!
いったい何台のねぷたが通ったのでしょう! 数えていなかったので、台数はわかりませんが、2時間立っていて同じものには一つも出会いませんでした。まず、先触れに作っているチームの名前が現れ、次に小さいねぶたが現れます。これは数人で肩に担いでいます。「やーやー、どっと」の掛け声で、くるくると回ります。それに続くのが本番?のねぷた。かなり大きなもので、こちらは4人で綱を引いて回します。中には上下するものもあって、かなりの迫力です。
すごいなぁと思う作品は、やっぱり何かの賞を取っていますね。連続33年参戦、と書いてある台もあります。伝統の行事だなぁと思います。そして、若い人の参戦が多いのにも驚かされます。4連、5連の太鼓をたたいているのは、みんな若いおねえさんやおにいさん。きりりとさらしを締めて、若者が元気な街なのだなぁと思いました。
帰りの電車を降りて、空を見上げたら、星がとてもきれいでした! 弘前、いいところですね!
弘前へ
ねぷた、ねぶたという時期なので、これを見られると思い、引き受けちゃったのであります。今日は、弘前ねぷたを見に行きます。地震でキャンセルも相次いでいるという話も聞きますが、青森県にはさほどの影響もなく、例年通り、にぎやかにお祭りは始まっているようです。
薬王寺(甲斐霊場第95番)
薬王寺の山号、河浦山は、芦川にちなんだものといわれますが、このお寺があるのはJR身延線芦川駅の近く。芦川の渓谷とは少し離れて、せせらぎも感じられないあたりになります。お墓所はかんかん照りで、車もサウナになりそう。境内には木立が見えますが、中へはクルマでは入れません。階段のギリギリまで寄せさせていただいて、やっと木陰に半分入って停車しました。
お寺の正面、入口脇に「後陽成院第八之宮良純親王遺跡」の石標があります。良純親王は、後陽成天皇第八の皇子だそうですが、徳川家康に引き取られたことで一応、歴史上に名前の出てくる人みたいです。天皇家には関心がないので、石原家と関係があるのかと思った(笑) この良純さんが、結局は甲斐に流され、1655(明暦元)年から5年間住んでいたのがこのお寺だそうです。芦川を京都の鴨川に見たてて、親王を慰めるためだったといいますが、似てるのかなぁ、鴨川と。
入口から山門へ向かって石燈篭がずらっと並んでいるのが印象的でした。境内には甲斐の七福神のえびす様も祭られていますが、比較的、新しいもののようです。かつては七堂伽藍が建ち並び、多くの人が暮らしていたということですが、いまはひっそりとして、外観だけではあまり特徴のないお寺さんのように感じます。ごめんなさい。