品川寺
青物横丁駅の前は、ジュネーブ通りといいます。なんでここにスイス? と思ったら、このお寺が関係していたのです。品川寺には、1657(明暦3)年の銘があり、徳川幕府第4代将軍徳川家綱の寄進とされる梵鐘がありますが、この鐘は幕末に海外へ流出し、その後、行方不明となっていたそうです。パリ万博(1867年)やウィーン万博(1871年)に展示されたという話があり、大正時代中期の住職が、鐘がジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止めたのだそうです。
外務大臣をはじめ多くの人々が返還交渉をした結果、1931(昭和6)年にジュネーヴの好意によって品川寺に返還されたのだとか。それを受けて、品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られ、品川区とジュネーヴ市は友好都市となったというのですが、これが1991(平成3))年のことというと……、ずいぶん反応が鈍いなぁ〜という感じですね(笑) なんと60年も経ってからです。これがジュネーブ通りがあるいわれだったのですね。
品川寺の境内には、見事なイチョウが黄葉していました。推定樹齢600年とのことです。かなりの高齢樹ですが、元気いっぱい。約600年前といえば、室町時代? 衰退したり、復興したりの歴史はあるようですが、ずいぶん古くからあるお寺のようです。建物や信仰は変わっても、この木はずっとここにたたずんでいたのだと思うと、ちょっと感慨深いです。
海雲寺「千躰荒神祭」
小さなお寺ですが、本堂では護摩が焚かれ、多くの人々が参拝していました。九州鍋島家が島原の乱のときに、戦勝を祈願して千躰荒神を祀ったものが海雲寺に受け継がれたと説明されています。江戸時代の終わりごろからから「品川の荒神様」として人々の信仰をあつめるようになったとか。現在でもお札を受ける人、護摩祈願をする人々がたくさん集まっています。
でも、かつてはお正月に「荒神様へ」といって鏡餅をお供えしていました。我が家は下町文化の家なので、むかしは台所だけではなく、トイレなど家のあちらこちらに鏡餅をお供えして、いろんな神様に無病息災をお願いしていたように思います。最近は、鏡餅は、床の間に一つだけ。そういう八百万の神様を大事にする習慣もなくなりつつあります。我が家だけ?
品川の千躰荒神は江戸時代からかまどの神様として多くの人々から信仰されていたものだそうです。境内をはじめ、参道にもたくさんの露店が出ていました。「荒神松」という松の小枝があります。荒神様を祀る棚をお祓いするものだとか。多くの方々が買い求めていらっしゃいました。私はお榊しか知らなかったので、「へぇ〜」という感じです。
露店には釜の形をしたおこしを並べている店もありました。かつてはお札とともにみんな買ってかえったものだと露店の人が言っていましたが、いまではあまり人気はないのかも。近くでカルメラ焼を実演しているお店のほうが人を集めています。なんだか懐かしい感じですね、買わなかったけど(^_^;)
深大寺御開帳
そのお姿は坐像にして約2メートルという大きさ。私がいつもお蕎麦をいただく「いづみや」さんのご主人は、深大寺の檀家さんですから、ご開帳されるその瞬間に立ち会ったそうです。扉が開かれた瞬間は、「おぉ〜」と思わず声がでてしまうほどの大きさだったとか。檀家さんでも一生に1度か、せいぜい2度しか見られないものですね。まるでベイスターズの優勝のようなものです(^_^;) 38年に1度のこちらより、25年に1度の御開帳のほうが期間が短いくらいで……(笑)
今日は初日ですが、平日なのでそんなに混んでいないかもと思い、出かけてみました。参拝の行列はできていましたが、まあ、この程度なら。明日の土曜日は、お天気もよさそうだし、たいへんな行列ができるかもしれません。11時頃からは、お蕎麦を奉納する儀式も行われるそうです。これもちょっと見てみたい気もしますけど。
行列嫌いの私は、まず「いづみや」さんに落ち着いて、深大寺蕎麦をいただくところからスタート(^_^;) この期間は、「そば祭り」も開催されていて、門前のそれぞれのお蕎麦屋さんが、いろいろなサービスを実施しています。「いづみや」さんは、手作りのおいしいデザートをサービス。いろいろな味が楽しめる、和風のデザートはお蕎麦にとてもよく合っていました。おいしい手作りの佃煮?を乗せたご飯までいただいちゃって……、現在はダイエットしなくちゃならない次元なのに(-_-;)
紅葉もちょうど里に下りてきて、そろそろ見頃を迎えつつあります。紅葉に彩られた秋の寺院というのは、なかなか風情のあるものですね。深大寺付近は、散策路もたくさんあります。日曜日は稚児行列もあるとのこと。でも、こっちはちょっとお天気が心配ですね。雨が降ったら、稚児さんもお付き添いも大変そう。お天気がもってくれることを祈ってます!
勤労に感謝
今年は連休で、各地で紅葉も見頃。お天気もよくて行楽地は混雑していた模様です。私もどこかへ出かけようかなと思ったのですが、こういうときに限って、我が家のオババが風邪っぽいから水をさわりたくないなどと言いだし、しょうがないから私が昼食作りをして、あとはゴロゴロ。何気なくテレビをつけたら、国際千葉駅伝というのをやっていました。「風が強く……」という映画を観たばかりだったので、ここに出場するまでには、各選手にそれぞれドラマがあったんだろうなぁなどと、漠然と考えていました。お天気もいいし、そうだ、私も走ろう!
……。
ムリ、ムリ(笑) 日頃、身体を動かすことも少なく、ましてや心臓も怠け者なんだから(^_^;) 急に走り出したりしたら、救急車を呼ぶことになりかねません。まあ、それでも散歩ぐらいはしてみようと、外へ出かけて行きました。近所には、薬師池公園のような紅葉が見られるところはありません。でも、見事に紅葉はしていなくても、秋の気配が色濃くなっているのが感じられます。暖かな一日ではあっても、冬はすぐそこに来ているようです。ほとんど勤労していないことを恥ずかしく思い、身を隠すようにこそこそと歩いてきました(-_-;)
薬師池公園
町田の住人のねえさまにご案内いただき、薬師池公園へ行ってきました。いま、紅葉がまっさかり。お天気はあいにくイマイチで、発色の点ではお天道さまがほしいぞという感じではありましたが、曇天にしっとりとたたずむ公孫樹や紅葉もそれなりに風情のあるものです。
薬師池公園は町田を代表する大きな公園で、中央部には広々とした池があります。それで薬師池公園と名づけられているようです。池の周囲には梅林や菖蒲田などがありますが、いまは池の畔や周囲の雑木林の丘陵がさまざまな色の葉で染められています。鮮やかなが取り巻いている。もちろんその名の通り、野津田薬師と呼ばれる福王寺薬師堂も。
この薬師堂は8世紀半ばに行基によって開かれたと伝えられ、町田市では最古の寺院だそうです。いまのお堂は1883(明治16)年に再建されたものだとか。お正月には初詣でなかなか賑わうそうです。堂の正面には町田市の名木百選にも指定されている公孫樹の大木があります。
公園内には町田市内にあった旧民家が二棟、移築復元されています。池の南側にある旧荻野家住宅と、池の西側の旧永井家住宅。いずれも1974(昭和49)年に市内の別の場所から移築したものだそうです。荻野家はお医者さんの家だったもので、町屋の造りを取り入れた医家の建物として珍しいものだとか。東京都指定有形文化財に指定されています。旧永井家住宅は国の重要文化財に指定されているもので、建てられた時期は不明ということですが、江戸時代中期の民家だと考えられているようです。
こんな建物や水車、せせらぎなどを眺めながら池を一周するのは、ちょうどいい散歩コース。無料で開放されているのもありがたいですね。園内には売店などもあり、春になればきっと美しい花にも囲まれることでしょう。近くにこんな公園があるねえさまは幸せな人だなぁ〜と思ってしまいます。うちのほうには神代植物園などの都立の立派な公園なんかもあるにはありますが、有料ですよ!(笑)