ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2009/05/28  (木) 

石鹸みたいなチーズ

友人から「石鹸みたいなチーズ、食べる?」と言って、チーズをいただきました。息子さんがイタリア旅行をしてきたお土産だそうです。硬くてつやつやしています。でも、石鹸みたいなって……(笑) イタリア語はまったく読めないので、どういうチーズかはまったく正体不明です。でも、形状と硬さからパルメザンじゃないかと見当をつけ、パルメザンとして取り扱うことにいたしました(^_^;)
 
パルメザンなら、まずはパスタにかけてみよう! チーズおろしなんて上等なものは持っていないので、大根おろし器を代用。たぶん、キメの細かさに問題はあるのだろうと思いますが、大き目の結晶でも食べるには不自由はしないのではないかと(^_^;) 案外、上手におろすことができました。パルメザンじゃないのかなぁ。
 
ビニールから出すと、それだけで手に脂がジトッとまつわりつくような感じで、かなり濃厚な予感。実際、食べてみると濃厚な味で、独特のコクがありました。おいしい! 市販のすでに粉で売っているのなどとは比べものになりません。こういう贅沢をさせてもらっちゃうと、後がつらいんですよね。
 
もしパルメザンじゃなかったら……(笑) 
 



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2009/05/27  (水) 

マスク狂騒

インフルエンザの嵐は、多少は沈静化してきているようですね。1億何千人って人がいるなかで、300人程度がインフルエンザにかかり、しかもおおむね軽症だというのに、まるで最強ウィルス感染列島のようです。修学旅行が取り止められたりして京都がすいているらしいというので、我が家の年寄りはとっとと京都に観光に行ってしまいました(笑)  私自身はもう何日も家から出るのは近所のコンビニぐらいという生活なので、汚染地域(笑)の一角に住んでるわりには、感染確率は限りなく低いって感じです。
 
行くときはいいけど、帰ってくるときはマスクしないさいよ〜と言っておきました(^_^;) まあ、冗談のようなものですが。京都の危険確率は東京の危険確率とまったく変わらないだろうし。咳でもでるようなら、ターミナルをいくつも通ることになるので、万一、感染したときに世間さまにご迷惑をかけないためのマスクですね(^_^;) 成田で感染が疑われた人だって、マスクして帰ってきてくれたから広がらなかったわけで、確かに他人に移さない効果はありそうですから。ところがマスクは売ってないようで。
 
マスクは予防にはならないって、マスコミなどでもずいぶん報道されているみたいなのに、相変わらずマスク信仰があるみたいですね。うちの近くのドラッグストアもスーパーマーケットもコンビニもすべて売り切れ、入荷未定のようです。そのわりに、わが街では、マスク姿の人はあまり見かけないようですが(笑) 買おうと思って探しているわけではないので、実態が正しくわかっているわけではありません。ドラッグストアで「マスクは売り切れですか」と店員さんに聞いている人に出会ったり、店から出てくる親子連れが「ここにも売ってなかったね」と話しているのを小耳にはさんで、「そうなのかぁ」と……。
 
かつてトイレットペーパーが払拭するとか言って、大行列ができたって話もあります。この国の人々はパニック性格というか、集団ヒステリーというか……。そんな感じがしますねぇ。いまごろになって、テレビでおじさんが「冷静に」なんていうCMを流していますが、いちばんパニクってたのは外添さん?
 



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2009/05/25  (月) 

一里塚

17号線を戸田橋方面に向かって歩いていたら、突然、歩道がなくなりました。ガードレールとの隙間はわずか。カニ歩きの子どもでも通れそうにありません。「珍百景だ!」などと騒いでいたら、なんのことはない、単に一里塚を迂回しているだけでした。しかし、なんか絶妙な設計ですねぇ(笑) 
 
幕府から日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令が出されたのは1604(慶長9)年と言いますから、江戸時代初期。家康がやっと江戸に落ち着いて、安定政権を作ろうかなぁという頃ですね。指揮官は、大久保長安だそうです。この方、ほんとにいろいろなことをやってますねぇ。江戸時代がそんなに長く続くと予想していたがどうかはわかりませんが、全国一斉一里塚設置プロジェクトは10年ほどで完了したそうです。
 
一里塚はこんもりした盛り土ですが、たいていは榎などの木が植えられてます。旅人が、よっこらしょと木陰に入って弁当をつかうなんて風景が浮かびます。植えられている木は、全国ほとんどが榎です。うっそうとした葉が、木陰を作りやすかったからでしょうか。たまに松もあるようですが、これは枝ぶりを楽しんだ?(笑) ここ、志村坂上にある一里塚の榎は3代目だそうです。1922(大正11)年に国の史跡に指定されています。
 
それにしてもびゅんびゅんクルマが行き交う国道の脇。何度も道路拡張だの、道路整備だのがあったことと思います。よくぞ残してくれましたっていう感じです。どの街道でも、現存している一里塚は少ないようですから。これまで通過した一里塚は、残ってはいませんが白山あたりが一里目、庚申塚あたりが二里目、そして、この志村坂上が三里目ということになります。中山道は京都までは132里ほどあるそうで、まだ2%ぐらいですね。トホホ。一生、たどりつかないかも(-_-;)
 



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2009/05/24  (日) 

縁切榎

板橋を渡ったら、すたすたと歩いて、縁切榎まで行ってみましょう。すごい名前がついているなという感じですが、この木の下を花嫁行列が通ると必ず不縁になる、幹の皮を相手に飲ませると離縁できるなど言われていた縁起が悪いんだか、ありがたいんだかよくわからない榎です(笑) ストーカーまがいの相手がいたら、枝ごと投げつけてやりたいくらいでしょうから(^_^;)
 
皇女和宮が家茂の嫁になるために通りかかったときは、この榎を避けて通ったとか、菰を被せて榎を隠したといわれているそうですが、結局のところ、早々と死別することになっちゃいましたね。この榎のせいだったのかしら?(笑) 和宮は上宿の脇本陣跡に宿泊したそうです。
 
江戸時代は、制度的には夫のほうから縁を切るのはたやすいものの、妻のほうから縁を切るのは非常に困難だったようですね。縁切寺や駆込寺などという異名をもつお寺さんがけっこうあるのは、女性が苦労して逃げ出してきたからなのでしょうか。いまでは双方から離婚の申し立てをすることができますが、やはりシェルターなどに駆け込むのは圧倒的に女性。ストーカー被害もほとんどが女性が被害者のような。いまも昔も、男はしつこいってことかしら?(^_^;)
 



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2009/05/23  (土) 

板橋

上宿あたりには「板橋」があります。往時は文字通り、板の橋。旧中山道が石神井川を渡る地点にかけられた橋で。とはいえ、実際はコンクリートの橋。板に見えるようにお化粧されています。欄干が木目模様で、昔はこんな橋だったのかなぁと思わせるように。何回も架け替えられていますが、現在のものは長さ32.3メートル、幅7.5メートルで、1942(昭和47)年に完成したものだそうです。この「板橋」は平安時代にもすであったそうで、同じ場所ではなさそうですが板橋の地名のもとになっているとか。
 
橋桁には道標が立っていて、「距日本橋二里二十五町三十三間」「日本橋から十粁六百四十二米」と書かれています。う〜む、わかりにくい。10キロメートル&642メートル。1里は4キロ弱で、1町は100メートル強、なるほど換算すればそのくらいですね。私たちも歩いてきたんだ、10,642キロ! でも、3日もかかったとか(^_^;) 土のあまり見えない都会の道の中で、このあたりだけは石神井川沿いの緑にほっとひと息つくことができます。
 
この橋の解説板は、宿場にもあったという高札場を模して立てられているようです。そこには「江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2メートル)、幅3間(5.4メートル)ありまいた。少なくとも1798(寛政10)年と天保年間に2度修復が行われたことがわかっています。その後1920(大正9)年に新しい橋に架けかえられ、1932(昭和7)年にコンクリートの橋に架けかえられました」というようなことが書かれています。
 



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板橋宿
フローラルガーデン・アンジェ