中山道を歩く2
再びモモタロウに手を引かれて、中山道を歩きました。前回の続きで、聖橋をから。午前中、私にしては早めの時間に待ち合わせたので、歩き出しからお腹はすいているし、眠いし……(笑) はたして今日中に御府内を抜けられるものでしょうか。先を歩く浪士隊はもう150年以上前を歩いていて、追いつけるわけもないので急ぐ旅でもありません(^_^;)
聖橋から17号線、この辺りでは本郷通りと呼ばれています。まっすぐ歩いていくと「旧加賀屋敷御守殿門」に出会います。要するに、東京大学の「赤門」です。大名家に嫁いだ将軍家の娘の住んでいた屋敷を御守殿と称し、そこの門を赤く塗ったところから赤門と呼び習わしていたそうです。東大の赤門は現存する唯一のもの、国の重要文化財に指定されています。ここは加賀百万石、前田家の上屋敷だったところ。この御守殿門は、1827(文政10)年に第11代将軍家斉の姫が第13代藩主前田斉泰に嫁入りしたときに建てられたそうです。1877(明治10)年に東京大学になりました。
ついでに東大の構内を歩いてみました。「広いねぇ」「前田くんは金持ちだったから」「なんてったって百万石」「世渡り上手な感じがするよね、前田くん」と、まあ、知り合いのように。私もモモタロウも東京っ子なので、もしかしたら先祖が知り合いだったかも知れないじゃないですか(笑) 春の気配を漂わす「三四郎池」ものぞいてきました。三四郎池の正式名称は、「育徳園心字池」。これも加賀藩邸の庭園の一部だったものですが、後に夏目漱石の小説「三四郎」にちなんで、三四郎池と呼ばれるようになった池です。新緑が美しく、そぞろ歩きにちょうどいい感じ。
街の中では、ただ歩くだけでは面白味もないので、街道の近辺にある歴史的建造物も見て歩いています。建造物っていうほどではないけれど、近所に春日局のお墓があるというので探してみました。あらら、行き過ぎちゃってました。仕方がないので戻ってみましょう。こちらは春日通り沿いの麟祥院というお寺にあります。3代将軍家光の乳母であるのをいいことに大奥に権力構造を普及させた方でありますね(笑) 乳母が権力を持つって、わかる気もします。生みの親より育ての親でしょう、やっぱり(^_^;) それでこのあたりを「春日通り」っていうのかしら?
どこかへ行くときは、その場所にいちばん近い駅を調べて、そこから行くのが普通なので、東京の街の距離感って、営業の方とかタクシーの運転ドライバーならご存知でしょうが、ただ住んでいても案外わかりません。地図を見て、「あら、上野と本郷ってけっこう近いのね!」とか(笑) その上、行きつ戻りつ、結局、歩いた距離は6キロ程度。いや、行きつ戻りつ分を入れると8キロぐらいにはなったかもしれませんね。
春の味
新潟の実家に行ってきたという友人から、セリと五月菜をいただきました。いまが旬の春日山城の近くです。五月菜というのは、初めて聞きましたが、菜の花のような感じです。一番菜ということで、太い茎でもさっと茹でたたけで、柔らかく、おいしくいただけます。からし醤油で和えてみました。
裏の川辺で採ってきたというセリもいただきました。茹でて細かく刻んでセリご飯にしてもおいしいと聞き、さっそくやってみました。茹でてもほとんどアクがでないくらいで、さわやかな土地で育ったのだろうなぁと思わせます。味も香りもまさに春そのものといった感じ。
八百屋さんでは、皮がついたままのタケノコが並んでいます。自分で買ってきたら、他所からもいただいたりして、しばらくは、たけのこの日々になりそうです。アクを取ったりしなくてはならないので、なかなか面倒ではありますが、おいしいタケノコを思うと苦になりません。
先日はうっかりふきのとうを盗んでしましましたが(笑)、ぜんまい、わらび、ふき、たらの芽と春の味覚は気持ちまで浮き立たせてくれるようです。何年か前まではときどき信州に山菜取りに行っていたのですが、そういえばここのところご無沙汰。時間がないというわけでもないのです。春の一日、山菜を探して山を徘徊するという心の余裕がないのですね。反省。
粗忽者につける薬は
遠出するときはクルマか飛行機がほとんどの私は、あまり列車の乗り方に精通しておりませぬ。で、特急券の買い方を間違えたらしく、新幹線の改札が通過できませんでした。駅員のおねえさんが飛んできてくれて、お金を払い過ぎと……。「精算所へ行って払い戻しを受けてください、いや、改札でやりましょう」と、とても親切に対応してくださいました。
ところが張本人の私が「あわわっ」と焦っていて、ジタバタ。荷物とバッグのほかに手に切符を持って……、粗忽者は荷物が3つになると何かしら間抜けなことをしてしまうようです。無事、特急券を払い戻してもらって、それをそのままジャケットのポケットに入れ、自動改札を抜けて新幹線のホームへ。2分後に列車が来たので、とりあえず乗って、席に着き、ポケットのお金を財布に戻そうとしたら……。ひぇ〜、財布がない!
バッグをひっくり返して探しましたが、結局、財布は現われず。ここへ到着するまでの行動を振り返ってみると……、たぶん、改札のところだなぁと思い当たりましたが、のぞみは速い! もう、東広島を通過していましたからねぇ。ご承知のように、こんなことをしょっちゅうやっている人は、不思議と失せ物は出てくることになっているので(^_^;)、「ま、きっと出てくるに違いない」と楽観して、お弁当を食べ、寝てしまいました(笑)
東京駅について、警備員の人に事情を話すと、「精算所で」と言われました。新幹線では忘れ物、落し物は精算所で解決してくれるらしいです。精算所の窓口へ行って事情を話すと、広島駅へ電話をしてくれました。電話を受けた広島駅の方が探してくれている間、しばし待たれよとのこと。待っていると、「ありました」という電話。ほぉ〜らね(笑)
遅い時間になっていたので、翌日、広島駅に電話せよとのことでした。自分の性癖は重々承知しているので、財布の中にはたいした額のお金は入っていません。が、今回は免許証とETCカードが入っていました。なくなると困るものですが、今回はこれが功を奏し、電話で申告した住所、本籍などを先方が免許証で確認できるので、「免許証の住所へ送ります」ということで一件落着。JRの方にお世話をおかけしました。親切に対応していただき、ありがとうございます。
しかしまぁ、何回、こんなことをやれば気が済むのでしょうか(笑) どこかに粗忽者につける薬でも売っていないものでしょうかね?
今季初勝利!
横浜ベイスターズは今日から開幕です(笑) 今日はたまたまスタジアムに行っていたのですが(^_^;)、試合が終盤になって今日は大丈夫そうだという頃、何人かの友人が携帯メールで「おめでとう」とか「よかったね」といったメッセージをくれました。誰もベイスターズファンでもないのに(笑) みなさまにご心配をおかけいたしましたが、やっと開幕しましたよという感じです。やっぱり浜の番長、三浦投手は頼りになります。と、いいながら、「こんなに点を取っちゃうと、明日は完封されるな……」なんて、ベイスターズファンはあくまでペシミスト?(笑)
ホームで勝つとヒーローインタビューが行われます。浜スタでも普通にヒーローインタビューは行われますが、これが終わった後、スタジアム正面の外のテラスで「裏お立ち台」というのがあるのですよ。ここには、ヒーロー(勝利投手とか決勝点をたたき出した選手)ではないけど、活躍した選手が登場して、マスコミのいないところで(^_^;)フレンドリーに話をしてくれたりします。今日はヒーローが三浦投手と初お立ち台の石川選手だったので、裏は「野口捕手かな? HRの金城選手かな?」というところでした。野口捕手は当たりだったのですが、もうひとりは三浦投手が出てきてくれました。もう大騒ぎ(笑) 浜の番長への支持は圧倒的です。
今日のスタジアムには、WBCのトロフィーが回ってきていました。ティファニーと書かれた金メダルと一緒に飾られていて、黒山の人だかりです。みんな順番を待って写真を撮るのに忙しく、HRを見逃した人もいたようですよ(笑) テレビでは何度か見ましたが、間近で見ると本当に美しい輝きです。各球場を回って、最終的には野球博物館にでも行くのでしょうか。順番の回ってきた日にスタジアムにいてラッキーでした。ホントにきれい!
実は今日も勝つとは思っていなかったので(笑)、早めに行って日のあるうちに横浜公園のチューリップを撮っていました。「勝たなくても楽しめる横浜スタジアムのチューリップカタログ」を作ろうと(^_^;) 横浜公園のチューリップはいまが盛りです。色鮮やかに咲いているもの、ひっそりと可愛らしい花をつけているもの、さまざまな色や形のチューリップが目を楽しませてくれます。春本番という感じですね。
元町公園
横浜スタジアムへ行くには、なかなかの覚悟が必要になってきます(笑) まずは横浜の桜の名所の一つでもある元町公園へ行って心を落ち着けましょう。とはいっても、観戦仲間のひとりは「勝たぬなら、勝つまでまとうホトトギス」なんて涼しい顔で言っておりましたが。なんといっても辛抱強さは天下一品のベイスターズファン、「勝たぬなら、殺してしまえ……」という人は見かけませんが。いるのかな?(笑)
元町商店街の端から住宅街を抜けたところに元町公園があります。起伏のある散策路が続いていて、桜はまさに満開。というより、ハラハラと花びらが降っていて、東山の金さんの背中より華やかです。そろそろ葉が優勢になってきたころでしょうか。1930(昭和5)年の公開といいますから、桜もずいぶん古木になってきていますね。いまはひっそりしていますが、プールもありました。
山手本通りへ向かって登ると、「山手80番館遺跡」があります。かつてはレンガ造りの建物だったものが、関東大震災で倒壊。いまに面影を残しているのは地下室部分だけで、まさに「遺跡」という風情です。ここから少し歩くと「エリスマン邸」があります。関東大震災後の1926(大正15)年、スイス人の貿易商エリスマンの家だったものだとか。1989(平成元)年にここに移築復元されたものだそうです。山手本通りに並ぶ洋館の数々はいかにも「横浜っぽい」感じがします。
プールの下は「ウォーターガーデン」になっています。この付近は明治の初めにフランス人の実業家ジェラールが船舶給水業を営んでいた場所だそうで、水とは縁があるところのようです。「ウォーターガーデン」にはいまも湧き水があふれ、さわやかな流れを作っていました。
湧き水を簡易水道で引き、外国船に飲料水として売ったという貯水槽が残っています。いまも豊富な水が湧き出しているのだとか。鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。ジェラールはレンガの製造も手がけていたとのことで、プール管理棟の横に、「ジェラール水屋敷」と「ジェラールの瓦とレンガ」に関する解説板があります。管理棟もレンガ造り。
そう広い公園ではありませんが、そぞろ歩きのどこからでも桜が望め、春の息吹を感じられる静かな場所です。ここから山下公園までも歩いてすぐ。ちょっとした横浜散歩は覚悟を決めるのにも役立ちます。そして、予想通りの結果だったりして(-_-;)
まあ、いいじゃありませんが、桜はとてもきれいでした。葉桜になればなったで、また鮮やかな緑が美しいでしょうね。これからツツジ、ボタンなどなどたくさんの春の花が目をたのしませてくれそうですね。このところお天気がいいので、散歩も気持ちのよいものになります。