屋台風の小路
ところが残念。お昼に食べたどーしよーもない天丼が胸につかえていて、気持ちは食べたくても、まったく何も食べられない状態(笑) 今度は、ここでラーメンを食べることを目的に品川へ行ってみようかと思います。誰か、食べた人はいますでしょうか? 有名なのかな?
品川宿
品川寺を後に露天の連なる参道を歩いていくと、広い道に出て、縁日気分もここで終わり。さて、青物横丁駅は品川から京浜急行で3つ目ですが、私鉄は駅と駅の間が短いことが多いので、ひょっとしたら品川駅まで歩いて帰れるのではないかと思い、交通整理をしていたおじさんに聞いてみました。すると、「40分ぐらいかかるよ。青物横丁の駅はそこだから!」と。よっぽど歩けなさそうに見えたんでしょうねぇ、私たち(笑) そんなおじさんの制止?を振り切って、旧東海道品川宿を歩くことにしました。
商店街になっている旧東海道を歩いていると、ちょっと奥まったところに小さな神社を発見。子ども連れの狛犬と龍が巻きついたような珍しい石灯籠がありました。解説版はなかったのですが、白い板があったので、準備中かな?
次に見つけたのは、天妙国寺という大きなお寺です。立派な門にいわれがあるようです。門の前に立つ石柱には「妙国寺」とありますが、1285(弘安8)年の開基で、江戸時代まではその名であったとか。徳川家康が江戸に入ったとき、ここに宿泊したといわれています。本堂の裏のお墓所には剣豪伊藤一刀斎などのお墓もあるそうです。当日は何かの会合が行われていて、ちょっと入りにくい雰囲気だったので、墓地には立ち入りませんでした(^_^;) 新しくできたような感じでしたが、こじんまりとしたなかなか素敵なお庭を拝見することができました。
レンガの小屋に入っているお地蔵様とか、本気で朽ちかけているようなお寺とか(^_^;) とくに観光客を意識していないユニークな建物にもしばしば遭遇。品川宿もなかなかおもしろいところです。そして、真っ赤な橋の欄干の先にあったのは荏原神社。品川区の鎮守さまなのだそうです。赤ちゃんを連れて、お宮参りに来ているご一家と遭遇しました。交代で写真を取り合っていたので、おせっかいな私は、「撮りましょうか?」とおじいちゃんからカメラを奪い、パチリと(笑) あ、いまどきのデジカメはパチリというイメージではないですけどね。
とはいえ、「○○跡」という石碑のようなものが多く、いくつかのお寺以外は、あまり古を忍ばせるようなものは残っていません。品川宿は、お江戸第一の宿場で、その後も東京の中心地のひとつでありつづけたのだから、そりゃあ、古い建物なんか残ってないよねぇ、という感じ。古いものを残しておこうなんて、衣食足りてはじめて思うこと。凍えそうになれば世界遺産だって、焼いて暖をとり、ひもじければ、国宝だって売って飢えをしのぐのですから。古いものを残しておきたいなんて思うのは、つまりは余裕なんでしょうね。現代人がまがりになりにも衣食足りてるから(笑) これからはわからないですけどねぇ。
品川寺
青物横丁駅の前は、ジュネーブ通りといいます。なんでここにスイス? と思ったら、このお寺が関係していたのです。品川寺には、1657(明暦3)年の銘があり、徳川幕府第4代将軍徳川家綱の寄進とされる梵鐘がありますが、この鐘は幕末に海外へ流出し、その後、行方不明となっていたそうです。パリ万博(1867年)やウィーン万博(1871年)に展示されたという話があり、大正時代中期の住職が、鐘がジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止めたのだそうです。
外務大臣をはじめ多くの人々が返還交渉をした結果、1931(昭和6)年にジュネーヴの好意によって品川寺に返還されたのだとか。それを受けて、品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られ、品川区とジュネーヴ市は友好都市となったというのですが、これが1991(平成3))年のことというと……、ずいぶん反応が鈍いなぁ〜という感じですね(笑) なんと60年も経ってからです。これがジュネーブ通りがあるいわれだったのですね。
品川寺の境内には、見事なイチョウが黄葉していました。推定樹齢600年とのことです。かなりの高齢樹ですが、元気いっぱい。約600年前といえば、室町時代? 衰退したり、復興したりの歴史はあるようですが、ずいぶん古くからあるお寺のようです。建物や信仰は変わっても、この木はずっとここにたたずんでいたのだと思うと、ちょっと感慨深いです。
海雲寺「千躰荒神祭」
小さなお寺ですが、本堂では護摩が焚かれ、多くの人々が参拝していました。九州鍋島家が島原の乱のときに、戦勝を祈願して千躰荒神を祀ったものが海雲寺に受け継がれたと説明されています。江戸時代の終わりごろからから「品川の荒神様」として人々の信仰をあつめるようになったとか。現在でもお札を受ける人、護摩祈願をする人々がたくさん集まっています。
でも、かつてはお正月に「荒神様へ」といって鏡餅をお供えしていました。我が家は下町文化の家なので、むかしは台所だけではなく、トイレなど家のあちらこちらに鏡餅をお供えして、いろんな神様に無病息災をお願いしていたように思います。最近は、鏡餅は、床の間に一つだけ。そういう八百万の神様を大事にする習慣もなくなりつつあります。我が家だけ?
品川の千躰荒神は江戸時代からかまどの神様として多くの人々から信仰されていたものだそうです。境内をはじめ、参道にもたくさんの露店が出ていました。「荒神松」という松の小枝があります。荒神様を祀る棚をお祓いするものだとか。多くの方々が買い求めていらっしゃいました。私はお榊しか知らなかったので、「へぇ〜」という感じです。
露店には釜の形をしたおこしを並べている店もありました。かつてはお札とともにみんな買ってかえったものだと露店の人が言っていましたが、いまではあまり人気はないのかも。近くでカルメラ焼を実演しているお店のほうが人を集めています。なんだか懐かしい感じですね、買わなかったけど(^_^;)
深大寺御開帳
そのお姿は坐像にして約2メートルという大きさ。私がいつもお蕎麦をいただく「いづみや」さんのご主人は、深大寺の檀家さんですから、ご開帳されるその瞬間に立ち会ったそうです。扉が開かれた瞬間は、「おぉ〜」と思わず声がでてしまうほどの大きさだったとか。檀家さんでも一生に1度か、せいぜい2度しか見られないものですね。まるでベイスターズの優勝のようなものです(^_^;) 38年に1度のこちらより、25年に1度の御開帳のほうが期間が短いくらいで……(笑)
今日は初日ですが、平日なのでそんなに混んでいないかもと思い、出かけてみました。参拝の行列はできていましたが、まあ、この程度なら。明日の土曜日は、お天気もよさそうだし、たいへんな行列ができるかもしれません。11時頃からは、お蕎麦を奉納する儀式も行われるそうです。これもちょっと見てみたい気もしますけど。
行列嫌いの私は、まず「いづみや」さんに落ち着いて、深大寺蕎麦をいただくところからスタート(^_^;) この期間は、「そば祭り」も開催されていて、門前のそれぞれのお蕎麦屋さんが、いろいろなサービスを実施しています。「いづみや」さんは、手作りのおいしいデザートをサービス。いろいろな味が楽しめる、和風のデザートはお蕎麦にとてもよく合っていました。おいしい手作りの佃煮?を乗せたご飯までいただいちゃって……、現在はダイエットしなくちゃならない次元なのに(-_-;)
紅葉もちょうど里に下りてきて、そろそろ見頃を迎えつつあります。紅葉に彩られた秋の寺院というのは、なかなか風情のあるものですね。深大寺付近は、散策路もたくさんあります。日曜日は稚児行列もあるとのこと。でも、こっちはちょっとお天気が心配ですね。雨が降ったら、稚児さんもお付き添いも大変そう。お天気がもってくれることを祈ってます!