
最恩寺(甲斐霊場第107番)
福士山最恩寺は11世紀の初頭に天台宗のお寺として開山されたそうですが、室町時代には臨済宗に転換。本当に甲斐のお寺はみんな歴史が古く、そして途中で宗旨替えをしているところも多いのですね。まあ、長い歴史の中にはいろいろなことがあるのでしょう。

14世紀末から15世紀初頭には武田の後援で、仏殿、方丈、庫裏など禅宗寺院の伽藍などが整備されたそうですが、1685(貞享2)年の火災でほとんどの建物を焼失。いま残っているのは仏殿だけですが、これはなかなか趣のある建物です。重要文化財で、中国・宋時代の仏殿建築の手法、唐様式のもの。内部は土間に須弥壇が設けられているそうです。厨子も重要文化財。本堂はそれほど古いものではありませんが、青い瓦屋根が印象的。ここまでやってくるには川沿いを走って、橋を渡りますが、橋の手前から緑の林の中にくっきりと存在を主張していました。


早く帰ろう気分のまま、ナビにしたがって動き出したら、どうも方向がヘン。よくよくナビを観察してみるとどうも東名へ運んで行きたいようです。そういえば、このあたりはもう静岡県との県境に近いのですね。お指図に従っていたら、とんでもない峠越えをさせられました。久しぶりのワインディング。隣や後ろに座っている方々が飛ばすと怒るので、ときどきセンターラインをショートカットするぐらいでおとなしく走りましたけど(^_^;) それにしてもナビさまのおっしゃることは間違っている!という感じがしたので、途中で大きく左に振り、富士吉田から帰途につきました。中央道からも東名からも離れた内陸部は、確かに高速道路がほしいだろうなぁと……。でも、交通量もほとんどないので、きっと採算はとれませんよ、国交省さま。

今日もカミナリ
でも、こっちもくるかな? 急いで洗濯物を取り込みました(風情なし!)。しばらくすると遠雷が……。今日も夕立かなぁ……。なんて、かわいいものじゃありませんでした。ドッカーン、バリバリ、ドドーン……。ちょうどHDDからDVDにダビングしていたので、停電にならないといいんだけど。いまの日本の技術力、そう簡単には停電にはならないようですね。
嵐がすぎて涼しくなるかと思えば、逆に蒸し暑くなって……。まったく、どうなっているのでしょうねぇ。実は本日、私の誕生日。「こんな暑い日に生まれたの?」って、いわれましたが、私のせいじゃない(笑) 私の生まれた頃は、まだ温暖化もそんなに深刻じゃなくて、これほど暑くなかったのでは?
いろいろな友人からメールや電話をいただいたのですが、「おめでとう」と言われるのも微妙なものですね(笑) 子どもの誕生日は素直に成長を祝えるし、高齢になればご長寿おめでとうって感じになるのでしょうが、日々、体力の衰えを実感するお年頃、誕生日なんか、ぜーんぜんめでたくねぇぞ〜(笑) 高齢者が生きにくくなっている時代、長寿だってそんなにめでたくもないのかもしれない、とか。とはいえ、お祝いメールや電話ををくださったみなさま、私のことを気にかけてくださってありがとう!
深夜になってお風呂に使っていると窓の外から澄み切った虫の声が聞こえてきました。暑い、暑いと文句を言っている間にも、秋はやはり少しずつ近づいているのでしょう。月曜日からは秋の天気図。お天気が続くようです。

蛇!
家の周りで蛇を見たのは初めてでした。幼い頃、庭に蛇が出たと騒いだ記憶がかすかにある程度。家の裏は川原になっているので、まったくいないということはないのでしょうが、道路を歩いていて蛇に遭遇するなんて……。大都会じゃあるまいし、蛇ぐらいで驚くこともないか(-_-;)

とりあえずカメラを出して写真を撮っていたら、道路から駐車場へとするする移動していきました。その先には小さな児童公園がありますが、そこで生息はできないでしょうね。いったい、棲家はどこなのか? ちょっと気になります。

内船寺(甲斐霊場第106番)
内船寺は、第100番の大聖寺でお話を伺った住職夫人のお嬢さまの嫁ぎ先。御朱印をお願いしたのは住職さんだったのですが、「ご苦労さまです」とお茶を出してくださった方が……、うん、似ている! ひょっとして? 伺ってみるとやっぱりそうでした(笑) 「お茶の時間ですから」といって、お菓子もいただき、みかんのおみやげまでいただいちゃいました。ご馳走さまでーす。
108霊場を回っている人々は、年に数十人はいらっしゃるとのこと。それらの人々に、必ずご接待をしてくださるようです。「私たち寺族は、お寺に住んでいるのではなく、お寺を守らせていただいている身ですから……」とおっしゃってました。お寺で生まれて、お寺で育ち、お寺に嫁いできた人らしい落ち着いた穏やかな物腰の方でした。お寺さんもねぇ、100以上を訪ねるといろいろな方がいらっしゃいましたから(笑) こういう方に出会うと、なんだかほっとしますね。
内船寺は1277(、建治3)年、鎌倉の武士だった四条金吾頼基が日蓮を慕ってこの地に持仏堂を建てたのが始まり。寛政と安政の二度、火災にあったので現在の建物はそれ以降のものだそうですが、本堂には幕末の作といわれる竜の彫刻が刻まれています。その本堂では、子どもたちの絵画展が開催されていました。庫裏の入口にはいろいろ夏休みの行事の案内も貼ってあり、地域活動に熱心に取り組まれているようです。
高さ30センチほどの小さな梵鐘があり、この内側には20種類の薬の調合法がかかれています。その薬は、戦前まで四条金吾殿伝法の「半鐘薬」として全国に売られていたとか。その当時の薬袋や内船寺が発行した道中手形なども残っています。薬事法が厳しくなって、民間薬は排除されたものが多いのですが、いまになって調べてみるとけっこう有効成分の多いものがあったと聞いたことがあります。石田散薬にはポリフェノールが多量に含まれていたとか。甲斐とは関係ありませんね(笑)
このお寺に到達するために急傾斜で長〜い階段があります。とっても登る元気はでてこないような(^_^;) 私たちはクルマで、失礼ながら境内までどーんと乗りつけてしまったわけですが、昔の人は、いえ、いまでも徒歩でお参りする方々は、この心臓破りのような階段を登っていらっしゃるのでしょうね。

円蔵院(甲斐霊場第105番)
南部山円蔵院は山号の通り、南部町にあります。「南部氏の郷」と書いてありました。南部氏というと岩手県のイメージが強いなぁと思っていたら、やっぱり関係があるんですね。このあたりは鎌倉時代に加賀美遠光の三男光行が南部氏を称して治め、のちの岩手県の南部藩に移ったのだそうです。その後、南部町は穴山氏の領になったそうです。でも、名前は南部町のまま。
円蔵院は、集落のはずれにひっそりとたたずんでいました。穴山氏六代目の信友が1555(天文24)年に建てたもの。お寺の裏手には穴山信友の墓もあります。扉の閉ざされている門は当時のもので、風情がありますが、本堂へ回ると、あらま、コンクリート?
1956(昭和31)年に子どもの火遊びから出火し、焼失してしまったそうです。もとの建物は砦を兼ねていたもので、戦国時代の武者隠しや回転式の壁、床の間の下に抜け穴などもあったとか。焼けてしまったのは残念です。
円蔵院には、山梨県ではここだけというジュンサイがあり、本堂裏の小さな池に群生しています……、といわれても、どれがジュンサイ? 食卓に出てくるものしか見たことがないので(-_-;) 水面にハスのような葉を浮かべ、水中の茎のところに出てくる新芽が、あの、食べられるジュンサイなのだそうです。見えませんよね(笑)