夜になっても暑い……
今日も熱帯夜でしょうねぇ。毎日、1.5リットルぐらいの水を飲んでいるので、熱中症は大丈夫かと思われますが、汗の量も半端なく(笑) 集中力もやる気もゼロです(-_-;) 夕方になるとセミがいっぱい飛んできて、道路にも死骸がいっぱい。短命なセミの命が終わるということは、こんなに暑くても秋は近づいているのでしょうか? 信じられない!
インセプション
計画的に構築した夢のはずが、潜在意識でいるはずのない人がいてしまったり、ストーリーは比較的単純わかりやすいのですが、けっこうハラハラドキドキ感があり、おもしろい映画です。渡辺謙の老いた特殊メイクが不気味でした(笑) どこからこういう発想が出てくるのか……、夢は宇宙だなぁと思います。
夢が現実かを見分けるためには、コマをまわして、回り続けていたら夢、途中で止まったら現実というお約束があるのですが、最後のシーンはそのコマが止まりそうに見えてまだ回ったまま終わります。さて、これは夢か現実か?
モモタロウは現実に戻れてハッピーエンドで終わったと感じたそうです。そう思った人は、きっと性格が素直なのではないかと思います。ああ、現実に戻れなかったに違いないと思った人はペシミスト? 私はといえば、う〜ん、びみょ〜(笑) このびみょ〜感を持たされたのは、監督の思うつぼってことでしょうか(-_-;)
平和祈念展示資料館
これはいまゲゲゲで話題の水木しげるさんなどの体験を交えて、戦時下の労苦をジオラマなどを使って展示してある資料館です。あまり知られていないと思われるシベリア抑留の実態や引き揚げ船などのことが語られています。私の親戚にもシベリヤに抑留され、戦後10年ぐらい経って帰還した人がいました。たぶん、一番最後の帰国ぐらいではなかったでしょうか。生きて帰っては来ましたが、肺病を患っていて、あまり長生きはできませんでした、もう、亡くなってからずいぶんたちます。
戦闘の様子や、歴史的な出来事などは、夏になると報道番組やドラマなどで見ることはありますが、兵士の生活や中国からの引き揚げの様子などはあまり知りません。ここでは、そういう純庶民の戦時下の生活や敗戦の混乱状況などを知ることができました。うちのオババは東京大空襲で焼け出されているのですが、身内にはあまり語りませんから。こっちが聞かないのか〜(笑)
平日ではあっても夏休みということもあり、思ったより多くの人が訪れていました。夏休みの子どもたちの姿もありましたが、若者も含めてオトナが多かったような。帰り道に新宿西口広場を通ったら、なんとここで出張展示が行われていました。これを見て、資料館のほうへも訪れた人が多かったのかもしれません。
「セイダッカ族/昭和の記憶」
今日は、小林恵さんの写真展へ行ってきました。「セイダッカ族—昭和の記憶」と題された作品で、台湾の原住民たちの表情を捉えたもの。7年に渡り、何度も台湾の奥地を訪れて、撮り続けた写真です。台湾が日本に統治されていたとき、抗日運動で多くの方々が亡くなった霧社事件の記憶を丹念に集めています。
被写体は淡々としたお年寄りのポートレートが多いのですが、微笑んでいたり、遠くを見つめていたりする表情が何かを訴えかけているようです。会場では、ビデオムービーも流されていましたが、カラーの動画よりも、モノクロームのスチールがより多くを語っているような気がしました。
小林さんが霧社事件を追いかけ始めたきっかけは、台湾から強制連行されて相模工廠で働かされ、戦後も日本に暮らしたセイダッカ族の老人の写真を撮ったのがきっかけだったそうです。そのときは、相模工廠の記録を調べていたのだとか。
台湾には漢人が入ってくる前に、多くの原住民がいて、いまは14族が正式に認められているそうです。このセイダッカ族が最後に原住民として認められた最後の民族。私は、台湾人=漢人というイメージが強く、少数民族のことをほとんど知りませんでした。台湾の歴史というのも、なかなか複雑な要素を秘めているようです。
霧社事件というのは、教科書に載っているのでしょうか? 私は小林さんから聞いてはじめて知りました。単なる私の勉強不足かもしれませんが、大方の日本人は知らないのではないでしょうか。台湾の旅行ガイドの片隅に載っていたので、「ああ、聞いたことがある」という方もいるかもしれませんね。
「セイダッカ族—昭和の記憶」写真展は、新宿エルタワー58階のニコンサロンでやっています。8月23日までなので(14、15日はお休み)、興味のある方はのぞいてみてはいかがでしょうか最近、モノクロームの写真を見ることが少なくなっているので、それだけでも新鮮です。
長崎のグランドセロ
たまたまニュースが副音声になっていて、英語の同時通訳を聞いてしまいました。まったく意味がわからないので、すぐ主音声の日本語に切り換えたのですが、そのときたまたま「ヒバクシャ」と言っていたのを聞きました。原子爆弾の被害者という意味の英語はありそうですが、けっこう長い言葉になりそうなので、日本語の被爆者を使っているのでしょうか。
日本語がそのまま世界で通じる言葉って、津波とか、畳とか、いろいろあるようですが、「ヒバクシャ」というのはどうも悲しい英語です。平和の像が空を指差している場所をグランド・ゼロと表現していました。自国にもグランド・ゼロがあって、“テロを許さない”祈念の場所とするならば、アメリカ人にも長崎のグランド・ゼロの意味をもう少し考えてほしいものだと……。
しかしながら、広島に行ったとき、たくさんのアメリカ人が原爆ドームや資料館を訪れているのにも出会いました。ひょっとしたら、広島に来ている外国人はアメリカ人がいちばん多いのではないかなぁとか。原爆投下を正しかったといまも思っている7割弱という数字は、多いのか少ないのか……。8月は、やはり戦争や平和について考えさせられる月でありますね。