蔵下の湯
お天気はよくても寒いですね。花冷えってやつですか? 寒いから温泉に行ってきました、というわけではなく、先日、白馬に行ったときに「蔵下の湯」という温泉に行ったのです。何年ぶりでしょうかねぇ、温泉。とにかく一回着た服を脱いだり、また着たりするのは面倒で、しかも髪が濡れちゃったりするのが嫌なので、温泉にはめったなことでは行かないのですが、連れが「温泉! 温泉!」という方だったので、しょうがなく?行きました(笑)
白馬にはけっこう温泉があるようですが、なにせ興味がないので全然、知りませんでした。クルマで運ばれて行った「蔵下の湯」という温泉は、塩の道温泉の源泉だそうです。山小屋風の建物の隣りには旅館や他の外湯に温泉を届けるタンクローリーに温泉が停まっていました。 フォッサマグナに2500万年もの閉じこめられていたものだという茶色っぽいお湯で、塩の道恩背というくらいだからでしょうか、成分は塩分が多いとのこと。湧き出したときは透明なのが、空気に触れて茶色になるそうです。けっこう濃い色で、入ると身体が見えなくなります。ありがたい(笑)
屋根つきの露天風呂の浴槽で、明るく開放感があります。お湯に浸かりながら雪をたたえた白馬三山が眺めるのはとてもリラックスできます。私が行ったときは、午前中だということもあったでしょう、数人しか入っている人がいなくてゆったりと温まることができました。午後になると、昼間、スキーやスノーボードを楽しんだ人々がどっと押し寄せるそうです。塩分が濃いお湯なので身体がよく暖まります。関節に少々難ありの私などは、温泉好きではなくてこういうところに沈没してたほうが本当はいいのでしょう。疲労回復のほか、美肌の効能があるそうです。ちったぁ〜、きれいになったかしら?(笑)
★今日の桜★お天気がよかったので少し花の数が増えましたね。
四柱神社&縄手通り
松本城の近くをフラフラしていたときに「四柱神社」を見つけました。天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の、4柱の神を祀ることから四柱神社とよばれる神社。これは「よんはしらじんじゃ」と読みます。「しはしら」かと思った〜(^_^;) 願いごとがかなう神社として人気があるそうです。縁結びもしてくれるそうですが、ちゃんとお参りしてこなかった……(笑)
1872(明治5)年に、当時の筑摩県に設置された神道中教院で、1874(明治7)年から四柱の神を祀ったことで、この名がついたとか。現在の場所に造営されたのは1879(明治12)年、1888年の松本大火で社殿を焼失し、1924(大正13)年に再建。なかなか由緒正しい神社のようです。
その神社の参道のように広がっているのが縄手通り商店街。神社の前を横切って横に広がっているので参道とはいわないのかもしれませんが、明治以降に松本城下の南端の外堀を埋め立てたところに、多くの露店が集まっていたのがこの商店街の前身。2001年に現在のように改装され、昔の町並みを再現した商店街となったそうです。
縄手通りは女鳥羽川沿いにあり、大名町からの入り口に「がまざむらい」像がというのがあります。この商店街のシンボルがカエルなのです。むかしは女鳥羽川にたくさんのカエルがいて、その頃にカエルように……という意味でカエルをシンボルにしているとのこですが、いまいち意味がよくわからない(笑) 花屋やおもちゃ屋、食べ物屋などが軒を連ねていて、あちこちでカエルのアクセサリーや置物が売られています。毎年、かえる祭りを開催しているそうな。お店の方々も庶民的な感じで、そぞろ散歩には楽しいところでした。
★今日の桜★そろそろ花が開きたがっているという感じですよ。
開智学校&司祭館
松本で見ておきたいと思ったのが、開智学校でした。松本市にあった旧制小学校で、日本で最も古い小学校のひとつ。1873年(明治6)年開校、国の重要文化財に指定されています。1965年(昭和40)年からは明治時代の教育資料を展示した博物館に。おしゃれな洋館で、だいぶ以前に外から眺めたことはあったのですが、中に入ってみたのは初めて。明治時代に使われていた天板が開く机や「石盤?」という感じの筆記用具などが展示されています。
松本藩校を引き継いだようなかたちで開校されたらしく、さすが「教育県」といわれる伝統があったような感じがしますね。もとは藩主の菩提寺の跡地に開校し、次に女鳥羽川沿いに移り、昭和になって使われなくなると信州大学付属病院跡地であった現在の場所に移築されたそうです。
明治時代の代表的な擬洋風建築といわれるのもので、瓦葺きの木造2階建てに漆喰塗りの外壁。建築された当時は西側に同ような2階建ての教室棟があったそうです。現存する校舎とつながっていものが移築のときに取り壊されたのだとか。もったいないですね。内部も板張りの廊下など、落ち着きがあって、つやつやと使い込まれた感じが美しいです。
開智学校の隣りにはカソリックの司祭館もあります。この建物は、フランス人のクレマン神父が設計した、現存する長野県内最古の西洋館だそうです。1889(明治22)年に宣教師用住居として松本城下の武家屋敷跡地に建設され、1991年(平成3)年に現在の場所に移築されたのだとか。部屋の一つひとつは思ったより狭い感じですが、各部屋には暖炉があり、外観はアーリーアメリカン様式。この一角が、松本の明治村になっていきそうですね。
旧岩崎邸
前回はイチョウが見事でしたけれど、今回は桜? いえいえ、こちらには桜はないようです。広い庭園には、あまり彩りはありません。入口から裏庭にかけて草花が花をつけている程度。どの角度から見ても建物は素晴らしいのですが、庭にはあまり力が入っていないように見受けられます(^_^;)
本館と地下でつながっているというビリヤード場の修復工事は、外面は終了していました。ビリヤード場というけれど、うさぎ小屋の我が家なんかよりずっと広い! いまは中の壁などはまだまだはがれ落ちていたりして、内部には入れません。のぞくだけ。中で何か相談をしている人々がみえましたから、内部も修復する予定がありそうですね。きれいに修復されたら、内部も見せてもらえるのかも。地下道も修復して、通らせてもらえるようになればいいですねぇ。
桜開花最新情報(笑)
上野のお山へ行って参りました。花見には一足早かったのですが、知人から華展のご案内をいただいたので。華道など前歯でちょっこっと一口かじった程度なので、技術的なことはまったくわかりません。先生の資格をもっているモモタロウにつきあってもらいましたが、流派が違うとずいぶん違うもののようですね。まあ、まあ、きれいな花がいろいろな形に活けられていて、わけはわからずもきれいでありました。
華展を出ると、隣でガラスの造形展のようなものをやっていました。こちらは無料だったので、ついでにのぞいて行くこことに。「ついで」なんて言っちゃって、大変失礼でございましたm(_ )m どっしりしたガラス、繊細なレースのようなガラス、色とりどりのガラス、可愛らしい細工、美しい造形がたくさん並べられていて、ひょっとしたら、華展より楽しめたかも(^^;) あまりの繊細さに「運ぶのが大変だったのでは?」というモモタロウの感想。私の想像では「ここで造ったんじゃない?」(笑)
美術館を出ると、中庭で、わけのわからないパフォーマンスが演じられていました。ジーッと見物していても、結局、わけがわからない(笑) このなんとも不思議な感じを演出したいのかもしれません。そのわけのわからない姿を、腕に描いてもくれるようです。どっちが主体なのだろう?(^_^;) パフォーマンスをしている演者はひと言もしゃべらないし、音楽もないなかで、ひたすらポーズを見せているのです。もちろん、解説もどこにもありません。それぞれがどう感じるか、お好きなように感じてくださいというものなのでしょう。これはこれで、なかなかおもしろいものを見せていただきました。これをやっているのは国立現代美術館の面々。「こくりつ」ではなくて「くにたち」だそうです。
さて、上野のお山の桜ですが、二分咲きというところでしょうか。それでも屋台もたくさん出ていたし、気の早い花見客もかなりいました。中には昼間からビニールシートを張って宴席を催している方々も。午後になると午前中より少し花が開いたようです。明日からちょっと天気が崩れるようなので、見頃は週末か、週明けぐらいでしょうか。上野には何度か来ていますが、満開の桜にお目にかかったことはないような。さぞや見事なことでしょう。