天壇公園
天壇公園は、太極拳などをやっている市民の姿が見られるところ。日本の報道番組などでもときおり映像が流れています。中国人はどこの公園でも朝は太極拳をやっているのかと思いがちですが、やっているのはこの公園だけみたいです。市民も入場料がかかるとのこと。どうもこの「市民の太極拳」というのも観光資源にされているようで……、やらせ?(笑)
筆に水を浸して、道に「書」をしたためている人が何人かいます。実に美しい字で、乾いて消えてなくなってしまうのは惜しいような。これも趣味で書いている人なのだそうです。集まって、普通にダンスを踊っている人もいました。公園といっても、憩いの場というよりは、路上パフォーマンスの場なのでしょう。
天壇は、この太極拳広場のさらに先で、ここからまた別料金。ここまでくると観光客ばかりになるようです。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇で、敷地面積は約273万平方メートル。とにかく広いです。というか、さすが広大な国土といいましょうか、どの史跡もスケールは大きいですね。1420年、明の永楽帝が建立したといわれています。
天壇の本質ともいえる圜丘壇は、「天円地方」の宇宙観による円形の大きなお盆のようなもの。皇帝がこの上に立って天を祭るための儀式、冬至に豊作を祈り、雨が少ない年は雨乞いなどを執り行う場所だったそうです。「天円地方」というのは、天は丸い形をしていて、地は四角い形をしているという考え方だそうです。関東地方も東北地方も、「土地の方角」なんじゃなくて、もともとは天に対する地だったのね、目から鱗が落ちました(笑) ここは欄干や階段などが陰陽思想で最大の陽数とされる「9」や、その倍数で構成されていいます。
この圜丘壇を通り過ぎると多くからも偉容が見えていた祈年殿に行き着きます。祈年殿は直径32メートル、高さ38メートルで、25本の柱に支えられる、現存する中国最大の祭壇とのこと。1889年に落雷によって焼失したものを1906年に復原したのだそうです。中も覗くことができるのですが、正面に陣取ったグループがずっと動いてくれないので、結局、内部を見ることはできませんでした。反日?(笑)
このツアー、とにかく観光3割、買い物7割みたいな構成になっていて、何かをじっくり見ることはできません。内部を見ようと思っても、並んでいてはいつまでたっても順番は来ないという方式で、人を掻き分けるのが苦手な人々は、背伸びをして中をうかがっているうちに、すぐ呼び集められてしまいます。2日目の午前中には、なんだかなぁ〜と思い始めていた旅行でありました。
北京ダック
このツアー、全食事つき。この日のランチは中華弁当でした。これが最悪……。基本的に中華料理は大好きなのですが、まともに食べられてのは生野菜だけ、というくらい。体裁はいいのですが、よくぞここまで味を落とせるというような(笑) 私だけではなく、周囲を見渡しても箸が進んでいる人はあまり見かけませんでした。さすが激安の全食事ツアー……と暗雲が立ち込めた瞬間でした(-_-;)
しかしながら、夕食は北京ダック。こちらは、まずまずだったので一安心でした(笑) 普段、あまり上等なものを食べていないので、高級料理の北京ダックといわれても、ピンと来ませんでしたが(^_^;) 目の前で切り分けてくれる北京ダックを、皮のようなものに長ネギとタレと一緒に包んでいただきます。ちょっと脂っこい感じがして、個人的にはあまり好きではありません。根っから庶民なので、高級料理は苦手かも(笑)
セロリの炒め物とか、さっぱり系の野菜のほうがおいしかったりして。円卓テーブルにこぼれるほどのお皿が乗り、量は豊富です。北京ダックの肉をとった後の骨で作ったという半透明のスープに初めてお目にかかりました。普通のチキンスープより、ややあっさりしているかもしれません。それほどおいしいとも思わなかったですけどねぇ(^_^;)
明の十三陵
明代276年間には、16人の皇帝がいたそうですが、ここに最初の陵墓を作ったのは3代目の永楽帝で、1409(永楽7)年に建設をスタートさせたとのこと。生きているうちから盛大にお墓作りというのもすごいです。陵墓郡は北の山から南へ向い、街を見下ろすように立てられていますが、そういえば徳川家康も西を向いた廟を建て、死んでも西国をけん制したとか。トップに上り詰めた権力を握ったものは同じような発想をするのかもしれませんね。
いま一般公開されているのは、永楽帝の陵墓である「長陵」、隆慶帝の陵墓「昭陵」、そして14代目のある万歴帝の陵墓「定陵」だけです。残念ながら、ツアーは地下墳墓が公開されている「定陵」にしか連れて行ってくれませんでしたが。地下墳墓はいくつかの部屋に仕切られ、竜の飾りの付いた皇帝の玉座や鳳凰の飾りが付いた皇后の玉座、万暦帝とその皇后の柩などが安置されています。
この地下墳墓は、床から壁面、天井に至るまで大理石で作られています。隙間もなく石が積み上げられ、天井部は見事なアーチ。多額な資金が投入されたことが伺われます。地下墳墓からは、これまでに貴重な副葬品や遺骨など貴重な歴史的資料が数多く発見されたそうですが、布や紙は空気に触れて崩れてしまったとか。なんといっても惜しいのは貴重な書物が失われたことで、これに懲りて他の地下墳墓はいまだに封印されたままだそうです。崩さないですむ技術が発見される、とくに永楽帝の墳墓を開けられたらどんなものが出てくるのか、学術的にも期待がかかっているようです。
トコトコ、トコトコ、かなり階段を下った地下墳墓。「見てみたい!」という好奇心より、「こんなに下るって、帰りはかなり昇り……?」と、脚に故障を持つ私メは、そっちのほうが心配でした(笑) しかし、丘陵に作られているため、出口は上のほうにあったらしく、思ったほど昇らないですみました(^_^;)
万里の長城
北京ツアーで案内される万里の長城は、市街からもっとも近い八達嶺が多く、かなり観光化されていて、観光客も多いと聞いていたので、金山嶺に連れて行ってくれるというツアーを選びました。まあ、これが間違いのもとだったという話もありますが、それは後日に(笑) 金山嶺も観光地として整備はされていますが、市街地からバスで2時間かかるということもあり、1時間で行く八達嶺よりは静かなようです。
早朝にたたき起こされ、バスで運ばれて行ったので、麓には1番乗り。肌寒く、朝日がまぶしい時間です。どんなに眠くても、これは正解です。まだ他に観光客が入っていないので、頑張って先頭に出ると、誰もいない静かな長城を味わうことができます。帰る頃には、遠くの砦まで蟻の行列のように人が歩いている風景に変りますから、ここは早起きは三文の徳ということになるでしょう(笑)
見渡す限り、長い長い砦が続いている風景は、さすがに壮観! この長城を作ったのは秦の始皇帝だといわれていますが、その大部分は明代に作られたもので、始皇帝は秦を統一後、それをつなげたということのようです。戦国時代から、いろいろな小さな国が北の異民族に備えるために長城を建設していたとのこと。領土意識の強い国らしく(-_-;)、あちこちで国境に長城を作りまくっていたようです。
金山嶺からは、険しい山の上に築かれ、あまり修復されていないという司馬台長城まで歩いていけるそうです。私たちが引き揚げる頃、ハイキング装備のドイツ人の団体が上り始め、9日間かけて長城をたどるのだと聞きました。日本にもこういうツアーがあればいいのに……。観光化されているところを見学するだけではなく、延々と長城を歩き続けるというのもおもしろそうです。全部は歩ききれないでしょうけど(^_^;)
ここで困ったのは、どこまでも物売りの人々がついてくることです。ツアーメンバーの数と同じか、それ以上の人数がずっとついてきて、絵葉書や写真集、巾着袋などを売ろうとします。それも、10枚1,000円、20枚1,000円と……。日本人は、とにかく安物を大量に1,000円といえば買うだろうというような感じで……。ばかにされているんじゃないでしょうか?(笑)
私は途中から先頭に走り出たのであまりうるさくはつきまとわれませんでしたが、ひとりに「いらない」と言っても、さっと次の人に入れ代わり、また「1,000円」だもの、彼らの貧しさを思うよりさきに気が滅入ります。しかしながら、こうしてどこでも物売りをしている人々は、顔つきが明らかに漢民族ではなく、少数民族のようです。共産主義の国はずだけど、どうも格差や差別はたくさんありそう……。
いまどき北京へ
石原慎太郎東京都知事が、「中国人や中国文化は好きだが、いまの中国は大嫌いだ」とどこかで言っていました。さまざまなことに対する石原都知事の発言や行動は、功罪こもごもな感じで、強引な政治手法はあまり好きではありませんが、この発言に関しては「そうだよなぁ〜」と思ってしまいました。まあ、個人的には中国人や中国文化にもさほど興味はないのですが(^_^;)
境を接する国すべての島や土地を「自分のものだ!」と主張している感がありますね。あんな広い土地をもってるのに、まだほしがるわけ? という感じ。まだ未開拓の国土もあるだろうに。さきにそっちを開発しろよ、とか(^_^;) 教育と報道規制もなんとかならないものでしょうかねぇ。そんなこと、憎まれている日本人の市井の人間が言ったって、別に何も変らないのだろうけど。
尖閣の報復として、観光客の義務を放棄し、「中国では一銭もお金を落とさない!」と言ってはみたのですが、買い食いしないでいられるでしょうか? まあ、数日のことなので、我慢してみましょう(^_^;) だんだん自分が右翼になって行くようで怖いです(笑)