城ノ倉大橋
八甲田山のロープウエイに行く途中で「城ノ倉大橋」を通りました。八甲田山麓の国道394号線にかかる橋で長さが約360メートルあります。橋の上は駐停車禁止になっているのですが、たまたま後部座席にいて、しかも交通量がほとんどないということで、最徐行、一瞬の停止を敢行してもらい、橋の中央でクルマから飛び降りました。いえ、橋から飛び降りて自殺しようとしたわけではありません。あまりにすごい景色なので……。
谷底から橋までの高さは122メートルで日本一だとか。橋の真ん中の歩道にプレートが埋め込まれています。橋桁から谷を覗くと、そこに柵があるのは間違いないのに、ぞわっとしたものが這い上がってきます。高い! そして、怖い! 谷底にかかっている橋が、おもちゃの梯子のように見えます。
この大橋は鉄製ですが、金属は温度の変化で伸び縮みしますね。八甲田山麓ですから、このあたりの冬の寒さは厳しく、夏との温度差は鉄の部分で 50℃にもなるのだとか。夏と冬では左端と右端でそれぞれ10センチ以上の差ができるそうです。それって大変なことではありませんか! そのままでは橋は見事に崩落……、ということにならないように、橋の両端には長さを調節する装置がつけられているそうです。日本の架橋技術ってすごいものですねぇ。
わにもっこ
そもそも青森に行った理由とは、友人の製作したステンドグラスの納品でした。厳密にいえば、製作ではなく、修復。このステンドグラスは昭和の初期に作られたもので、持ち主が没落し、お寺さんが預かっていたのだとか。保管の仕方がわからず、そこら辺に置いてあったため、ガラスが歪んだり、反ってしまったり、割れてしまったりしていたそうです。その修復を請け負ったのが、友人たち、ステンドグラス職人の面々。修復という作業は、アーティストとしてはストレスがたまる部分もあるのではないかと思いますが、見事、職人に徹して復元したもようです。
完成したステンドグラスをそのまま置いておいたのでは元の木阿弥になりかねないので、持ち主のお寺さんが、「木工で木枠を作って衝立にしよう」と目論まれたのだとか。そこで、修復のなったステンドグラスを持ち込んだのが「わにもっこ」です。青森は「ひば」をはじめ、家具や木工材料になる素晴らしい材木の産地。大鰐にある木工工房「わにもっこ」では、これらがシンプルで木の香りが漂う素敵な椅子やテーブル、木のおもちゃ、食器などに加工されていました。ここで、修復されたステンドクラスにも立派な枠が作られるのだそうです。
「わにもっこ」が設立されたのは1988年。頑固で無口な職人のおじいさんが黙々と木を刻んでいるのかと思いきや、元気いっぱいの青年たちばかり。しかも、イケメン揃いで(^_^;) 隣にある展示館「こかげ」には「わにもっこ」で制作した小物や家具が置かれています。
どれ一つとして同じもののない手作りの暖かみと木のぬくもりが伝わってくる逸品が並んでいます。「いつか、こんな家具の置ける家に住みたいなぁ〜」と、入れ物のほうから考えなければならない自分が情けない(-_-;)
裏手にある「ひばのくに迎賓館」は総ひば造りのログハウス。宿泊することもでき、季節の山菜など、山ならではの料理を提供してくれるそうです。もちろん、コーヒーを飲みながら、のんびり過ごすだけでもOK。
「わにもっこ」あるところは、ほら、こんなに美しい山の緑に囲まれているのですから。
酸ヶ湯温泉
八甲田山に「酸ヶ湯温泉」という温泉があります。1684年(江戸時代前期)かある温泉で、古くから湯治場として栄えていたそうです。学生の頃に一度、来たことがあり、そのときは混浴でした。確か大きな浴槽が2つと打たせ湯があった記憶があります。今回は入浴予定はありませんでしたが、「いまでも混浴なのかなぁ」と温泉入口を見に行ってきました(笑) いまでも混浴でした。そして、入口に「混浴を守る会」の心得が掲示されていました。そうです、混浴に入るなら、マナーを守りましょう!
その若かりし頃、ここへ遊びに来た私たちは、「せっかく来たのだから、千人風呂というのに入ってみよう!」と、勢いで混浴に入ってしまったのでした。「ひば千人風呂」という大きな湯船があって、おおむね右端に男性が、左端に女性が浸かっていました。さすがに入っている女性は少なく、それもどちらかといえば年配の方々で。
そこに20代前半が3人ほどで飛び込んじゃったのですから、まあ、ある程度は見られてもしかたがないなぁと。一緒に行った仲間の男の子たちとは時差をつけたので、「知らない人なら、いっか〜」というわけです。男性入浴者は、たいがい見て見ぬふりをしています(笑) ところが、ひとりのおじさんが、仲間か家族かしりませんが、おばさんに話しかけながら女性の陣地に入ってきて、目はひたと私たちのほうを見たまま、一瞬も目をそらさないのですよ。さすがに出られなくなっちゃって……。最後はのぼせて倒れる寸前で、ダッシュで逃げ出しました。これは違反行為ですよねぇ(-_-;)
という思い出の地(笑) 温泉は入らず、お蕎麦を食べてきました。色白のお蕎麦なのにコシが強くて、おいしいお蕎麦です。一緒にいただいた麦とろご飯もおいしかった! やはり、水がいいからでしょうか。店内にも「ご自由にお飲みください」の湧き水があり、温泉の駐車場の脇にもおいしい水が湧いています。さっそく空いたペットボトルに詰めて、持ち帰ることに。冷たくて、顔を洗うだけでも気持ちがいい !もっと大きなタンクを持って来ればよかった! といっても、旅先のこと。ひとっ走りで水を汲みに来られる距離に住んでいらっしゃる方がうらやましくなりました。
烏城焼
津軽で「烏城焼(うじょうやき)」という窯に出会いました。弘前と十和田湖の間ぐらい、岩木山を一望できる丘にある三筋工房。国際公募美術家連展総務大臣賞を受賞している作家、今井理桂さんの工房です。訪ねたのは、ちょうど窯から新しい作品が取り出された日だったようです。理桂さんの作品には「理」のマークが入っています。手に持ったときの質感が、柔らかく、しっくりと収まる優しさがあります。お弟子さんの作品も並べられていましたが、こちらにもなかなか素晴らしいものがありました。
前日に、理桂作品のカップでビールをいただいたのです。単なる缶ビールだったのですが、そのビールは普通のグラスに注ぐより、ずっとキメの細かい泡になり、味もマイルドですごくおいしいビールに変身していました。私はビール党ではないのですが、これならイケル!という感じ。このカップでお茶をいただいてもすごくおいしそうだなぁと思ったのです。それで、この工房へつれてきてもらったというわけです。
三筋工房では窖窯と登り窯で焼成しています。薪は主に赤松で、釉薬はいっさい使用せず、すべて自然釉なのだそうです。自然釉とは、窯の中で薪の灰が作品に付着し、それが高温になって融けたもの。長さ15メートルの窖窯と長さ100メートルの登り窯を使って、この素朴な色合いの、しかし見事な作品が作り出されています。今後、登り窯は長さ150メートルにする予定だとか。これが完成すると世界最長の登り窯になるそうです。
工房にはギャラリーと津軽茶道美術館が併設されていて、理桂作品の大きなツボや古伊万里などの素晴らしい作品も展示されています。そして、サロンでは作品の茶碗で一服のお茶をご馳走になりました。うーん、やっぱりお茶もおいしくなっていたように感じます。貧乏を質に入れて、カップを一つ、ついに買ってきてしまいました〜(^_^;)
ピラミッドとキリストの墓
<キリストの墓>
キリストの墓の存在を知ったのは、SF伝奇小説というのでしょうか、「黄金伝説(半村良著)」で、物語もおもしろかったのですが、戸来(へらい/新郷村の旧名)がヘブライに通じるとか、たぶんにこじつけ感がありつつ、地名の類似性を引っ張り出してきたことにひょっとして?と思わせるおもしろさがありました。この地方には、古くから「ナニャドヤラ」という盆踊り歌が伝わっていて、この歌の歌詞「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は日本語では意味不明なのですが、ヘブライ語で聞くと神を称える内容になっているという説も紹介されていたのではなかったでしょうか。
<弟イスキリの墓>
読んだのはずいぶん昔で、そういう系の話が大好きな私は(笑)、読んですぐ行ってみたことがあります。あれから、何年たつのかな? その頃は、道路からちょっと登ったところに木の十字架の立てられている土饅頭が二つ……、なんだこれだけ? まあ、そうだろうな、という感じだったのですが、今日、ちょっと足を延ばしてみたら、すっかり整備されて「キリストの里公園」とやらになっており、さらに「キリストの里伝承館」という建物が立っていて資料が展示されていました。すっかり観光地になっているようで、半村良氏も貢献してるのかな?(笑)
もともとの新郷村のキリスト伝説というのは「キリストは22歳のときに日本に渡り、33歳のときにユダヤに帰って神の教えを伝道。捕らえられて十字架刑に処せられることになったのだが、実は磔になったのは弟のイスキリであった。生き延びたキリストは、再来日して日本女性と結婚し、この地に没した」というもの。で、ここにキリストの墓とイスキリの墓がある、と。まったく実証されていない説ですが、イスラエル文化とのいろいろ不思議な一致点もあるようで、なかなかおもしろみはあります。
キリストの墓の近くには、「大石神ピラミッド」というものもあります。今度は、半村良プラス高橋克彦の世界って感じ(^_^;) 国道をそれると未舗装道路で……。今日もまた(-_-;) 少し進むと未舗装ながら道が広くなってクルマも止められる「ピラミッド前」に到着。こんなところを見物にくる物好きはいないだろうと思ったら、先客が1組。私たちの後から1組。あらら、そんなにメジャーなの?(笑)
日本にもいくつかのピラミッドがあり、ピラミッドそのものは日本のものこそオリジナル……、というのは高橋克彦の世界。この「大石神ピラミッド」がそうであるかどうかはしりませんが、日本にあるピラミッドはいずれも自然の山を利用したもの、という説通りではありました。太陽石、方位石、星座石、鏡石などの名前がついた大きな岩がいくつか折り重なっている感じです。
600メートル先に「上大石神ピラミッド」というのもあるというので、果敢に未舗装道路を前進。轍の間にはぺんぺん草が生えているような道で……。すいぶん人もクルマも通ってないんじゃないでしょうかね? お腹をこすらないように、こっちの高みにタイヤを添わせ、凹んでいるところは避け……、ん? 600メートル? もう、2キロぐらいは来ちゃった感じだけど……何も見つかりません。
すれ違い用にちょっと広くなっているところで、うんうん言いながらUターン。戻り始めると、さきほど「大石神ピラミッド」前で出会ったクルマたちが前方から上がってくるではありませんか! しばし、見詰め合って、負けて、バックを開始しました(笑) いっくら甲斐で鍛えているとはいえ(-_-;)、直進でさえ慎重さを要求される道で、30〜40メートルは下がったでしょうかねぇ。にっこり笑って挨拶されても嬉しくない!(笑)
で、元へ戻るほんの少し手前に崖に上るような急勾配の朽ちかけた階段のようなものを発見。「きっと、ここだったんだ!」ということになりましたが、山道にクルマを停めるスペースもなく、「ま、いっか」と素通りする結果となりました(-_-;) あとでキリストの里公園の駐車場で、お見合いしたクルマと再び出会い、そちらも同じように戻ってきたとか。「何かありました?」と聞かれ、「たぶん、あそこだと思うんだけど……」と笑い合ったのが話のオチでありました。