ウォーターリリー
「ウォーターリリー」って、睡蓮のことだそうです。今日、神代植物園で睡蓮を見ながらコンサートを聴きましょうという催しものがあり、けっこう遠くから友人が遊びに来るというので、近くの私はいそいそとつかの間の楽しみを邪魔しに行きました(^_^;)
催し物は、清楚な浴衣姿の女性3人が奏でるクラリネット、フルート、ピアノの温室で行われる「ウォーターリリー・コンサート」。園長も浴衣に麦藁帽子で頑張っていましたが、今日は肌寒くて……。それで演奏の一曲目が「ハンガリア舞曲」って、思いっきりイメージがバラバラでけっこう楽しかったです(笑)
いま、温室から外の池に連れ出されているのは、「熱帯スイレン」だそうです。真夏だけは外でも生きていけるのでしょうが、今日は涼しいを通り越して上着が必要なくらいだったので、本来は熱帯で生きる睡蓮は震え上がっていたかもしれません。
植物園の池には、「温帯スイレン」も花を咲かせていました。「熱帯」と「温帯」の違いは、茎までぐーんと空中に伸びていることと、花だけが水から出て咲いていること。園長さんに教えてもらいました。「温帯」は肩までお風呂に浸かっているけど、「熱帯」はお湯が熱くて首を出しているって感じ。なるほど。
神代植物園の温室では、サボテンやハイビスカスなど、南国の植物がたくさん見られるのですが、なんとも華やかなのが球根ベゴニアの部屋でした。まるで一面に花が咲いたように……、いや、確かに花が咲いているのです(笑)
何か華やかな、きらびやかなものを形容するときに「花が咲いたように」という言葉をよく使いますが、「その実態はこれなのね」と思うような華やかさだったのです。わかったような、わからないような話で失礼します(^_^;)
ついでといってはナンですが、親戚筋のように見受けられる「花蓮」も見て来ました。「なんだか似たような……」と思っていたのですが、比べてみると明らかに違いますね。親戚筋であることは間違いないようですが、いちばんの違いは、蓮は根が食べられること。そして、やっぱり「蓮」のほうには、仏さまを感じます(笑)
鯛焼きと豆
並んでいるんですよ、いっぱい。そして、お店の人が「ただいまの時間は90分待ちです」と。だいたい並ぶのが嫌いな上に、いくらおいしいとはいえ、たかが(失礼!)鯛焼きのために? 注文してから買い物でもすればいいのかもしれませんが、用事があったのは100均だし(^_^;) で、そのときは、黙って通り過ぎました。
先日、別の用事で通りかかったら、そのときは行列ゼロ。普通に「ちょうだいなっ」という感じだったので、来客がある予定も思い出し、熱々の鯛焼きを買ってみたのでした。「何匹ですか?」って聞かれるのですよ。思わず、「あ、6匹」と答えて、「匹ねぇ」、正しいような間違っているような(笑)
その隣に「豆源」という豆菓子の店があります。いろんな種類の豆菓子があって、どれを食べたいか自分でわからなくなるほど。最近は、落花生にお砂糖をからめた「なんきん豆」が気に入ってます。「あまり甘いものは食べない……」なんて、言いながら、けっこう食べているような気がしてきました。地下鉄の駅で「♪ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、腹のにく〜♪」と歌っている人とすれ違って、笑いをこらえるのに一苦労したのに、笑いごとではないかも……(-_-;)
永寿院(甲斐霊場第99番)
ナビで調べても、地図で調べても、いっこうに場所がわからない見命山永寿院。方外院で道を教えてもらって、進んで行った道はすれ違い不能みたいな山道。「本当にこの先にお寺なんかあるのかしら?」という山の中に小さなお堂がありました。いまはご本尊も移してしまい、お堂だけが残っているのだそうです。もちろん無住。
ここは木喰仏で知られる、木喰上人の生まれ故郷なのだそうです。木喰上人は、この地で1718(享保3)年に生まれ、22歳で仏門に入って以来、各地の寺を遍歴して修行し、45歳のとき木喰戒を受け、生涯この戒を守ったといいます。「木喰」とは穀物をいっさい絶ち、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律。木喰上人は、木喰行道と称して全国を遊行し、仏像を彫り続けた人です。
この木喰仏というのは、どれもみな笑っているように見える木彫りで、永寿院のすぐ近くの「木喰の里微笑館」で見ることができます。永寿院は日本全国を廻る旅から帰った木喰上人が五智如来を彫刻して納めたお寺のようですが、いまは木喰上人の生家に安置されているとか。
1本の木から彫りだした独特の表情をもつ彫刻は、大正時代の末頃から「木喰仏」として世に知られるようになったそうです。不勉強につき、知りませんでした(-_-;) 「微笑館」には木喰仏がたくさん展示されていて、不思議な空間をつくっています。
方外院(甲斐霊場第98番)
竜湖山方外院は1362(貞治元)年(1362)の開山とされ、ご本尊の如意輪観音は平安末から鎌倉初期のものと推定されています。一面六臂の寄せ木作りで、行基作、とお寺には伝わっているそうですが、そういわれているものはかなり多いので真偽のほどはわかりません。
圧巻なのは、本堂入口の壁に掲げられている絵馬。額というか、壁画のような大きさです。縦2メートル、長さ2メートルほどもあるそうです。「千匹馬」と名づけられています。実際に1,000いるかどうかは別として、いろいろな姿の馬がぎっしりと描かれていて、なかなか見ごたえがあります。
この絵馬には由来があります。安政の飢饉のとき、観音さまに稲の不作を嘆願した老人に「馬の霊が飢えて稲を食べる。霊を慰めるために各地より一人一匹の馬を奉納せよ」と夢のお告げがあったそうです。 そこで馬を描いた大きな額を奉納し祈願したところ、 翌年から豊作になったとか。馬の背中には、それぞれ奉納した人の名前が書かれています。
中央の色のついた、大きく描かれている馬の上に乗っている名前は、高額な奉納料を出した人。金額が小さくなれば、色はなく、後ろのほうに描かれた小さめの馬の背に名前が……。まあ、これが昔からの世の中の摂理?(笑)
絵の説明をしてくださったこのお寺の僧侶の方、お若い方だったので住職さんかどうかわかりませんが、すごく声がよかったのが印象的でした。若干、声フェチのケがある私としては(笑) 朝夕の勤行で鍛えた声なのでしょうか、この方のお経を聞いてみたいと思ったのでした。檀家にでもなろうかしら(^_^;)
慈観寺(甲斐霊場第97番)
曹洞宗慈観寺は、かつては117の末寺をもっていた南明寺(第84番)の末寺で、慈観寺自身も24の末寺をもつ大きな寺だったそうです。いまではひっそりとした山のお寺という感じですが、甲斐は古くはさまざまな仏教が、それぞれ栄えていたところなのだと改めて感じます。本堂の欄干には、ちょっと暗くてわかりにくいのですが、歴史を感じされる龍などの彫刻が施されていて、江戸時代には現在もある本堂のほかに開山堂や中雀門などの建物がたくさんあったそうです。
お寺までは三沢川の川沿いうに上ってくるのですが、この川岸にはたくさんの桜が植えられていて、春になると一帯はピンクにかすむほどだそうです。ここも知る人ぞ知る、甲斐のお花見ポイントの一つらしいですね。