鯛焼きと豆
並んでいるんですよ、いっぱい。そして、お店の人が「ただいまの時間は90分待ちです」と。だいたい並ぶのが嫌いな上に、いくらおいしいとはいえ、たかが(失礼!)鯛焼きのために? 注文してから買い物でもすればいいのかもしれませんが、用事があったのは100均だし(^_^;) で、そのときは、黙って通り過ぎました。
先日、別の用事で通りかかったら、そのときは行列ゼロ。普通に「ちょうだいなっ」という感じだったので、来客がある予定も思い出し、熱々の鯛焼きを買ってみたのでした。「何匹ですか?」って聞かれるのですよ。思わず、「あ、6匹」と答えて、「匹ねぇ」、正しいような間違っているような(笑)
その隣に「豆源」という豆菓子の店があります。いろんな種類の豆菓子があって、どれを食べたいか自分でわからなくなるほど。最近は、落花生にお砂糖をからめた「なんきん豆」が気に入ってます。「あまり甘いものは食べない……」なんて、言いながら、けっこう食べているような気がしてきました。地下鉄の駅で「♪ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、腹のにく〜♪」と歌っている人とすれ違って、笑いをこらえるのに一苦労したのに、笑いごとではないかも……(-_-;)
永寿院(甲斐霊場第99番)
ナビで調べても、地図で調べても、いっこうに場所がわからない見命山永寿院。方外院で道を教えてもらって、進んで行った道はすれ違い不能みたいな山道。「本当にこの先にお寺なんかあるのかしら?」という山の中に小さなお堂がありました。いまはご本尊も移してしまい、お堂だけが残っているのだそうです。もちろん無住。
ここは木喰仏で知られる、木喰上人の生まれ故郷なのだそうです。木喰上人は、この地で1718(享保3)年に生まれ、22歳で仏門に入って以来、各地の寺を遍歴して修行し、45歳のとき木喰戒を受け、生涯この戒を守ったといいます。「木喰」とは穀物をいっさい絶ち、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律。木喰上人は、木喰行道と称して全国を遊行し、仏像を彫り続けた人です。
この木喰仏というのは、どれもみな笑っているように見える木彫りで、永寿院のすぐ近くの「木喰の里微笑館」で見ることができます。永寿院は日本全国を廻る旅から帰った木喰上人が五智如来を彫刻して納めたお寺のようですが、いまは木喰上人の生家に安置されているとか。
1本の木から彫りだした独特の表情をもつ彫刻は、大正時代の末頃から「木喰仏」として世に知られるようになったそうです。不勉強につき、知りませんでした(-_-;) 「微笑館」には木喰仏がたくさん展示されていて、不思議な空間をつくっています。
方外院(甲斐霊場第98番)
竜湖山方外院は1362(貞治元)年(1362)の開山とされ、ご本尊の如意輪観音は平安末から鎌倉初期のものと推定されています。一面六臂の寄せ木作りで、行基作、とお寺には伝わっているそうですが、そういわれているものはかなり多いので真偽のほどはわかりません。
圧巻なのは、本堂入口の壁に掲げられている絵馬。額というか、壁画のような大きさです。縦2メートル、長さ2メートルほどもあるそうです。「千匹馬」と名づけられています。実際に1,000いるかどうかは別として、いろいろな姿の馬がぎっしりと描かれていて、なかなか見ごたえがあります。
この絵馬には由来があります。安政の飢饉のとき、観音さまに稲の不作を嘆願した老人に「馬の霊が飢えて稲を食べる。霊を慰めるために各地より一人一匹の馬を奉納せよ」と夢のお告げがあったそうです。 そこで馬を描いた大きな額を奉納し祈願したところ、 翌年から豊作になったとか。馬の背中には、それぞれ奉納した人の名前が書かれています。
中央の色のついた、大きく描かれている馬の上に乗っている名前は、高額な奉納料を出した人。金額が小さくなれば、色はなく、後ろのほうに描かれた小さめの馬の背に名前が……。まあ、これが昔からの世の中の摂理?(笑)
絵の説明をしてくださったこのお寺の僧侶の方、お若い方だったので住職さんかどうかわかりませんが、すごく声がよかったのが印象的でした。若干、声フェチのケがある私としては(笑) 朝夕の勤行で鍛えた声なのでしょうか、この方のお経を聞いてみたいと思ったのでした。檀家にでもなろうかしら(^_^;)
慈観寺(甲斐霊場第97番)
曹洞宗慈観寺は、かつては117の末寺をもっていた南明寺(第84番)の末寺で、慈観寺自身も24の末寺をもつ大きな寺だったそうです。いまではひっそりとした山のお寺という感じですが、甲斐は古くはさまざまな仏教が、それぞれ栄えていたところなのだと改めて感じます。本堂の欄干には、ちょっと暗くてわかりにくいのですが、歴史を感じされる龍などの彫刻が施されていて、江戸時代には現在もある本堂のほかに開山堂や中雀門などの建物がたくさんあったそうです。
お寺までは三沢川の川沿いうに上ってくるのですが、この川岸にはたくさんの桜が植えられていて、春になると一帯はピンクにかすむほどだそうです。ここも知る人ぞ知る、甲斐のお花見ポイントの一つらしいですね。
富岡八幡宮「水かけ祭り」
富岡八幡宮の例祭、深川八幡祭りに行ってきました。今年は、3年に1度の本祭り。神輿や担ぎ手に水をかけるのが特徴で「水かけ祭り」ともいわれます。
真夏のじりじりする陽射しの中で、担ぎ手を「冷やす」目的ではじまった「水かけ」でしょうが、あいにく今日の東京は曇り、ときどき小雨もぱらつくような天候で、最高気温も25℃ぐらいだったようです。2、3日前だったら嬉しい水かけだったでしょうに、今日はちょっと肌寒い感じになりました。
汲み置きしてある水を桶やバケツの水で威勢よくかけていくのはもちろん、要所、要所の消防団などが待機していて、消火用のホースで水かけ。これはもう「水かけ」ではなくて、完全に「放水」ですね。永代橋にさしかかるあたりでは、消防団がやる気満々で2本の予行練習をしていました。ビルの屋上まで届くような放水です。
手古舞などの先導でお囃子の音や「わっしょい」の掛け声が近づいてきました。放水!
かけるほうもかけられるほうもずぶ濡れになりながら、楽しそうです。八幡さまの前ではお払いをした水を白装束の神職の方々(だと、思います)が、桶で次々とやってくる神輿に思いっきりかけています。その隣ではまたも消防団の放水。沿道で見守る人たちにも容赦なく水滴が降りかかります。
降りかかります……ぐらいならいいのですが、わざとなのか、消防団の手元が狂ったのか、放水に直撃されました。私は担いでないって! なるべく近くで写真を撮ろうと構えていた見物人の一団は、まるで風呂上りのようにずぶ濡れ。犬のように頭を振ると水滴が周囲に飛び散るくらいでした(-_-;) 寒〜! 桶の水を少々かぶったりするのはご愛嬌でしたが、これには参った〜。とりあえず退散。
ここが最後の見せ場となる八幡さまの前では、それまで踊り手がかぶっていた花笠などが見物人の列に投げ入れられます。サインボールを追いかけなれている私は、花笠をゲット(笑) いや、ただ偶然にも私の上に降ってきたのです。「どうしよう」と思っていたら、隣にいたおばさまが「縁起物だから、もらっておきなさい」とおっしゃってくれたので、ありがたく頂戴してきました。
神輿の通ったあとの道路は冠水状態です(笑) これが延々と続くのだから……。今日は52基と聞きましたが、資料によれば大小120基以上の神輿があるとか。これは明日の子ども神輿なども含まれている数なのかな?
「深川八幡祭り」は、赤坂日枝神社の「山王祭」、神田明神の「神田祭」とともに「江戸三大祭」の一つ。3年に1度、八幡さまの御鳳輦が渡御を行う年が本祭りです。東京では「三社祭」が有名で、集客力もあるのかもしれませんが、深川のほうが楽しいかも。掛け声が「わっしょい、わっしょい」に統一されていて、きれいに揃っているのもかっこいいですね。江戸の伝統をいまに引き継ぐ深川っ子の心意気でしょうか?
本社の一の宮神輿は日本最大の神輿として有名ですが、大きすぎて道路に出すことが難しいため、1991(平成3)年に初じめて渡御が行われたのちは神輿倉に展示されています。
富岡八幡宮の境内も参詣客であふれ、この大神輿に見入る人々もいっぱい。八幡さまの境内からお不動さま、深川公園のあたりまでは屋台がたくさんでていて、おいしそうなにおいが風に乗って流れてきます。
ずぶ濡れのポロシャツのまま、大江戸線に乗りました。寒くて、寒くて風邪をひきそう(-_-;) 新宿で降りて、近くの洋品店に飛び込みセールのブラウスを買って、トイレで着替え(笑) 同じことをやっていた人に会いました。その人も深川帰りだったかも(笑)
で、自宅のある駅に着くとかなりの雨が降ってきていて……。結局、もう一度、ずぶ濡れ。いただいた花笠が髪と顔を守ってくれました。ご利益?