春の味
新潟の実家に行ってきたという友人から、セリと五月菜をいただきました。いまが旬の春日山城の近くです。五月菜というのは、初めて聞きましたが、菜の花のような感じです。一番菜ということで、太い茎でもさっと茹でたたけで、柔らかく、おいしくいただけます。からし醤油で和えてみました。
裏の川辺で採ってきたというセリもいただきました。茹でて細かく刻んでセリご飯にしてもおいしいと聞き、さっそくやってみました。茹でてもほとんどアクがでないくらいで、さわやかな土地で育ったのだろうなぁと思わせます。味も香りもまさに春そのものといった感じ。
八百屋さんでは、皮がついたままのタケノコが並んでいます。自分で買ってきたら、他所からもいただいたりして、しばらくは、たけのこの日々になりそうです。アクを取ったりしなくてはならないので、なかなか面倒ではありますが、おいしいタケノコを思うと苦になりません。
先日はうっかりふきのとうを盗んでしましましたが(笑)、ぜんまい、わらび、ふき、たらの芽と春の味覚は気持ちまで浮き立たせてくれるようです。何年か前まではときどき信州に山菜取りに行っていたのですが、そういえばここのところご無沙汰。時間がないというわけでもないのです。春の一日、山菜を探して山を徘徊するという心の余裕がないのですね。反省。
粗忽者につける薬は
遠出するときはクルマか飛行機がほとんどの私は、あまり列車の乗り方に精通しておりませぬ。で、特急券の買い方を間違えたらしく、新幹線の改札が通過できませんでした。駅員のおねえさんが飛んできてくれて、お金を払い過ぎと……。「精算所へ行って払い戻しを受けてください、いや、改札でやりましょう」と、とても親切に対応してくださいました。
ところが張本人の私が「あわわっ」と焦っていて、ジタバタ。荷物とバッグのほかに手に切符を持って……、粗忽者は荷物が3つになると何かしら間抜けなことをしてしまうようです。無事、特急券を払い戻してもらって、それをそのままジャケットのポケットに入れ、自動改札を抜けて新幹線のホームへ。2分後に列車が来たので、とりあえず乗って、席に着き、ポケットのお金を財布に戻そうとしたら……。ひぇ〜、財布がない!
バッグをひっくり返して探しましたが、結局、財布は現われず。ここへ到着するまでの行動を振り返ってみると……、たぶん、改札のところだなぁと思い当たりましたが、のぞみは速い! もう、東広島を通過していましたからねぇ。ご承知のように、こんなことをしょっちゅうやっている人は、不思議と失せ物は出てくることになっているので(^_^;)、「ま、きっと出てくるに違いない」と楽観して、お弁当を食べ、寝てしまいました(笑)
東京駅について、警備員の人に事情を話すと、「精算所で」と言われました。新幹線では忘れ物、落し物は精算所で解決してくれるらしいです。精算所の窓口へ行って事情を話すと、広島駅へ電話をしてくれました。電話を受けた広島駅の方が探してくれている間、しばし待たれよとのこと。待っていると、「ありました」という電話。ほぉ〜らね(笑)
遅い時間になっていたので、翌日、広島駅に電話せよとのことでした。自分の性癖は重々承知しているので、財布の中にはたいした額のお金は入っていません。が、今回は免許証とETCカードが入っていました。なくなると困るものですが、今回はこれが功を奏し、電話で申告した住所、本籍などを先方が免許証で確認できるので、「免許証の住所へ送ります」ということで一件落着。JRの方にお世話をおかけしました。親切に対応していただき、ありがとうございます。
しかしまぁ、何回、こんなことをやれば気が済むのでしょうか(笑) どこかに粗忽者につける薬でも売っていないものでしょうかね?
今季初勝利!
横浜ベイスターズは今日から開幕です(笑) 今日はたまたまスタジアムに行っていたのですが(^_^;)、試合が終盤になって今日は大丈夫そうだという頃、何人かの友人が携帯メールで「おめでとう」とか「よかったね」といったメッセージをくれました。誰もベイスターズファンでもないのに(笑) みなさまにご心配をおかけいたしましたが、やっと開幕しましたよという感じです。やっぱり浜の番長、三浦投手は頼りになります。と、いいながら、「こんなに点を取っちゃうと、明日は完封されるな……」なんて、ベイスターズファンはあくまでペシミスト?(笑)
ホームで勝つとヒーローインタビューが行われます。浜スタでも普通にヒーローインタビューは行われますが、これが終わった後、スタジアム正面の外のテラスで「裏お立ち台」というのがあるのですよ。ここには、ヒーロー(勝利投手とか決勝点をたたき出した選手)ではないけど、活躍した選手が登場して、マスコミのいないところで(^_^;)フレンドリーに話をしてくれたりします。今日はヒーローが三浦投手と初お立ち台の石川選手だったので、裏は「野口捕手かな? HRの金城選手かな?」というところでした。野口捕手は当たりだったのですが、もうひとりは三浦投手が出てきてくれました。もう大騒ぎ(笑) 浜の番長への支持は圧倒的です。
今日のスタジアムには、WBCのトロフィーが回ってきていました。ティファニーと書かれた金メダルと一緒に飾られていて、黒山の人だかりです。みんな順番を待って写真を撮るのに忙しく、HRを見逃した人もいたようですよ(笑) テレビでは何度か見ましたが、間近で見ると本当に美しい輝きです。各球場を回って、最終的には野球博物館にでも行くのでしょうか。順番の回ってきた日にスタジアムにいてラッキーでした。ホントにきれい!
実は今日も勝つとは思っていなかったので(笑)、早めに行って日のあるうちに横浜公園のチューリップを撮っていました。「勝たなくても楽しめる横浜スタジアムのチューリップカタログ」を作ろうと(^_^;) 横浜公園のチューリップはいまが盛りです。色鮮やかに咲いているもの、ひっそりと可愛らしい花をつけているもの、さまざまな色や形のチューリップが目を楽しませてくれます。春本番という感じですね。
元町公園
横浜スタジアムへ行くには、なかなかの覚悟が必要になってきます(笑) まずは横浜の桜の名所の一つでもある元町公園へ行って心を落ち着けましょう。とはいっても、観戦仲間のひとりは「勝たぬなら、勝つまでまとうホトトギス」なんて涼しい顔で言っておりましたが。なんといっても辛抱強さは天下一品のベイスターズファン、「勝たぬなら、殺してしまえ……」という人は見かけませんが。いるのかな?(笑)
元町商店街の端から住宅街を抜けたところに元町公園があります。起伏のある散策路が続いていて、桜はまさに満開。というより、ハラハラと花びらが降っていて、東山の金さんの背中より華やかです。そろそろ葉が優勢になってきたころでしょうか。1930(昭和5)年の公開といいますから、桜もずいぶん古木になってきていますね。いまはひっそりしていますが、プールもありました。
山手本通りへ向かって登ると、「山手80番館遺跡」があります。かつてはレンガ造りの建物だったものが、関東大震災で倒壊。いまに面影を残しているのは地下室部分だけで、まさに「遺跡」という風情です。ここから少し歩くと「エリスマン邸」があります。関東大震災後の1926(大正15)年、スイス人の貿易商エリスマンの家だったものだとか。1989(平成元)年にここに移築復元されたものだそうです。山手本通りに並ぶ洋館の数々はいかにも「横浜っぽい」感じがします。
プールの下は「ウォーターガーデン」になっています。この付近は明治の初めにフランス人の実業家ジェラールが船舶給水業を営んでいた場所だそうで、水とは縁があるところのようです。「ウォーターガーデン」にはいまも湧き水があふれ、さわやかな流れを作っていました。
湧き水を簡易水道で引き、外国船に飲料水として売ったという貯水槽が残っています。いまも豊富な水が湧き出しているのだとか。鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。ジェラールはレンガの製造も手がけていたとのことで、プール管理棟の横に、「ジェラール水屋敷」と「ジェラールの瓦とレンガ」に関する解説板があります。管理棟もレンガ造り。
そう広い公園ではありませんが、そぞろ歩きのどこからでも桜が望め、春の息吹を感じられる静かな場所です。ここから山下公園までも歩いてすぐ。ちょっとした横浜散歩は覚悟を決めるのにも役立ちます。そして、予想通りの結果だったりして(-_-;)
まあ、いいじゃありませんが、桜はとてもきれいでした。葉桜になればなったで、また鮮やかな緑が美しいでしょうね。これからツツジ、ボタンなどなどたくさんの春の花が目をたのしませてくれそうですね。このところお天気がいいので、散歩も気持ちのよいものになります。
同期の桜
今日は帰るだけという日、江田島に渡ってみました。渡ると行っても陸路もあるようですが、宇品港から高速船に。これは速い! 予想していたより、ずいぶんかっ飛ばしております(笑) 25分と聞いていたのに、21分で着いたし。
帰りは姫路に寄って行きたいなと思っていたのですが、格安チケットを渡されていて、下車前途無効。広島でどこかへと考えたら、江田島の旧海軍兵学校を思い当たりました。初めての渡航です(笑) 港へ行ったのも初めて。瀬戸内海の島々や四国へ渡る高速船やフェリーがかなり頻繁に行き来しているようです。普段、移動は陸か空ばかりなので、けっこう新鮮でした。
江田島の旧海軍兵学校は、いまでは「海上自衛隊第1術科学校」となっています。「小用」という港から、バスで3つ目ぐらいです。1888(明治21)年、築地にあった海軍兵学校が江田島に移転したもので、1893(明治26)年に作られた赤レンガの「生徒館(当時)」がいまも残されています。敗戦で閉校になるまで、57年間、海軍の仕官養成学校だったところです。
戦後は、連合軍か11年間ほど使用していたそうですが、1956(昭和31)年から海上自衛隊の術科学校、‘57年に海上自衛隊幹部候補生学校が開校し、’58年には、海上自衛隊第1術科学校が発足したそうです。「術科」って何? どうやら、軍隊の各種専門技術のようですが……。
構内の一部に見学が許されていますが、案内の方がつき、群れからはぐれるなというお達し。好きなところへ行けるわけではありません。構内を行き交う人は見学者をのぞいて、ほぼ制服姿です。作業服のような制服もあり、船長のような制服もあり、警察官のような制服もあり、ですが。そして、さすが軍隊。みなさん、しゃきしゃきと速足、か、小走り、か、自転車……。広いですものね。
平日に見学に来る人なんかいるのかなと思っていたら、時間になって集まった人が35人ぐらいいて驚きました。30人ぐらいはバスできたグループのようです。年配の方が多かったのですが、終戦を10歳で迎えた人がもう後期高齢者になろうというのですから、年配といっても「戦争を知らない子どもたち」が年をとった姿ですよね。
1893年に完成した赤レンガの旧生徒館は、いまではコンピュータ関係の部屋がある建物になっているとか。英国から輸入したレンガを使った建築だそうですが、「とくに掃除はしていない」というこのレンガ、ツルツルで肌触りもよく、とてもきれいです。
東京駅と同じレンガだといいますが、東京駅を間近で触ったことはなかったので、レンガのスベスベぶりに感動(笑) 建物は立入禁止なのが残念ですが、遠望した廊下なども整然とした幾何学美でした。
いろいろな式典が催されるという大講堂は総花崗岩。1917年に建てられたものだそうです。‘98年に大改修が行われ、ぴっかぴかです。屋根の緑色は緑青の色を保つためにあえて手付かずなのだとか。これほど年月が経てば銅も朽ちてしまうことがおおいのに、ここは穴一つあいていない、と。上等なものなのですよ。
資料室に入ると、正面からお出迎えいただくのは東郷平八郎元帥です。まさに、神格化されていますね。そして海軍の歴史をたどる部屋で最初に登場するのが勝海舟。ちょうど海舟の本を読んだばかりだったので、「あら、勝っつぁん、こんなところで何してる?」という感じでした(笑) そうか、海軍の歴史といえば、海軍の歴史ですね。となりに坂本竜馬の写真もありました。
この白い大きな建物には、内部撮影禁止ですが、アジア太平洋戦争で特攻していった若い兵士たちの遺書や遺品、そして多くの遺影なども納められています。若い身空で……、そして、何を信じて?
赤レンガの建物の裏に「同期の桜」のモデル桜があります。幹の周囲3メートル、枝幅15メートル以上の巨木ですが、この裏には立入禁止。遠くから写真を撮っていると、案内人の方が(定年になった潜水艦乗りだそうです)、「デジカメ持っている人、全員、ここに出して!」と言われるので、「没収かな?」とみんなが恐る恐るカメラを差し出しました。そのおじさんは、十数台のカメラを手に持ち、ポケットに入れ、立入禁止区域に入って、みんなのカメラで1枚ずつ「同期の桜」を撮ってきてくれました! 素晴らしいサービス精神(笑) 天気もよく、ちょうどいまが花の盛りで、こんなに美しい「同期の桜」が拝めるのは、そうとうラッキーのようですよ。
♪貴様と俺とは同期の桜ぁ〜♪と歌われた軍歌は、てっきり♪同じ航空隊のぉ〜♪という特攻隊の歌だと思っていたら、♪同じ兵学校のぉ〜♪というのがオリジナルで、ここの兵学校の桜を詠んだ歌なのだそうです。樹齢100年以上と聞きました。
見学開始まで時間があったので、待合室のようなところでこの学校のPRビデオのようなものを見ていました。さすが軍隊式はすごいですねぇ。「最近のたるみきっている青少年を自衛隊に入れて鍛え直せ」という方がときどきいますが、鍛え直るどころか、たぶん3日ももたないんじゃないでしょうか(笑) いじめじゃないのか!? という感じです。民間の学校なら、絶対、告訴されてる……(^_^;) そして、「見事散りましょう、国のため」的な精神論がいまだ健在な感じもします。職業軍人なんだからもっとビジネスライクのほうがいいんじゃありません? なんか、ちょっと怖いです。
軍事技術は多くの技術革新、技術は戦争によって進歩してきたともいえるのでしょうが、人工衛星に役立たずとも、戦争の練習をするようなところが世界中からなくなればいいのにな、とも思いました。