ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2008/09/05  (金) 

蛇!

お昼よりちょっと前の午前中、駅に向かって歩いていたら、蛇! 周りに野原も何もない住宅街の駐車場です。いったい、どこからやってきたのでしょう? まさか誰かのペットの毒蛇が逃げ出したとか?(^_^;) 蛇の種類はまったくわかりませんが、たぶん、ポピュラーなアオダイショウだと思います(笑)
 
家の周りで蛇を見たのは初めてでした。幼い頃、庭に蛇が出たと騒いだ記憶がかすかにある程度。家の裏は川原になっているので、まったくいないということはないのでしょうが、道路を歩いていて蛇に遭遇するなんて……。大都会じゃあるまいし、蛇ぐらいで驚くこともないか(-_-;)
 
とりあえずカメラを出して写真を撮っていたら、道路から駐車場へとするする移動していきました。その先には小さな児童公園がありますが、そこで生息はできないでしょうね。いったい、棲家はどこなのか? ちょっと気になります。
 



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2008/09/04  (木) 

内船寺(甲斐霊場第106番)

内船寺は、第100番の大聖寺でお話を伺った住職夫人のお嬢さまの嫁ぎ先。御朱印をお願いしたのは住職さんだったのですが、「ご苦労さまです」とお茶を出してくださった方が……、うん、似ている! ひょっとして? 伺ってみるとやっぱりそうでした(笑) 「お茶の時間ですから」といって、お菓子もいただき、みかんのおみやげまでいただいちゃいました。ご馳走さまでーす。
 
108霊場を回っている人々は、年に数十人はいらっしゃるとのこと。それらの人々に、必ずご接待をしてくださるようです。「私たち寺族は、お寺に住んでいるのではなく、お寺を守らせていただいている身ですから……」とおっしゃってました。お寺で生まれて、お寺で育ち、お寺に嫁いできた人らしい落ち着いた穏やかな物腰の方でした。お寺さんもねぇ、100以上を訪ねるといろいろな方がいらっしゃいましたから(笑) こういう方に出会うと、なんだかほっとしますね。
 
内船寺は1277(、建治3)年、鎌倉の武士だった四条金吾頼基が日蓮を慕ってこの地に持仏堂を建てたのが始まり。寛政と安政の二度、火災にあったので現在の建物はそれ以降のものだそうですが、本堂には幕末の作といわれる竜の彫刻が刻まれています。その本堂では、子どもたちの絵画展が開催されていました。庫裏の入口にはいろいろ夏休みの行事の案内も貼ってあり、地域活動に熱心に取り組まれているようです。
 
高さ30センチほどの小さな梵鐘があり、この内側には20種類の薬の調合法がかかれています。その薬は、戦前まで四条金吾殿伝法の「半鐘薬」として全国に売られていたとか。その当時の薬袋や内船寺が発行した道中手形なども残っています。薬事法が厳しくなって、民間薬は排除されたものが多いのですが、いまになって調べてみるとけっこう有効成分の多いものがあったと聞いたことがあります。石田散薬にはポリフェノールが多量に含まれていたとか。甲斐とは関係ありませんね(笑)
 
このお寺に到達するために急傾斜で長〜い階段があります。とっても登る元気はでてこないような(^_^;) 私たちはクルマで、失礼ながら境内までどーんと乗りつけてしまったわけですが、昔の人は、いえ、いまでも徒歩でお参りする方々は、この心臓破りのような階段を登っていらっしゃるのでしょうね。

 



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2008/09/03  (水) 

円蔵院(甲斐霊場第105番)

南部山円蔵院は山号の通り、南部町にあります。「南部氏の郷」と書いてありました。南部氏というと岩手県のイメージが強いなぁと思っていたら、やっぱり関係があるんですね。このあたりは鎌倉時代に加賀美遠光の三男光行が南部氏を称して治め、のちの岩手県の南部藩に移ったのだそうです。その後、南部町は穴山氏の領になったそうです。でも、名前は南部町のまま。
 
円蔵院は、集落のはずれにひっそりとたたずんでいました。穴山氏六代目の信友が1555(天文24)年に建てたもの。お寺の裏手には穴山信友の墓もあります。扉の閉ざされている門は当時のもので、風情がありますが、本堂へ回ると、あらま、コンクリート? 

 

1956(昭和31)年に子どもの火遊びから出火し、焼失してしまったそうです。もとの建物は砦を兼ねていたもので、戦国時代の武者隠しや回転式の壁、床の間の下に抜け穴などもあったとか。焼けてしまったのは残念です。
 
円蔵院には、山梨県ではここだけというジュンサイがあり、本堂裏の小さな池に群生しています……、といわれても、どれがジュンサイ? 食卓に出てくるものしか見たことがないので(-_-;) 水面にハスのような葉を浮かべ、水中の茎のところに出てくる新芽が、あの、食べられるジュンサイなのだそうです。見えませんよね(笑)
 



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2008/09/02  (火) 

本遠寺(甲斐霊場第104番)

身延町は日蓮宗総本山久遠寺のある町。本遠寺は、名前からも想像できるように、やはり日蓮宗のお寺でした。入母屋作り本堂は1650(慶安3)年に、紀州徳川家と水戸徳川家から寄進されたものだそうで、なかなか立派な建物ですが、傷みがひどくなったとのことで現在は修復中。ご本尊は庫裏に仮住まいのようです。
 
山門は朱塗りの大きなものですが、だだっ広い境内に工事車両が何台も停まっているという状況では、なんとなくとりとめのない感じがします。門の両側には仁王さまがどっしりと守っているのですが、天気が悪かったこともあり、暗くてお顔までは見えませんでした。
 
徳川家康の側室だったお万の方が身延山22世日遠上人に帰依し、1609(慶長14)年に伽藍を寄進したときが開山だそうです。お万の方は紀州徳川と水戸徳川に縁のある人ですから、本遠寺は石高も260石という大きな禄をいただいていたそうです。境内にはお万の方が使った井戸も残されています。本堂の裏手には立派なお墓もあるそうですが、いかんせん工事中で……。井戸の隣には町の指定文化財になっているおおきなケヤキがありました。
 
修行寺なのでしょう、仮本堂の寺務所で対応してくださった若い僧侶が、目の前で丁寧に筆を使って御朱印を書いてくださったのが印象に残ります。案外、見ているところで書いてくださるお寺って少ないんですよね。
 



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2008/09/01  (月) 

龍雲寺(甲斐霊場第103番)

龍雲寺本堂は間口16間、奥行き10間あり、山梨県でも大きなお寺の一つ。大屋根は富士川の対岸からも見えるそうです。武田の親族で、穴山梅雪の祖父にあたる信綱が1530(享禄3)年に菩提寺として開いたお寺ですが、1589(天正17)年の火災で焼失し、いまの建物は18世紀後半に再建されたもの。ここにも武田菱がしっかりと掲げられていますね。本堂の天井は自然のままの丸太を組み上げて作られたものだそうです。
 
御朱印をいただこうと庫裏を訪ねると、遠くのほうから犬が吼えながら飛んできました。それほど大きい犬ではありませんが、ブルドックみたいな顔をしていて、それが吼えながら一直線に走ってくるのですから……、怖いよ〜(>_<) 
  
呼び鈴に応えて出てきてくれた奥様に「犬は大丈夫ですか?」と聞かれましたが、「いいえっ!」。犬にもよります(笑) 吼えながら突進されれば……(-_-;)
 



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今日もずぶ濡れ
嗚呼、広島市民球場