1,000円渋滞体験記
今回の信州ミニトリップ、私たちは金曜日の夜に出発しました。土曜日の午前中は大混雑だろうと思われたので、夜に出発し、0時を回って土曜日になってから高速を出れば1,000円のご利益にも預かれるという計算です。そりゃ〜ねー、均一区間を入れて5,950円かかるところを1,600円ですからぁ〜。夜中に忍び込んでも許される宿を持っていることも強みでしょう(笑)
交通量はいつもの夜中に比べればかなり多かったのですが、渋滞することはありませんでした。おおむね100〜120km/hぐらいで走れました。おまわりさんには内緒です(笑) 長野道梓川SAに着いたのが23時半頃だったでしょうか。ここで休んで、0時を目指そうと思って入っていったら、うわぁ〜、すごいクルマの数。駐車スペースがまったくなく、エリア外に駐車しているクルマもかなりありました。「そっか〜、同じこと考えている人はいっぱいいるんだぁ〜」という感じで、そのまま本線にもどり、次の松代SAを目指しましょう。
普通であれば、SAなりPAなりに入ったクルマは、トイレに行くなり、食事をするなりすれば出て行きますから、いくら混んでいてもいずれどこかにスペースは空くはずです。ところが、この日はみんな1,000円で下りられる0時待ちですから、出て行くクルマはほとんどありません。待っていても無駄ということになりますね(-_-;)
松代なら通常では停まるクルマはほとんどないのだから、きっと梓川よりは空いているはず。松代SAに着いたのは、0時に15分ぐらい前でした。こちらもスペースはいっぱいでしたが、ここから15分以上先へ行くクルマがそろそろ動きだしていて、難なく空をみつけ滑り込みます。0時が近づくとみんなゾロゾロという感じで出て行きます。私が目指す長野ICまでは5分もかからないので、ピッ、ピッ、ポーンという感じで、0時を待ってスタートしました。こんなわけで、行きはまあ、読みは大きくは外さなかったといえるでしょう。
帰りはといえば、きっちり巻き込まれました(-_-;) その1は「更埴JCTを先頭に2キロ」。これはスピードダウンぐらいで通過。その2は「塩尻北を先頭に14キロ」。これはしっかりノロノロ運転。そして、その3が本番ですねぇ。「小仏トンネルを先頭に30キロ」。「うっへぇ〜!」という感じです。「今日はそれほどでもないと思っていたのに……。やっぱり夜中にすればよかった……」と思っても後の祭りというヤツです(-_-;)
そのうえ、GWで普段あまりクルマに乗らない方々がたくさん参入してこられるので、あっちこっちで事故が発生していました。追突程度の小ぶりな事故ですが、現場あるいは現場近辺という感じだけで3件くらい遭遇しました。軽い追突でも車線を塞ぎますから、渋滞にますます拍車がかかるというわけです。
走りなれていない人が多いし、1,000円だから行けるところまで高速で行くという発想のドライバーが多いと思って、途中で一般道へ降りました。やっぱり甘かった(笑) 上が混んでいるときは、下もやっぱり混んでいます。でも、高速道路で並んでいるより速かったかも。信濃町から約6時間、ずーっと運転席に座りっぱなしで、さすがにカタマリました〜。降りたときは地面が揺れているような感じ。これが陸酔いですか?
信濃町そばラリー
帰りは、今回も黒姫側に下りました。新蕎麦を食べに来たときにおいしかった信濃町の蕎麦店に寄っていこうと目論んだのです。しかし、前回のスタンプラリー資料をもってくるのを忘れてました(^_^;) 「まあ、行けばなんとかなるだろう」と走っていきましたが、なんともなりませんでした(-_-;) 時は4時半。この辺りの蕎麦店は、3時ごろで終わっちゃう店が多いんですねぇ。ひたすら信濃町ICを目指すのみと相成りました。
信濃町の入口に道の駅があります。高速に乗る前に、この道の駅でものぞいていくかとばかり停車したところ、ここにありました。スタンプラリー「双六刻印つづり帖」の台紙。そして、このスタンプ双六の中に入っている店が。が、しかし……。自動販売機で食券を買うという店で、カレーや丼物も一緒に扱っているのだけれど……。
「天望」という店です。一応、手打ち蕎麦ということになっているようですが、セルフサービスで駅そばみたいな感じ。出てきたスタイルで、まずもって「……」。お皿? まあ、蕎麦の味は見かけではありませんが、やっぱり、ちょっと見かけも大事よ(^_^;) とりあえず一口すすってみて、ちょっと驚いたのは見かけとは違うコシの強さです。でも……、コシが強いというよりは硬い?(笑) 蕎麦の香りもしないし、申し訳ないけど、お勧めできませんねぇ、これはねぇ(笑) 同じスタンプラリーの加盟店でもそれぞれなんだなぁと思いました。まあ、道の駅ですもんねぇ、しかたがないかなぁ〜。
戸隠そば「極意」&「大西」
戸隠でももちろん蕎麦です。これまでに10軒以上の店には行ったかもしれません。今回はまだ未経験の店、「極意」に行ってみました。向かいの「うずらや」は、雑誌などでよく紹介されている店なので、お昼前からけっこうな行列ができています。「極意」は開店時間が遅いので、まだ扉が開いていません。店の前に予約を書く紙がでていたので、とりあえず名前を書いて、「十輪堂」にお茶を飲みに行ってしまいました。時間に戻ってくると、すでに開店。あらら、不在で順番を飛ばされてしまいました(-_-;) でも、すぐ入れてくれたので、もりそばと山菜の天ぷらを頼みます。
ちゃんとぽっちになって出てくる戸隠流ですが、ここの蕎麦はかなり細く切ってあります。これが特徴のようですが、ちょっと頼りない感じかなぁ(^_^;) 戸隠で食べる蕎麦は無意識に太くてしっかりコシのある田舎蕎麦を予想しているので、肩透かし?(笑) もろ味の入った豆腐と小鉢もついて、かなり上品なセンを狙っているのでしょうか。意外性がありました。
この「極意」という店は、もともと戸隠神社の宿坊「徳善院」でした。蕎麦店のほうは違いますが、いまでも茅葺屋根の宿は国の文化財に指定されています。ここに泊まってお蕎麦をいただくことも可能。たくさんあった戸隠の宿坊の中では、もっともよく保存されている建物かもしれません。
天の岩戸伝説がある戸隠では、平安初期に「戸隠三千坊」といわれた山岳密教の聖地でした。明治以前の神仏混淆時代には戸隠神社は戸隠山顕光寺と呼ばれていました。そんわけで、いまでは神社なのに周囲に宿坊、あるいは元宿坊がたくさんあるのです。
宿坊の一つである旧松寿院大西旅館は、ゆっくりと部屋へ上がってお蕎麦をいただくことができます。窓からは戸隠連峰や遠く北アルプスを望むことができて快適。まあ、お部屋の向きにもよりますが(^_^;) 庭には高山植物が植えられ、あるいは自生していて、そちらを楽しむこともできます。やっぱり、その日に打った蕎麦が終わると閉店なので、今回は出遅れました(笑) 予約したほうがいいかもしれませんね。ここの蕎麦も香り高く美味です。
信州そば「元屋」
長野市内では、「ここがお勧め」と市内の住人に教わったのが、善光寺の門前にある「元屋」です。何度か来たことはあるのですが、「今日の分が終わったら閉店」という店なので、空振りも何回かありました。しばらくぶりに来たら、ちょっとお店がきれいになったかしら? 改装したのかな? 観光ガイドにでも載ったのでしょうか、行列ができていました。お昼どきだし……。
並んでいるのが数組だったこともあり、別のところへ行って、そっちも混んでいたら倒れる! という感じだったので、大っ嫌いな行列ですが、最後尾につきました(笑) 御開帳で並んで、少しは耐性ができたのかもしれません。いわゆる信州そばの感じで、おいしかったです。ごちそうさまでした。
忍者の里
忍者といえば、伊賀・甲賀が有名ですが、伊賀の流れを汲む戸隠流もそこそこメジャーです。地名は「とがくし」ですが、忍法は「とがくれ」流です。忍者の技術や伝統は、いまも保存会のようなものがあって引き継がれているようです。奥社の近くに「戸隠民俗館」と「忍者資料館」「からくり屋敷」がセットになった施設があります。中社の近くには「ちびっこ忍者村」も。
存在は知っていたのですが、戸隠に来るのはスキーがほとんどで、冬季は閉鎖。これまで訪ねる機会はありませんでした。それに、なんとなく胡散臭くありません?(笑) このたびは、「べーそ」で忍者の方々の実演を見たこともあり、ちょっと立ち寄ってみようかという気になりました。さすがに「ちびっこ」のほうはご遠慮いたしましたが(^_^;)
「戸隠民俗館」は江戸時代の穀倉に戸隠の民具が展示されています。まあ、まあ、ありがちな……(^_^;) この辺りは竹細工が有名ですが、いろいろな種類の竹の笊や籠が展示してあるのが特徴といえるかもしれません。古い農具や野良着、裃なども展示されています。
「戸隠流忍法資料館」は大きな農家を改造したもの。1階は畳が敷いてあり、住に関するさまざまな道具が展示してあります。豪農の住まいという感じですね。2回は「戸隠流忍者」の技術や道具が紹介されています。本物の手裏剣や毒薬、仕込み杖、服などがあり、忍者のすべてがここでわかる!(笑) 戸隠流は、木曽義仲の家臣・仁科大助が戸隠飯綱修験道に伊賀流忍術を加えて完成させた忍びの術なのだそうです。実践している写真などもあり、なるほど・ザ・忍者です。この世界に興味のある方々は楽しめそうです。
「忍者からくり屋敷」はいわゆる立体迷路です。入場料を払ったのだから入ってみるかぐらいの気持ちだったのですが、これはけっこうおもしろい! 案内図はいっさいなく、「自力で出てこなければ知らないよっ」という感じです。壁を動かしたり掛け軸をめくったりして、自分で出口を探さなければなりません。せっかく見つけた隠し扉が行き止まりだったりして、けっこう知恵を絞らないと脱出できなくなりそう。多くの人が試したらしい扉を試して……。
ここでひとりで入場したらしい小学校1、2年生ぐらいの少年に出会いました。最初はちょっと心細げで、私たちの後ろをついてくるという感じだったのですが、あまりにもあてにならならいオバサンと見抜かれ、「僕の後についておいで!」という感じで、先頭に立ってあちこち探してくれました。ぐずぐずしていると、「こっち、こっち」と扉を開けて待っててくれたりします。ありがとう、キミがいなかったら、オバサンたちはこの中でミイラになってたかもしれないよ(笑)