敗戦の日に思い出すこと
この日になると思い出す話があります。むかし知人だった方、いまはもうとっくに音信不通になっているのですが、その方のお父さまが、8月15日の午後に特攻機で出撃するはずだったのだそうです。毎年、8月15日になると、お父さまは、早朝、家族が目覚める前に家を出て行き、夜遅く、家族が寝静まってからでないと帰宅しないという話。どこへ行っているのか、何をしているのか、誰も知らないそうです。
午前中に飛び立った戦友たちは帰還せず、自分は午後の出発だったために生命が助かった……。そして、戦後は仕事でも成功して、家族も得たというわけですが、出陣の順番がかわっていたら……とか、もう少し戦争が長引いていたら……とか、さまざまな思いが去来する日なのだろうなぁと、なんだかとても印象に残っています。
朝からどこへいらしていたのでしょうか。戦友のお墓参りなのかなぁ、それとも海の見える丘の上で、ひとりぼっちで時間をすごすのかなぁ、とか。そして、今年、ふと思ったのが、靖国神社に行っていた可能性もあるのかなぁとか……。靖国神社はどうも受け入れがたく、靖国通りは通っても靖国神社には行ったことはないのですが、実際に戦地に行き、生き残った方々には、また別の思いがあるのかも……と思ってしまいました。
その父上自体は、私は顔も、名前も存じ上げないし、いまは80代後半になると思うので、ご存命かどうかも知りません。ポツダム宣言を受け入れることは、その日の午前中にだってわかっていたはずなのに、なんで午前中の特攻機を飛び立たせたのだろうかなぁ……。止めることだってできただろうに……。それを言い出せば、もっと早く敗戦を受け入れれば、広島・長崎も犠牲にならなかったというところでもあるのですが、お昼のなんとか放送で生死を分けたというあまりにはっきりしているデッドラインがあるだけに、とても印象に残っているのだと思います。
夜になっても暑い……
今日も熱帯夜でしょうねぇ。毎日、1.5リットルぐらいの水を飲んでいるので、熱中症は大丈夫かと思われますが、汗の量も半端なく(笑) 集中力もやる気もゼロです(-_-;) 夕方になるとセミがいっぱい飛んできて、道路にも死骸がいっぱい。短命なセミの命が終わるということは、こんなに暑くても秋は近づいているのでしょうか? 信じられない!
インセプション
計画的に構築した夢のはずが、潜在意識でいるはずのない人がいてしまったり、ストーリーは比較的単純わかりやすいのですが、けっこうハラハラドキドキ感があり、おもしろい映画です。渡辺謙の老いた特殊メイクが不気味でした(笑) どこからこういう発想が出てくるのか……、夢は宇宙だなぁと思います。
夢が現実かを見分けるためには、コマをまわして、回り続けていたら夢、途中で止まったら現実というお約束があるのですが、最後のシーンはそのコマが止まりそうに見えてまだ回ったまま終わります。さて、これは夢か現実か?
モモタロウは現実に戻れてハッピーエンドで終わったと感じたそうです。そう思った人は、きっと性格が素直なのではないかと思います。ああ、現実に戻れなかったに違いないと思った人はペシミスト? 私はといえば、う〜ん、びみょ〜(笑) このびみょ〜感を持たされたのは、監督の思うつぼってことでしょうか(-_-;)
平和祈念展示資料館
これはいまゲゲゲで話題の水木しげるさんなどの体験を交えて、戦時下の労苦をジオラマなどを使って展示してある資料館です。あまり知られていないと思われるシベリア抑留の実態や引き揚げ船などのことが語られています。私の親戚にもシベリヤに抑留され、戦後10年ぐらい経って帰還した人がいました。たぶん、一番最後の帰国ぐらいではなかったでしょうか。生きて帰っては来ましたが、肺病を患っていて、あまり長生きはできませんでした、もう、亡くなってからずいぶんたちます。
戦闘の様子や、歴史的な出来事などは、夏になると報道番組やドラマなどで見ることはありますが、兵士の生活や中国からの引き揚げの様子などはあまり知りません。ここでは、そういう純庶民の戦時下の生活や敗戦の混乱状況などを知ることができました。うちのオババは東京大空襲で焼け出されているのですが、身内にはあまり語りませんから。こっちが聞かないのか〜(笑)
平日ではあっても夏休みということもあり、思ったより多くの人が訪れていました。夏休みの子どもたちの姿もありましたが、若者も含めてオトナが多かったような。帰り道に新宿西口広場を通ったら、なんとここで出張展示が行われていました。これを見て、資料館のほうへも訪れた人が多かったのかもしれません。
「セイダッカ族/昭和の記憶」
今日は、小林恵さんの写真展へ行ってきました。「セイダッカ族—昭和の記憶」と題された作品で、台湾の原住民たちの表情を捉えたもの。7年に渡り、何度も台湾の奥地を訪れて、撮り続けた写真です。台湾が日本に統治されていたとき、抗日運動で多くの方々が亡くなった霧社事件の記憶を丹念に集めています。
被写体は淡々としたお年寄りのポートレートが多いのですが、微笑んでいたり、遠くを見つめていたりする表情が何かを訴えかけているようです。会場では、ビデオムービーも流されていましたが、カラーの動画よりも、モノクロームのスチールがより多くを語っているような気がしました。
小林さんが霧社事件を追いかけ始めたきっかけは、台湾から強制連行されて相模工廠で働かされ、戦後も日本に暮らしたセイダッカ族の老人の写真を撮ったのがきっかけだったそうです。そのときは、相模工廠の記録を調べていたのだとか。
台湾には漢人が入ってくる前に、多くの原住民がいて、いまは14族が正式に認められているそうです。このセイダッカ族が最後に原住民として認められた最後の民族。私は、台湾人=漢人というイメージが強く、少数民族のことをほとんど知りませんでした。台湾の歴史というのも、なかなか複雑な要素を秘めているようです。
霧社事件というのは、教科書に載っているのでしょうか? 私は小林さんから聞いてはじめて知りました。単なる私の勉強不足かもしれませんが、大方の日本人は知らないのではないでしょうか。台湾の旅行ガイドの片隅に載っていたので、「ああ、聞いたことがある」という方もいるかもしれませんね。
「セイダッカ族—昭和の記憶」写真展は、新宿エルタワー58階のニコンサロンでやっています。8月23日までなので(14、15日はお休み)、興味のある方はのぞいてみてはいかがでしょうか最近、モノクロームの写真を見ることが少なくなっているので、それだけでも新鮮です。