
盧溝橋
盧溝橋といえば、盧溝橋事件のことだけを知っているという感じだったので、なんで観光?と思っていました。世界遺産になるような由緒のある橋だとはつゆ知らず(^_^;) 盧溝橋は1192年 に完成。何度か修復が施され、現在は全長266,5メートルの永定河(むかしは盧溝河といったそうな)に架かる石造りのアーチ橋です。橋の欄干は、それぞれが異なる表情や姿をした獅子の像になっています。なんと合計501もあるそうです。
マルコポーロが「東方見聞録」の中で、この橋を「世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ」と記したことから、西欧ではこの橋のことを「マルコポーロの橋」と呼ばれているそうです。橋のたもとには乾隆帝の筆と伝えられる「盧溝暁月」の石碑があります。この皇帝がここで月を見たということ、現在でも月見の名所になっているのだとか。
日本では、やはり月見の名所というよりは盧溝橋事件の場所として知られていますよね。1937(昭和12年) 7月7日に起きた謎の発砲事件が日中戦争の発端となったと学校でならったのではないでしょうか。この戦闘で日中あわせて100人ぐらいの死傷者を出したとのこと。死傷者は圧倒的に中国側に多かったようですけど。
バスを降りて一番先に目に入るのは、橋のたもとにずらりと並べられた大砲です。当然、日本軍がいたほうへ向けられているのでしょう。これはいまでも抗日の象徴なのかな? かつては日本も、そうとうひどいことをやってきましたからねぇ。日本と中国、積年の恨みつらみが、どこにもここにもあるようで、互いに政治が変り、体制が変っても、そう簡単には歩み寄れないねぇと思いました。

故宮




ちょっと偵察と安いツアーに乗っかちゃったほうが悪いといえば悪いのですが、この「買い物」は、事前の案内にあった「ショッピングにお連れします」の項目にはなかったものです。1日2箇所の「ショッピング」は多いと思っても、「安いツアーの宿命」と思ってあきらめていましたが、3箇所目もあったわけです。その上、バスの中でもお土産の押し売りに近い状態。こんな時期に「反日感情は大丈夫?」なんて言われながら北京に行ったわけですが、反日感情というものは表面的には感じませんでした。感じたのは、日本人から搾り取るだけ搾り取ってやろうという商魂でしたねぇ。



ちなみに、3万だ、5万だというこの掛け軸を買った人も数人はいました。「なんでも鑑定団」に出品?(笑) 私と姉やんは、ここに限らず、どこでも何も買い物をしなかったので、ガイドさんには嫌われた模様(^_^;) そりゃ、そうでしょうねぇ、マージン商売なのでしょうから。とはいえ、なんとこのツアー、21人の参加でしたが、私が最年少でした。姉やんがその次で、あと60歳代らしき人がひとりぐらい。残りはみーんな70歳以上で、リタイヤ組のご夫妻が多く、女性の5人グループも。みんな財布の紐はゆるいのでしょう。景気の悪い日本の中では「富裕層」ですね(笑) 中国って、年を取ってから行くところだったんだ……(^_^;)


天安門広場



このガイドさんは、お子さんがふたりいるそうです。これは奥さんが日本人で、子どもは日本国籍にしているから可能なのだとか。こういう逃げ道もあるのなら、ひょっとして14億人を超えてない?(笑) 世界の人口の5人に1人は中国人なのだそうですが、実は4人にひとりだったりして……。数では太刀打ちできませんね(-_-;)

輪タク





私たちは何を見ればいいの?と思っているうちに、自転車タクシーは出発点に戻り、チップを請求されて、終了。中国にチップの習慣はないそうですが、欧米人がチップを渡すので、「もらって当然」の雰囲気ができているそうです。140円ぐらいだから、いいんだけどね(笑)


天壇公園
天壇公園は、太極拳などをやっている市民の姿が見られるところ。日本の報道番組などでもときおり映像が流れています。中国人はどこの公園でも朝は太極拳をやっているのかと思いがちですが、やっているのはこの公園だけみたいです。市民も入場料がかかるとのこと。どうもこの「市民の太極拳」というのも観光資源にされているようで……、やらせ?(笑)
筆に水を浸して、道に「書」をしたためている人が何人かいます。実に美しい字で、乾いて消えてなくなってしまうのは惜しいような。これも趣味で書いている人なのだそうです。集まって、普通にダンスを踊っている人もいました。公園といっても、憩いの場というよりは、路上パフォーマンスの場なのでしょう。
天壇は、この太極拳広場のさらに先で、ここからまた別料金。ここまでくると観光客ばかりになるようです。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇で、敷地面積は約273万平方メートル。とにかく広いです。というか、さすが広大な国土といいましょうか、どの史跡もスケールは大きいですね。1420年、明の永楽帝が建立したといわれています。
天壇の本質ともいえる圜丘壇は、「天円地方」の宇宙観による円形の大きなお盆のようなもの。皇帝がこの上に立って天を祭るための儀式、冬至に豊作を祈り、雨が少ない年は雨乞いなどを執り行う場所だったそうです。「天円地方」というのは、天は丸い形をしていて、地は四角い形をしているという考え方だそうです。関東地方も東北地方も、「土地の方角」なんじゃなくて、もともとは天に対する地だったのね、目から鱗が落ちました(笑) ここは欄干や階段などが陰陽思想で最大の陽数とされる「9」や、その倍数で構成されていいます。
この圜丘壇を通り過ぎると多くからも偉容が見えていた祈年殿に行き着きます。祈年殿は直径32メートル、高さ38メートルで、25本の柱に支えられる、現存する中国最大の祭壇とのこと。1889年に落雷によって焼失したものを1906年に復原したのだそうです。中も覗くことができるのですが、正面に陣取ったグループがずっと動いてくれないので、結局、内部を見ることはできませんでした。反日?(笑)
このツアー、とにかく観光3割、買い物7割みたいな構成になっていて、何かをじっくり見ることはできません。内部を見ようと思っても、並んでいてはいつまでたっても順番は来ないという方式で、人を掻き分けるのが苦手な人々は、背伸びをして中をうかがっているうちに、すぐ呼び集められてしまいます。2日目の午前中には、なんだかなぁ〜と思い始めていた旅行でありました。